4.29_進化と絶滅。
――この世界は、女神によって破壊された。
厄災を振りまき、多くを殺し、混乱を生み出した女神は、表情ひとつ変えずにセツナの言葉を待っている。
「科学界には、横の進化っていう考え方がある。」
「‥‥興味深いわ、続けて。」
「恐竜が鳥になるのは縦の進化。これは一般的な進化の過程と形。
だけど、生物の進化は横軸の関係性で起こることもある。
オレたちが持っている遺伝子の二重構造は、ウイルス由来とされる説があるんだ。
ウイルスは生き物の細胞に侵入して、自分を複製する。
その過程で偶発的に、生き物の遺伝子と一体化した。
一体化したウイルスは、なぜか生き物の遺伝子を複製するようになった。
結果、生命は遺伝子に二重構造を持つようになった。
ウイルスをその身に取り込むことによってね。
だから、生き物の細胞分裂とウイルスの増殖パターンには、共通点が多く見られてる。
横で繋がっている関係だから。」
ウイルス。
その単語を、今日聞いた気がする。
白衣のボルトマンが言っていた。
ディビジョナーは、生命や物質に憑依するウイルスだと。
「レイ。キミか君の姉妹は、ディビジョナーを使って、オレたちに魔力を知覚できるようにしたんだね?」
この世界の魔力と、現実世界のネクストの性質はよく似ている。
よく似ているからこそ、少しの違いがよく目立つ。
よく似た姉妹が居たとしたら、その容姿や性格の違い、少しの違いがよく目立つ。
似ているからこそ、その僅かな”差”で区別をしようとするからだ。
この世界では、魔力を第七感で知覚ができる。
だが、ネクストは専用の道具無しでは知覚できないし扱えない。
その道具とは、電脳野であり、”ギア”と呼ばれるツールであったりする。
この微妙な違いが、レイとディビジョナーを、進化という線で繋げた。
電脳野の代わりを、ディビジョナーというウイルスで代用したのだ。
ディビジョナーは情報に感染する。
効率良く感染するために、その世界に住む生物などの研究する。
そうやって取り込んだ、魔法界の情報因子。
あるいは、魔法界に充満していたディビジョナーの残滓。
それに科学界の人間は感染した。
感染することで、魔法界の因子を体内に取り込み、人間は魔力を知覚できるようになった。
‥‥そして、ディビジョナーは人間に潜伏しやすくなった。
人間だけでない、それ以外の生物や物質まで、すでにディビジョナーの温床となっている。
この赤茶けた大陸の生態がそれを物語っている。
この説には、まだ疑問もある。
ディビジョナーと化す変異のメカニズムが説明できない。
感染しても、ただちに人の形を失い、ディビジョナーと化す変異が起こっていないことから、感染⇒ディビジョナー化のフローには、まだ知らぬ条件がある。
だが、セツナの予測は厄災後にぱったりと姿を消した彼らの存在を説明できる。
「今になってディビジョナーが再び出現したのも、ウイルスと同じ原理だね。
地球に人口が増えてきたから、ヤツ等は休眠から目覚めた。
ディビジョナー自身は、本能として生命を絶滅させないようにできている。
レイは言ったよね? 絶滅の原因は、人の欲望にあるって。
侵略者は、全てのきっかけに過ぎないって。」
白衣のボルトマンは言っていた。
奴等は狡猾だと。
生存戦略として強いウイルスとは、どういうウイルスか?
