第35話 ザフィラ
扉の奥は、円形の広間だった。
天井は高く、壁一面に、月の満ち欠けを刻んだ石板が並んでいる。中央には、白い円卓。その向こうに、一人の女が座っていた。
(……小さいな)
それが第一印象だった。
二十代前半に見える。小柄で華奢な体躯。灰色のロングヘアを後ろで緩く結び、瞳は鋭く澄んだ灰色で、やや吊り目。細いフレームの眼鏡が、知的で冷たい印象を強めている。
肌は健康的な浅黒さで、滑らかだった。白を基調にした光沢のある衣は、裾が短く、サイドに大胆なスリットが入っている。そこから覗く脚のラインが綺麗で、腰には薄い装飾用のベルト。その上に、軽い白いローブを羽織っていた。足元は、白い薄手のニーハイ。
(無駄がなくて、実用的な服だな。……いや、スリットが深い。見るな)
隣から、ひんやりした気配が二つ。
「主様」
「コウイチ様」
――見てない。
「まだ何も」
「申しておりませんわ」
二人の声が、見事に揃った。
*
「ようこそ、谷底の里へ」
女が、立ち上がった。座っているときより、さらに小さく見える。それでも、背筋の伸びた立ち姿には、族長の威厳があった。
「ザフィラと申します。この里の長を務めております」
声は静かで、よく通った。
「遠路、お越しいただき、感謝いたします。ネフィラが、無理を申したのでは」
――いえ。自分の意思で来ました。
ザフィラの灰色の瞳が、ゆっくりと、俺の全身を見た。
一メートルほどの、カカシのような植物。枝の腕、根の足、指先の若葉。
彼女の表情は、ほとんど動かなかった。ただ、眼鏡の奥で、ごくわずかに目が細くなった。
「……聖樹を救ったのは、あなたですね」
――俺だけじゃありません。この二人と、里の皆さんの力です。
「謙虚な方だ。ですが、事実は分かっています」
ザフィラは、円卓の椅子を示した。
「お座りください。時間が惜しい。単刀直入に、お話を」
*
円卓に着くと、ザフィラのほうから切り出した。
「月樹は、あと数か月で枯れます。エルフの里の聖樹を蘇らせた、あなた方の力を、お借りしたい。報酬は、里の宝物庫から、望むものを」
――報酬の話は、後で構いません。まず、約束の件を。
ザフィラの指が、円卓の上で、ぴくりと止まった。
――エルフの里の聖樹に、魔道具を設置した首謀者と実行犯。その引き渡しが、俺の条件です。
「……ネフィラから、聞いております」
彼女は、眼鏡の位置を、指で押し上げた。
「その前に、確認させてください。引き渡した後、あの者たちを、どうされるおつもりですか」
――エルフの里に連れて行って、リオネルさんに判断を委ねます。俺が裁くつもりは、ありません。
「処刑される可能性は」
――あります。それは、里同士で決めることです。
沈黙が落ちた。
ザフィラは、眼鏡の奥で、じっと俺を見ていた。まるで、言葉の裏を探っているようだった。
「……私の民を、死地へ送るのですね」
――装置は、聖樹の命を削っていました。放っておけば、聖樹は死んでいた。
「分かっております」
彼女は、小さく息を吐いた。
「ですが、私の里の者が、それをした。それも、事実です」
その声に、ほんの少しだけ、ざらついたものが混じった。
俺は、聞き逃さなかった。
(今の、罪悪感だけじゃないな)
どこか、焦りや、後ろめたさとは違う、何かを、押し殺したような響き。
けれど、鑑定を使うのは、まだ早い。相手の同意なく覗くのは、礼儀に反する。
*
「引き渡しは、お約束します」
ザフィラは、静かに頷いた。
それから、少しだけ俯いた。灰色の前髪が、眼鏡の縁にかかる。
「すでに、地下の牢に投獄してあります。いつでも、お引き渡しできます」
――月樹を、先に見せてもらえませんか。それから、牢獄も。
「構いません。ネフィラに案内させます。宿も、用意してあります」
――ありがとうございます。
「いえ。礼を言うのは、こちらです」
ザフィラは、顔を上げた。灰色の瞳が、まっすぐ俺を捉える。
「コウイチ殿。もう一つだけ、お願いがあります」
――何でしょう。
「月樹を見たとき、どうか、驚かないでください。私たちの里は、あなたが思っているより、ずっと、追い詰められています」
その声は、懇願ではなかった。事実を告げる、冷静な声だった。
けれど、眼鏡の奥の目が、ほんの一瞬だけ、揺れた。
(……この人、何かを隠してる)
そう確信した。ただ、それが悪意なのか、守るための嘘なのかは、まだ分からない。
アリシアが、俺の袖を、そっと引いた。
「主様。この人、強いです」
――分かってる。
「戦ったら、アリシアでも、簡単には勝てません」
――戦わないから、大丈夫だ。
ザフィラが、かすかに唇の端を上げた。
「……仲が、よろしいのですね」
――よく言われます。
*
館を出ると、ネフィラが待っていた。
「月樹へ、ご案内いたします。こちらです」
歩き出した彼の背中を、見つめる。
月樹は、里の水の源。里の生活基盤。そして、枯れかけている。
さっき、ザフィラが言った。「私の里の者が、それをした」と。
首謀者と実行犯は、全員、牢にいる。人数も、立場も、まだ聞いていない。
(どんな人たちなんだろう)
歩く足の先で、右手の甲が、じんと熱を帯びた。
聖樹の加護の模様が、谷の奥、さらに深いところを指している。
月樹は、すぐそこだった。




