10 泣きっ面にクソッタレ
そして次の日。集会所で彼女の到着を待っていた俺の前に、三色の箱を抱えたフランが現れた。
「待たせたわね。それじゃ早速始めましょうか」
最初に彼女が取り出したのは、緑色の紙で包まれた炭木の筒だった。
「まずは、『漆黒炭木』を使って作った『葉巻』。先端に火を付けて、煙を一気に吸い込んで全身に取り込むの。脱臭成分が全身に広がって、体から一切匂いがしなくなるはずよ」
「……なるほど」
全身から匂いを奪い取るというのは、それはそれでえげつないというか、後遺症が残りそうというか、劇薬感が凄まじいが……それだけよく『効く』ということも伝わってくる。手にとって確かめてみると、確かにその『葉巻』からは匂いが一切感じられない。周囲の匂いだけでなく、自分自身の匂いすらも全て吸い取ってしまっているのだろう。
「あまり外気に晒しすぎると効果が薄れるから、早めに吸っちゃって」
「あ、ああ」
俺はマッチを擦って葉巻に火を付け、一気に煙を吸いこんだ。
「……ゴホッ、ゲホッ、ガハッ!」
喉から気管、肺に至るまで、焼けるような痛みがじんわりと広がる。それだけじゃない。胃にも、腸にも……
「こ、これ……摂取して本当に大丈夫なものなのか……?」
俺は立っていられなくなって、その場にしゃがみ込んで痛みに悶えた。
「当然、それなりにリスクはあると思うわ。だって人体に優しい範囲に収めようと思ったら、前の二十番消臭カプセルが限界だもの」
そして彼女は、俺に近づき、俺の顎に手を当てるとそっと持ち上げて――――
「でも、毒になる成分はできるだけ取り除いておいたから、病気になったりすることはないと思うわ。それじゃ……匂いが消えたか、試してみましょう」
鼻を、俺の口元に近づけた。
「……どうだ?」
「……うっ……」
俺が言葉を発すると、一瞬でフランの表情が真っ青に曇った。ああ、駄目だったのか。
「ん、んん……ちょ、ちょっとは匂いが……うっ、お、収まった、かも……?」
「いや、いい。そこまで無理にフォローしなくても……」
引きつったまま笑顔を浮かべるフランの表情が生々しく痛々しい。
「脱臭成分じゃ駄目だったってことか……」
「……まだ諦めるには早いわ。はい、これ。殺戮ミントで作った、消臭カプセル!」
彼女が次に取り出したのは、透き通った緑色のあめ玉だった。
「口の中でかみつぶして、その上で出てくる汁を零さずに飲み込んでね。結構辛いと思うけど、それは我慢して」
言われた通りに口に含み、奥歯で一気にかみつぶす。汁がどろりと飛び出して……瞬間、口の中で清涼感が爆発した。
「あががががっっ!! んふぬがばぁ―――――!」
か、辛いなんてものじゃない! 激痛だ! 雀蜂を巣ごと飲み込んだかのような激痛が、口の中をずたずたに破壊していく! 更に鼻の粘膜にはミントの暴力的な香りの大侵略だ! 鼻全体がミントになったかのように、ミントから逃げ出せない、抜け出せない!
以前に紫苑密林で毒虫にやられて一週間ほど寝込んだ時も相当な激痛を味わったが、あのとき並みだ。
俺は痛みに耐えかねて、再び床に膝を突く。くそっ、俺としたことが痛みに負けて二度も失態を晒すとは……!