世界の人口の25%を殺したペストウイルス? ――違う。
代わる代わる性質を変えるインフルエンザウイルス? ――違う。
最も優れたウイルスとは、DNAの二重らせん構造をもたらした、遥か昔のウイルス。
彼の性質は、あらゆる生命に根付き、あらゆる生命と共にある。
生命が絶滅せぬ限り、DNAウイルスは生き続ける。
彼のウイルスは、遺伝子の箱舟と共にある。
人類は魔力を手にした。
魔力を手にして、ディビジョナーに感染した。
混沌とした世界で生きていくには、混沌を招いた彼らと戦うには、魔力と魔法に頼らざるを得ない。
もう、人類は彼らからは逃げられない。
魔力を用いて彼らに抵抗すればするほど、その身は深くウイルスに汚染される。
身体は深く、ディビジョナーと結びついていく。
この世界の人類は、絶滅を回避するための戦った。
これからもそうだ。
しかし、その戦い自体が、次の絶滅を呼ぶ負のループに陥っているのだ。
種の絶滅を天秤にかけた、途方も無いマッチポンプ。
人間に感染し、その上で人間の天敵として人間を襲う。
それが、ディヴィジョナー。
彼らとの生存競争は、すなわち絶滅に向かうための闘争に他ならない。
我々の命は、秤の上に載せられた。
逃走は許されない。
絶滅に向かうための闘争。
この事実に衝撃を受けているのは、アリサだった。
彼女は優秀だ。
優秀であるがゆえに、3人の断片的な会話から、気づきたくない事実に気づいてしまう。
‥‥端末を操作する手が、僅かに止まってしまった。
セツナがレイに問い詰める。
「いったい何でそんなことを。」
「言ったでしょう、進化のためよ。」
レイの姿は消え、地上に降りて来る。
3人と同じ目線に立つ。
「知ってる? 人間の絶滅する原因について。」
魔法界は、レイの口ぶりからすると、何度も人類の絶滅を経験しているらしい。
人類の絶滅。それは、科学が遥かに発達した文明に住むセツナたちも知らない世界。
――が、予想はできる。知りもしないし、経験もしてないが、予想はできる。
「人間はね? 自滅によって絶滅するの。何度でも、いつの時代でも。
理外者、何か思うことのひとつくらいあるでしょう?」
三度目の世界大戦。
ネクストが原因で勃発し、ネクストによって終結した愚かな大戦。
人類史最大の汚点。
「人間は、飢えないほどの食糧があって、使いきれないほどのお金があって、みんなで分け合えるほどの資源があっても、争うの。」
何も言い返せない。
自分たちもそうだった。
そして今もそうである。
ネクストという無限のエネルギーと資源を手にしても、人類は小競り合いを止められない。
「それは何でだと思う? ‥‥きっと人間は聡すぎるのよ。
文明の進歩に、身体がついていけていない。
飽食の時代にあっても、ひもじい時代のことを忘れられない。
‥‥可愛いとは思わない?」
3人に背を向けて、数歩ほど歩く。
セツナが遠ざかる背中に投げかける。
「だから、進化が必要だと?」
「耽美的な物語は好きだけど、現実のそれは嫌いなの。
我が子の絶滅は、美しくも心が痛いのよ。辛いのは、物語の中だけで充分でしょう?」
だから、これはエゴ。
女神の自分勝手。
どれだけ死のうが、絶滅に瀕しようが、滅びなければそれで良い。
しかし、神がそれを望もうと望むまいと、元々生命の遺伝子はそういう風にできている。
生命とは遺伝子の箱舟、舟が1隻でも残るなら、船体の傷も同胞の死も知ったことではない。
傷つくことを避け、同胞を思うのは、それが航海に有効だからだ。
生命の遺伝子は、それが必要と判断すれば、傷も死も許容する。
だから、これは同族嫌悪。
銀の鏡に映る、血の本性への嫌悪。
女神は進化を望み、遺伝子は自他の死を肯定する。
「‥‥進化は、キミだけの意思? それとも、姉妹全員の意思?」
女神が顔だけ振り返った。
「それを聞いてどうするの?」
「――過保護な女神をぶっとばす!」
理屈は要らない。お互いに。
女神は、目で見て分かるくらい、口元に笑みを湛える。
