12 頼りになるけど気にくわない奴
『ヒドラ地下森林』は、南部の果ての巨大洞窟の更に奥に存在する秘境で、その危険度は最近俺が訪れたどの地域とも比較にならない。その最たる理由は、そこに住む生物の獰猛さである。そこらの生き物の何倍も大きな怪物が、何倍もの速度で動き回る。紫苑密林や灼熱洞窟のように分かりやすい脅威ではないため侮られがちだが、その純粋な暴力は多少の幸運や技術などを踏みにじって蹂躙するにあまりある。
一見そこまで強大に見えない環境が災いして、かつて不用意に足を踏み入れた中級冒険者が千人単位で命を落としたことがある。以来この地は『特別禁止指定区域』の認定を受け、ごく一部の選ばれし上位冒険者以外の立ち入りは認められていない。
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「ねえ、私本当についてきても良かったのかしら」
地下森林へと向かう道中で、彼女は恐る恐る俺に尋ねた。
「私、こんな危険な場所で身を守る手段なんて持ってないわよ。前のA級指定区域だって、一人じゃ全然どうにもならなかったし……それに国の役人さんを騙すようなことをして……後で迷惑かかったりしないかしら」
現在ルシウスが管理している許可証は、あくまでその所有者を含む男性二名女性二名、計四名のパーティのエリア侵入を許すというもの。各地の見張り人が個々人の人相を完全に覚えているはずもない。だから『私はローレシアです』という体でフランがこっそり混じったところで気付かれるはずもない。
「そうは言っても、お前が来てくれないとエキスを正しく取り出せないだろ。俺たちは全員、摘出については素人なんだから」
「それはそうだけど……」
「大丈夫だ。お前のことは必ず俺が守る。あいつらにも了承は取ってあるしな。俺を連れてきたきゃ、こいつを連れていくことも許せ、そして守れる範囲で守ってやれともな。納得ずくで約束したんだから、今更四の五の言わせるつもりはないさ」
俺はそう言って、フランの頭を籠手で撫でた。するとフランの表情が少し和らいだ気がしたが……それでも居心地が悪いのは変わらないようだった。まあ、知らないパーティに一人飛び込んでるのと大して変わらないからな。早く終わらせて、彼女を楽にさせてやらないと。
「……」
幸い、ラフレシア・ヒュドラが生息している深層の岩地は、地下森林の中では唯一背後の心配をしなくてもいいエリアだ。厳密には、ラフレシア・ヒュドラという頂点捕食者の存在を恐れて、他のあらゆる生物が寄りつかないため、逆に安全が確保されている。だから一番本気を出さなければならないボス戦では、彼女から意識を逸らしていても大した問題はない。
強いて問題があるとすれば、道中だが――――まあ、心配は要らないだろう。腹立たしい事に、目の前にいる二人の『元』仲間は、共同戦線を張る分にはとても心強い味方だから。
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洞窟を抜けると、目の前に広がっているのは一面の緑である。朝方の地下森林は静かで、嵐の気配など微塵も感じさせない。もし家の近所にこんな森があったら、散歩がてらに立ち寄ってしまいそうだ。しかしその実態は、熟練の冒険者すら繰ってしまうほどの猛々しい野生に溢れた残虐の極致である。
「気を付けろよ。この森で起こる全ては『突然』だ。人里の時間軸で動いていたら、一気に足下を掬われることになる」
ルシウスが偉そうに言う。何を今更、何度俺がお前たちとここに来たと思っているんだ。
「お前こそ心を引き締めてかかれよ。何を偉そうに言おうと、お前たちが三人がかりでここの探索に失敗したことに変わりはないんだから」
ルシウスがむっとした表情を浮かべたその時である。森と洞窟の境界線にあたる草原が、僅かにがさがさと揺れ――――次の瞬間、森から三メートルを超える黒い狼が十匹、様々な角度から一斉に襲いかかってきた。
「ヒッ……!?」
思わず悲鳴を上げるフラン。無理もない。通常サイズの群れ狼相手だって、冒険者からすれば厄介きわまりない。何しろ集団で押し寄せてくるものだから、純粋に手数が足りなくなるのだ。事実、この数を相手に単独行動だったら、俺も処理しきれなかっただろう。だが、仲間がいれば問題はない。俺は背中に差しておいた大槍を素早く引き抜き、迎撃態勢を取った。
この槍は以前ドラゴンを狩った時の投げ槍よりも、ずっと太くて鋭いものだ。密林ほど木々が密集してもいなければ、洞窟ほど空間が狭くもないこの森ならば、力任せに扱っても十分に効果を発揮できる。それに台地へ向かったときと違って標高が低いので、重量の心配も要らない(標高の高い場所に持って行くには、この槍は少々重すぎる)。この環境下なら、文字通り俺は全力を発揮することができる。
「行くぞ!」
呼吸を合わせ、目配せで動きを決定する。フランを中心にした円を三分割し、俺とミリア、ルシウスでそれぞれ一面を担当する。
俺が担当した方には五匹がやってきた。ちっ……嫌になるほど人気者だな、俺は! 人間関係でもこうであってくれたら良かったのに!