しかし、流石にここまでやったら流石に匂いは消えているだろう。脱臭炭葉巻も吸ったし、その上から強烈なミントをお見舞いしたんだ。俺は立ち上がって、フランの鼻先に口を近づける。
「……それじゃ、行くぞ」
しかし今思ったが、この体勢ってやってることはともかくまるでキ……
「あっごめん、もう臭いわ」
「……くそっ!」
思わずテーブルを強打する。集会所に常設されている煤けた木のテーブルは、俺の一撃で粉々に砕け散った。しまった……後で弁償しておかないと。
「ミントの匂い、しないわね。完全に貴方の口臭に飲み込まれているみたい」
嘘だろ。俺の鼻は未だにミントの強すぎる匂いでじんじんしているというのに。一体俺の口臭は何なんだ。神を殺すための最終兵器だったりするのか。
「まさかここまで歯が立たないとは思わなかった。次はいよいよ、最終兵器ね。『毒葡萄山猫』の胆嚢から絞ったエキスを煮詰めて作った、甘ったるさの極致のような香水」
そう言って彼女が取り出したのは、ブランデーの瓶に詰められたピンク色の液体。
「ミントならともかく、これは常時撒き散らしていたらちょっと不快になるタイプの香りよ。あなたの口臭よりは流石にマシだけど、根治とは言えないかもしれない。仮にこれで打ち消せたとしても、また別の問題を抱えるだけかもしれないわ。それでも飲む?」
そういえば、どこかでそんな説明を受けていたような気がする。だが……
「……折角作って貰ったんだ。使わないわけにはいかないだろう。それに、やれることは全部やっておきたい」
俺は、瓶の中の液体を一気に飲み干した。うわっ、渋い……口当たりが渋くて甘みを感じないのに、香りだけは一丁前に激甘だ。味と香りの不調和が脳を混乱させて、なんだか目眩がしてくる。さっきのミントの香りと混じって、鼻の中はもうぐちゃぐちゃだし、今日はなんて体に優しくない日なんだろう。
「……はぁ、はぁ」
気分が悪くなってきたので、俺は近くの柱にもたれかかった。確かにフランの言うとおり、こんな甘い匂いを常時口から吐き出していては、それはそれで人を遠ざけてしまうだろう。だが、流石にここまでぶちまければ効き目も出てくるというものだろう。
「さあ、どうだ!」
フランに口を近づける。フランは眉をひそめて、それからがっくりと顔を覆った。
「……駄目みたい……甘い匂いが口臭に飲み込まれて、より度し難い香りに成長しているわ……」
「……! 嘘、だろ……」
俺も顔を覆った。
手詰まりだ。この世にあるあらゆる手段を用いても、俺の口臭はどうすることもできなかった。
俺はもう、一生この口臭と付き合って生きていかなければならないのだろうか。
◆◆◆◆◆
結果。
「~俺は駄目だ~……駄目人間だ~……」
「駄目なのは私の方よ……貴方のことを助けてあげられないなんて、香料術士失格だわ……」
互いに絶望の底に突き落とされた俺たちは、二人でいつもの酒場へとやってきていた。
「……しばらく見ないと思ったら、またネガティブコンビが戻ってきた。お願いですから、開店早々店でマイナスオーラを撒き散らすのは止めてもらえませんか?」
マスターは眉をひそめて、早々にくだを巻く俺たちを睨みつけた。
「何よ! 人の気持ちも知らないで勝手なことばっかり! 私達だって好きでマイナスオーラ飛ばしてるわけじゃないの! 世界がそうさせるの!」
「そうだそうだ!」
「ああ、無駄に息が合うようになって……面倒くささは二乗どころじゃないですね。はい、いつもの」
流れるように出されたジョッキを飲み干して、俺たちは二人揃ってテーブルに頭を打ち付けた。
「他に……何か作戦があったりしないか? 例えば、もっと強い芳香剤とか、脱臭剤とか……」
「作戦? もうないわよ……。今回貴方に集めて貰った三つの素材は、いずれもA級危険区域で得られるものの中でも入手難度が極めて高いもの。何故か入手難度が高いほど、効能は強くなる傾向にあるから……私達が手に入れられるもので、これ以上の素材は存在しないわ。したがって、これ以上の匂い消しを作るのも無理」
「……っ……」