身体がこちらに振り返る。
「神話の行きつく先は――、親殺し。
それもまた人の所業。諸行無常にある普遍。人の業。」
相変わらず淡々とした口調。
反して、口元は明らかに喜色に富んでいる。
「良いでしょう。母に剣を向けなさい。母なる月にも挑みなさい。
親殺しこそ、神話の結末なのだから。」
女神の啓示は続く。
「‥‥もっとも、三番目に不覚を取る程度の人間が、どれほどやれるかは分からないけど。」
落ち着いた口調で、辛辣な言葉で挑発するレイ。
彼女はまた空に浮かぶ。
「強くなりなさい。侵略者にも、龍にも、女神にも負けぬよう。
それこそが、自滅に打ち勝つ道なのだから。」
レイが言い終えると同時、堰を切るかの如く、脳内にアラートが響き渡った。
強力な攻撃が迫っていることを知らせるアラート。
「神に啖呵を切ったのよ? これくらい、楽勝よね?」
そう言い残して、レイは楽園の空に溶けて消えた。
間髪を置かずに、通信が入る。
「巡航ミサイルが接近! 着弾までの時間――、58秒。」
アリサからの通信を受けて、3人は動き出す。
JJが停めていた車に乗り込む。
乗り込む前に、セツナに火薬鎚を投げて渡した。
ダイナが助手席に座る。
サポットのマイトがマッピングしてくれた画像を表示して、JJをナビゲートする。
セツナは、車のルーフ部分に飛び乗った。
右手に火薬鎚を握って、左手でマジックワイヤーを車に撃ち込む。
車がタイヤを削りながら急発進した。
路面に黒い爪痕を残して、二重の都市を爆走する。
巡行ミサイルを凌ぐために、シェルターに逃げ込む。
それが喫緊の方針。
ダイナがJJの案内をする。
「次の交差点を左。そこから300メートル直進して右。」
「了解。」
プレイヤーができることは、他の人間もできる。
プレイヤーは、PvPで巡航ミサイルを撃つことができる。
ならば、敵が巡航ミサイルを使って来ても何もおかしくは無い。
むしろ、この場合は敵ができることをプレイヤーもできると表現した方が妥当なのかも知れない。
PvPでの経験が、巡航ミサイルという出鱈目な攻撃に対して、スムーズな対応を可能にしている。
20秒ほどの時間を残して、避難シェルターの前に到着した。
四角いマンホールの入り口から地下に続く、いざという時の避難シェルター。
車が止まるのを待たずに、セツナがルーフから飛び降りる。
いの一番に入り口に向かって、マンホールを開ける取っ手を掴んで持ち上げた。
左手で取ってを掴んで、魔力で強化された膂力で思いっきり上に持ち上げる。
開閉する方向は合っている。だが開かない。
――そんな時のための、火薬鎚。
切迫した状況で、脅威から逃れるためのエスケープルートの扉が開かないなんてことは、ゲームや映画では良くあること。
ならば、お約束には先回りで返そう。
取っ手を持ち上げつつ、右手に持った火薬鎚の撃鉄を左肩にぶつけて、撃鉄を起こす。
ダイナとJJが車を降りてきた。
火薬鎚を振り上げて、振り下ろす!
爆炎が鎚を振り回し、セツナの腕を置き去りにする速度で鎚が振るわれた。
肩が外れそうな衝撃が腕を襲い、腰が反射的に退けてしまう。
少々不格好なスイングを、火薬鎚は意にも介さず、本人の火薬だけで固いマンホールを粉々に叩き割った。
セツナがハンドサインを送る。
先に下りろとサインを送る。
マンホールの先にある梯子も使わずに、ダイナ、JJと地下に飛び降りた。
上空に赤い光が何本も灯る。
数が多い、2本や3本ではきかない。
一瞬だけ空を振り返って、セツナもマンホールの中に飛び降りた。
飛び降り、10メートルほど下りて、走って出入り口の近くを離れる。
――轟音の雪崩が、シェルターの中に雪崩轟いた。
空気を押し潰し、シェルターの中に雪崩れ込む。
大気を震わせる衝撃で、最後尾を走るセツナの身体が前につんのめって倒れた。
倒れたセツナの両手を、JJとダイナが掴んで引っ張る。
――音の雪崩が止んだ次は、砂と塵の雪崩がシェルターを襲った。