「ラアアッ!!」
俺は、力に任せて大槍を振りかざし、数体の狼の鼻先を切り裂いた。一瞬怯んだ狼たちだったが、数秒後には体勢を立て直して再び襲いかかってきた。こういう立て直しの早さが『ヒドラ地下密林』のモンスターどもの厄介なところだ。とはいえ、俺にとってはそれで十分――――立ち止まった瞬間の隙を使って、一体を串刺しにした。続いて襲いかかってきた赤毛混じりの狼は、例によっての棘付きの靴でのど笛を蹴飛ばしてやった。そして槍を引き抜いて、もう一匹を貫いた。左側面から一番小柄な狼が大口を開けて迫ってきたので、裏拳で吹き飛ばしてやった。最後の一匹は吹き飛ばされた狼の死体にぶつかって転倒したので、そこを狙って頭部を勢いよく踏みつけた。
「……ふう……」
一通り片付いたので、俺は二人の方がどうなったか確認する。すると二人の方も、それぞれにあてがわれた狼を悠々片付け終えていた。返り血や足下の血の付き方や、狼の傷を見るに……ルシウスは敢えて至近距離まで狼を誘き寄せた上で、ご自慢の高速突きで一気に絶命させたな。それを狼の数だけ繰り返したんだ。ミリアの方はアウトレンジで狼の眉間を射貫いたらしく、装備に血は一切ついていない。相変わらず、強さに関しては信頼できる元仲間だ。
しめて討伐数はルシウスが三匹、ミリアが二匹。ものの数分ほどで片付けて、俺たちは森の奥へと進んだ。
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その後も幾たびか獣に襲われるタイミングはあったが、誰かしらが早い段階で襲来を察知し、事前に仕留めることによって大事には至らなかった。
「……」
俺たちは、森の道を無言で進んでいく。昔はどれだけ過酷な自然相手でも、道中にはカナラウ歓談があった。今あるのは沈黙と緊迫だけだ。消えた会話が、俺たちに生まれた亀裂の深さを何よりも具体的に表していた。
「つ、強いのね。貴方のパーティの人達、皆……」
代わりに、フランが俺に話しかけてきた。
「……一応、ここに入る権利を勝ち取れるくらいには腕利きだからな。正式にパーティを組んだのは一年前だが、全員冒険者歴は十年を超えるベテランだし、パーティを組む前から付き合いもあった。力に関しては、未だに奴らのことは認めている」
すると、フランはぐったりと顔を落とした。
「……? どうした?」
「……メル、一つ提案……というか、助言があるの」
「ん? なんだ?」
「貴方の口臭問題が解決したら、元のパーティに戻った方がいいわ」
彼女の思わぬ提案に、俺は思わず目を丸くする。
「は? どうして?」
「匂いのことは無自覚な体質の問題で、貴方のせいじゃない。でもパーティの人達もきっと、貴方のことを傷つけまいと思って言葉を濁したんだと思うの。きっとまだ、貴方次第でいくらでもやり直せるはず。そして貴方くらい能力がある人は――――それを活かせる立ち位置にいた方が良い。私に付き合っていたら、こんな高難度のエリアにも行けなくなるし、それにずっと枷を抱えることになるわ」
「……要らない心配だよ、それは」
フランは以前に、事情を知らないのに押しつけるわけにはいかないと言っていた。どうして彼女がここで、その禁を破って俺に忠告したのかは分からない。もしかしたら押しつけたのではなく、身を引く意図て゛口走っただけなのかもしれない。だけどフラン、お前が考えていたことは正しかったよ。俺があいつらの輪の中に戻ることはないだろうから、お前の提案は完全に的外れだ。それよりも俺はむしろ――――……
いや、まだ駄目だ。俺が伝えようと思っていることは、安易に口にしていいことじゃない。
『この言葉』を彼女に伝えるためには、然るべきシチュエーションというものがあるはずだ。
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そして俺たちは森を抜け、最奥の岩場へと到達した。壁のように積み上げられた巨岩が目に映るころになってくると、空気が明確に違ってくる。この場所を長きにわたって支配し続ける王者の存在が、雰囲気自体を変えているのだろう。その空気のおかげでフランの安全がある程度確保されているというのは、怪我の功名というか、ラッキーというか。
岩山の最上部を見上げれば、そこに『ラフレシア・ヒュドラ』はいた。九つの真っ赤な頭を持ち、自在に蠢く不気味な食人植物――――この森に住む、最悪級の怪物である。目算だが、全長はおよそ三〇メートル近い。本体だけでも一〇メートル。たった三人のパーティで、本当になんとかなるものだろうか。
「ようやく辿り着いたぞ、腹の中のローレシアを返してもらおうか」
「……!」
ヒュドラの正面に立つルシウスは、ナイフの鋒を怪物に突きつけ、気取った啖呵を奴に吐いた。ミリアも無言でヒュドラの心臓部に狙いを定める。俺はといえば、今更ローレシアに関して格好付けるほどの拘りは持てなかった。口臭を治すためにこいつを狩るのが、今回俺がやってきた理由の殆どだ。
「……悪いが、俺のために犠牲になってもらう」
……だから、そう小さく呟くと、俺は大槍を投げの体勢で構えそのまま助走を付けてぶん投げた。ちょうどローレシアが取り込まれている本体部分の中心部、そのすぐ横付近を狙って。