「強いて言うなら、『マスターピース』を使えば一時的には打ち消せるかもしれないけど……」
「……!? あれはそんなに強い香水なのか」
「ええ、強いわ。それに今まで使ってきた香料素材よりずっと体に優しい。なんてったって、大昔から香料術士の学校に伝わっている秘伝のエキス……香水から『とげとげしさ』を消しながら、その効能を何倍にも高める効果があるんだけど……それを注がれることで、並の香水ではとても太刀打ちできない完成度を成立させているんだから」
「……そこまでだったのか……じゃあ、俺にそれを吹きかければ、或いは……?」
俺は思わず唾を飲み込んだ。だが彼女は、姿勢を落としたまま首を振る。
「……でも、駄目。エキスは学校を卒業した香料術士に、マスターピースを作るためだけにほんのちょっと与えられるだけのもの。エキスがあって初めて成り立つものだから、再現はできない。だからたとえ一時的に貴方の口臭を消すことができたとしても、恒久的な対策にはならないわ。第一ね……人の口臭をほんの一時消すためだけに使っていいほど、マスターピースは軽い存在じゃないのよ」
それもそうか……そうだよな。ちょっと失礼なことを言ってしまったかもな。
ああ、こんなはずじゃなかったのに。俺の口臭も治って、彼女も自信を取り戻して、これでめでたしめでたし、そういう筋書きだったのに。結果はどうだ。俺の口臭は治る気配がなく、彼女の香料術士としての自信にまで傷をつけてしまった。こんなことになるなら、最初から俺たちは出会わない方が良かったんだろうか。
いいや、そんなことはない。 俺は少なくとも彼女に会えて少し救われた! 自分じゃどうしようもない現実を突きつけられて、行き場のない歯がゆさに思い悩んだりもしたけれど! それでも確かに救われたんだ! ……彼女にとってもそうであって欲しいとは思うが、こればっかりはどうにもならない。
「くそっ! もう一杯だ!」
「飲みなさい飲みなさい! 嫌な事は飲んで忘れるべきよ! 私、一滴も飲んでないけど!」
ちっとも酔えない苛立ちをぶつけるように、俺はカウンターの上に空のジョッキを叩きつけた。
「マスター! おかわり!」
マスターは冷めた表情で俺のジョッキを受け取って、淡々とその中にアルコールを注いでいく。
「そういえば、昨日一昨日と、二人ともいらっしゃいませんでしたけど……」
「ん?」
「メルヴィンさん。貴方に会いたいという人が、何度かこの酒場にやってきていましたよ?」
「……俺に会いたい?」
一体誰だ? 俺は他所に知り合いなんていなかったと思うし、パーティメンバーとはあんな別れ方だ。ひょっとして、国かどこかから召集でもかかったのかと、嫌な予感が脳裏を過ぎる。まあ、大丈夫だろう。近頃は国も安定してるみたいだし、早々滅多なことで呼び出されたりはしないはずだ。
俺はミードがなみなみと注がれたジョッキを受け取って、フランが待つ席に戻った。
「何かあったの?」
俺の表情の変化を機敏に感じ取ったらしく、フランは心配そうに俺の顔を覗き込んだ。大丈夫だ、なんでもない。俺がそう言おうとしたとき――――バタン、と酒場のドアが勢いよく開けられ、続いて男の声が耳に飛び込んできた。
「……見つけた……」
寒気がした。その声をよく知っていたから。俺は思わず身構えるように立ち上がり、酒場に入ってきた男を睨みつける。
「ルシウス……!」
そこに立っていたのは、かつて俺をパーティから追放し、置き去りにした張本人――――旧パーティメンバーの、ルシウス=ライズだったのだ。唖然としてその場で静止する俺に、ルシウスは妙になれなれしい口調で言った。
「……ずっとお前を探していたんだ、メルヴィン。会えて良かった」
……『会えて良かった』だと?
「お前、どの口が……」
「なあメルヴィン――――」
ルシウスは、俺の反応など一切意に介さない様子で、抜け抜けとした表情で言った。
「旧交の誼だ……俺たちのことを、ちょっと助けてはくれないか?」
思わず手が出そうになるほど、それは身勝手な物言いだった。




