11 毒を以て毒を制す
ずっと思い悩んでいたことではある。次にもし、旧パーティの誰かに出会う時が来たら、自分はどんな顔ができるのだろうか。遺恨なく、彼らと笑いあうことができるだろうか。或いは逆に申し訳ないと思うのだろうか。それとも、殺したいほど憎たらしいと思うのだろうか。
いずれにせよ会わないでいるに越したことはない。だけど、もし会ったとしたら――――せめて少しでも良い出会い方をしたいと思っていた。
だが、駄目だった。ルシウスの顔を見た瞬間に俺は悟った。俺にはこいつらを許すことはできない。
たとえ俺に原因の一端があったとしても、こいつらは説明もせず、俺に改善の機会も与えず、一方的に放り出した。ちゃんと話し合う機会を与えてくれれば、俺にだって何かできたかもしれないのに。
俺の中で、こいつらとの関係は完全に『切れて』いたのだ。
「助けるって、貴方達。この人に何をさせようとしているの?」
フランの存在に気づいたルシウスは、嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「! 新しいパーティがもういたのか。それは良かった。良いことだ。えっとな、実は、俺はこいつの昔の仲間なんだ」
「……!」
「今日来たのは、そのパーティに関しての相談なんだ。実は、うちで大変なことがあって……」
話を始めようとするルシウスの胸ぐらを掴む。ルシウスは驚いて目を丸くした。俺にとっては、その反応こそが驚きだった。
「……どんな用件だろうと聞きたくない。助けて欲しい? 甘えるな。俺をちゃんと説明なしに追い出した癖して、どの面下げて助けて欲しいなんて言ってるんだ」
「お前には、悪いことをしたと思ってる」
「それが悪いことをしたと思っている奴の態度かよ! もう少し申し訳なさそうにくらいしたらどうなんだ!」
「……悪い、そういう態度を作っておくべきだった。だが今はそれどころじゃないんだ」
こいつ、本当に悪びれないな。よほど焦っているのか、それとも……。
「口臭に関しては俺が悪いから、謝る必要もないってスタンスか?」
「えっ!? お、お前、どうしてそのことを……」
俺が口臭のことについて知っていたのが、ルシウスには意外だったらしい。そりゃまあそうだろう。俺は追放されたあの日の時点で自分の口臭に全く気付いていなかったし、気づける理由もなかったんだから。
「そこの彼女に教えてもらったんだよ。俺の口が臭いって。自分じゃそういうことは全然分からないからな。確かにそれで迷惑をかけたかもしれないけど、だからって説明もなにもなしにほっぽり出すのは人が悪すぎる。俺は一月ほど、何をどう改善したらいいのか分からなくなって停滞していたんだぞ」
「……悪かった。だが、今だけは水に流してくれないか。急ぎなんだ。早くしないと、取り返しの付かないことになるんだ」
「取り返しの付かないこと……?」
「ローレシアが捕食された」
「……!」
「相手は特別禁止指定区域の主、『ラフレシア・ヒュドラ』だ。九つの頭と臭気を操る超特大の食人植物のこと、お前だって知っているだろう。あの恐ろしい怪物に捕まってしまったローレシアを、なんとしてでも助けたいんだ」
「特別禁止指定区域に……『ラフレシア・ヒュドラ』だと……!?」
特別禁止指定区域。A級指定区域の上を行く、地上最難関の狩猟エリア。一般の冒険者は立ち入ることすら許されず、国に認められた腕利きだけが活動を許される秘境中の秘境。俺たちのパーティはかつて、都市部に迷い込んだお化けジャガーの群れを討伐したことがあり、その褒賞として特別禁止指定区域への侵入を許されていた。だが確かに、俺というパーティメンバーを欠いた上で特別禁止指定区域に入れば、犠牲が出てもおかしくない。
行動は愚かとしか言いようがないが、だからといって単純に見ない振りができる問題でもなかった。多少の苦難ならば、知ったことかと見捨てられたかもしれない。だが、流石に命がかかっているとなると――――仮にも一時期、仲間として共に戦った相手、ばっさり見捨てることなんてできなかったんだ。
「どうして、そんなことに……」
「最初は特別禁止指定区域で、いつも通り採集をしていただけだった。無茶な相手に喧嘩を売るわけでもないし、お前がいなくても大丈夫だろうと思っていたんだ。しかしいつの間にか、ローレシアの姿が消えていて……慌てて探すと、奴の腹部の捕食口に飲み込まれつつあるローレシアの姿を見つけたんだ。慌てて奪取しようとしたが、二人では手が足りなくて……」
「……!?」