熱を持ったガラス質な砂と塵が、シェルターに容赦なく雪崩込む。
シェルターの入り口には、真っ赤な砂と真っ白な煙で覆われた。
まるで火山の噴火。
溶岩がシェルターの中を極限環境に変える。
雪崩のおかげで、室温が一気に高くなる。
サウナよりも熱い、熱湯風呂に浸かっている熱さ。
電脳の身体でなければ、火傷を負ってしまいそうなほどの高温に室内が包まれた。
室温の高温化は、なおも留まることを知らない。
ダイナが、セツナの方を見る。
「セツナ、ポーションを貸して!」
ダイナの要求に応えて、ベルトポーチからポーションを取り出して、ダイナに渡した。
アンプル瓶の栓を割って、青い中身を飲み干す。
ブレイブゲージを消費。
魔法のポーションが、勇気を闘志に変換する。
パッシブ「青い活力」の効果を受けたポーションによって、ダイナのアサルトゲージが2本回復した。
魔法を唱える、AG版 ≪魔導書アイスランス≫ 。
赤熱する砂の山を、地面から伸びる氷柱が燃え盛る炎ごと凍らせた。
室内に充満していた水蒸気が凍結して、ダイヤモンドダストのようになっている。
白い煙は消え、吐き出す息が白くなる。
氷の槍が、シェルターに流れ込む砂と塵さえ凍らせて、氷が出入り口を塞ぐ。
轟音も、雪崩も、静かになった。
氷が割れて、積もった砂も燃えていた炎も、綺麗さっぱり消滅する。
綺麗さっぱり静かになった。中も外も。
顔を見合わせる。
梯子に手を掛けて、上を目指す。
不気味なほど静かな、地上を目指す。
風の音さえ聞こえない地上に向けて、梯子を靴底が踏む音だけが空へと伸びていく。
セツナ、JJ、ダイナの順番で、地上に戻った。
そして、消え去った二重の都市を茫然と眺める。
銀行強盗をした時にも見た光景。
街の一角が抉り取られるように、ミサイルで跡形も無く消える光景。
‥‥見覚えが無いのは、経験したことが無いのは、空に浮かぶ魔法陣。
魔法陣から細い光が伸びて、地上の安全を確認する。
確認完了。
――センチュリオン・オーバードライブ。
魔法陣から巨人が降下した。
2体や3体ではきかな。
次から次へと、灰色の平原に、巨人が空から降り立ってくる。
今、10体を超えた。
さっき巨人に勝てたのは、建物のおかげ。
閉所と遮蔽物があったおかげで、戦うことができた。
その遮蔽物は、ミサイルによって一掃された。
比喩では無い、文字通りの一掃だ。
彼らの周囲2kmには、隠れられるような壁などありはしない。
壁も起伏もありはしないので、地球の丸さが目で分かるほどだ。
なだらかな平原を下りた先に、二重の都市が青く霞んで見える。
灰色の平原は、呆然と広がっている。
灰色の平原に、確然と巨人の群れが広がっている。
セツナとダイナが、小さな足取りで前にでる。
「うわぁ‥‥、すっごい人気者だ。」
「いやぁ‥‥、可愛すぎるっていうのも、罪なのかも?」
苦笑いしている2人の背中を、JJがポンと叩く。
「面白く、なってきたろ?」
ポンと叩いて、グイっと肩を組んだ。
「――違いない。」
「こっからじゃんね。」
3人とも笑顔になった。
ひとつだけ、知っていることがある。
目の前に立ち塞がる敵は、相手が誰であれ倒せば良いのだ。
それが1体だろうが10体だろうが、やることは同じ。
全部倒すのだから、数なんて大した意味を持たない。
むしろ、たくさん居た方がたくさん楽しめるので、得をする。
各々、自分の武器を装備して構える。
――最後の1体が、空から降下して着地した。
「皆さん、CEの出撃許可が下りました。そちらに送ります。」
電脳の世界において、戦いとはスポーツである。
スポーツなら、条件はフェアで無ければ。
良質な理不尽とは、公平性の上で成り立つ。
‥‥この時を、随分と待たされた。
鉄の戦士を縛る鎖が、いま引き千切られる。
「センチュリオン、オーバードライブ――。」
空に3つの魔法陣が展開される。
魔法陣から細い光が伸びて、地上の安全を確認する。
確認完了。
「タイタンフォール、スタンバイ!!」