確かにラフレシア・ヒュドラは獰猛で、特別禁止指定区域の中でも指折りの危険生物だ。九つの再生する首と臭気を放つ巨大な花弁を併せ持った移動する食人植物。特徴を並べると如何にもカオスで奇っ怪なモンスターは、他に類を見ない様々な技を使って数々のベテラン冒険者を食い物にしてきた。しかし巨体が故の怠惰さで、滅多に自分から捕食に赴いたりはしなかったはずだが……運悪く空腹期に出くわしてしまったのだろうか。
「……流石に、もう生きてないんじゃ……」
「ラフレシア・ヒュドラは、臭気によって捕食対象を衰弱させ、理性を奪った上で消化する。逆に言えば、正気を保っているうちは消化活動に入らない。ローレシアもそれを熟知しているから、彼女は必死に耐えるはずだ。そして他の誰かならすぐに狂っていたほどの悪臭でも、彼女なら、ある程度耐えられるかもしれない」
「俺の口臭に耐え続けたローレシアなら、ってか?」
俺が嫌味っぽく問うと、ルシウスは苦々しい顔で目を逸らした。
「……それもあるが、純粋にあいつは環境適応力と耐久力が高いからな。ラヴァクリスタルの狂気じみた回収は、お前だって覚えているだろ!?」
確かに覚えてはいるが、だが……。
「まだ時間があるなら、公的な機関に依頼すればいいだろう。国に大金を積めば、救助隊の一つや二つ、難なく編成してもらえるはずだ」
「……馬鹿言うな。もし公的機関に救助を求めたら、実力不足で俺たちの権利が剥奪されてしまうかもしれないだろう!」
「……何言ってんだお前?」
こいつは、この期に及んでこんなことを言い出すのか。俺は思わず、手元のミードをルシウスの顔にぶちまけた。
「な、何を……」
「結局お前たちの事情じゃないか! 資格でもなんでも剥奪されてしまえばいいだろう!」
「……だ、だが……」
しどろもどろになるルシウス。心配した俺が馬鹿だった。思えばこいつが戦端を開いたというだけで、ローレシアにしてもミリアにしても、俺を追い出すことに文句はなかったということになる。俺を追い出して、ローレシアが襲われて、チームは壊滅の危機に陥った。だとしたらこいつらが破滅したのはこいつら自身のせいだ。俺がいればそうならなかったかもしれないのに……そんな尻ぬぐいまで、俺はせねばならんのか。
「どうしても嫌なら悪あがきするのもいい。二人でも頑張れば助けられるかもしれないな。ナイフ使いと弓使いで、どうやってあのでかぶつを仕留めるのか甚だ疑問だがな」
突っぱねようとした俺だったが――――
「……待ってちょうだい。その話、受けてみるのもいいかもしれないわよ」
――――思わぬところから、思わぬ援護がやってきた。
「フラン!? お前までそんなことを言い出すのか、こいつらは……」
「助けてあげた方がいいだとか、そんな道義上の観点から言ってるわけじゃないわ」
フランは、俺の兜に手をかけ、ゆっくりと取り外した。
「……貴方の口臭は、何をやっても消えなかった。だけど一つだけ、口臭を打ち消す条件が存在する。それが何か分かるわよね?」
「……? 兜を被っている時……」
「そう。そしてこの兜の口元からは、貴方の口臭に匹敵する悪臭が放たれている。さらに『ラフレシア・ヒュドラ』と言えば、世界一臭い匂いを放つモンスターとして有名だわ。……これまで散々良い匂いや消臭剤で誤魔化そうとしても駄目だったじゃない? つまり、最初からアプローチを間違えていたのかも」
「……何が言いたいんだ?」
「貴方の悪臭は、世界でも敵うものが殆どないと見て間違いないわ。それこそ、ラフレシア・ヒュドラが放つとされる世界最強の悪臭に負けないほどにね」
フランは俺に兜を投げ返して、それごと俺を指さした。
「臭いものに蓋! 破れ鍋に綴じ蓋! ラフレシア・ヒュドラから取ったエキスで作った芳香剤を使って、口の臭いを相殺するのよ!」
「ほ、本当にそんな理論で大丈夫なのか!? なんか、いくらなんでもトンデモが過ぎるような気がするんだけど……」
俺が突っ込むと、彼女は苦笑いを浮かべた。
「……かもしれないけど、でも! 正攻法だともう手詰まりで、こういう奇策に訴えるしかない状況じゃない? 賭けてみる価値はあると思うわよ」
「……!」
確かに、ついさっき、手詰まりであることを二人で確認したばかりである。良い匂いや、無臭によって抑えこむことができないとしても……『悪臭』ならば、もしかしたら。
「……?」
背後で、困惑したような表情を浮かべるルシウス。こいつの思惑通りに話が運ぶのは少々癪だが……まあいい、渡りに船だ。助けてやろうじゃないか、ローレシアのことを。そしてラフレシア・ヒュドラを倒して、俺は今度こそ、俺の口臭を克服する!