0.1_チュートリアル_A
2XXX年、人類は、飛躍的な技術進歩の中にあった。
新エネルギー「ネクスト」。
理論上無限の保有量を持つエネルギーにより、過去には机上の空論であった技術が、次々と実現していった。
とくに、情報科学の分野はネクストの恩恵が著しく、加速度的に研究と開発が進められた。
完全な人工知能。
かつて、アラン・チューリングが提起したように、人間のように思考し、人間のように意思決定をするAI。
意識の電脳化。
コンピューターが人間から学びを得るようにに、人間もコンピューターから学びを得た。
そして、人間の意識を、0と1の電気信号で表記できるに至った。
完全な人工知能と、意識の電脳化。
これらは本来ならば、実現と運用には、ともに膨大なエネルギーが必要になる。
それを、一足飛びに解決したのが、「ネクスト」である。
VRゲームは、まさにその技術の結晶なのだ。
◆
「セツナさん、ターゲットは屋上に逃げました。追ってください。」
――オペレーターから通信が入る。
空まで伸びる摩天楼が並ぶ街、セントラルシティ。
その治安を守る、エージェント。
セツナ、そう呼ばれた人物は、オペレーターの指示に、目的地に向かうことで答える。
オペレーターの指示と同時に、視界にナビゲート用の動線が表示された。
現在、エージェントのセツナがいる場所は、セントラルの摩天楼の一角。
地上1,000メートルはくだらない、摩天楼の最上階。
そこには、この摩天楼の主が、つい先ほどまでいた。
セツナは足元に転がっている、黒服を着たボディガードや、護衛用ロボットなどを踏まないように視界に移るナビゲートに従う。
なぜ、黒服やロボットが床に転がっているのか?
その原因は、セツナにある。
彼の役割は、この街の治安を維持すること。
そして、そのために摩天楼の主に用がある。
用があってビルに乗り込んだら、ボディガードとロボットに阻まれた。
そのため、やむを得ず交戦し、現在に至る。
悪趣味な成り金の部屋に調度品が、割れて壊れて、ボディガードたちと一緒に転がっている。
外は曇天だと言うのに、室内灯に金色がチカチカとして、目が疲れる。
そんな部屋を前に進みながら、手に持ったリボルバーを取り出す。
リロードをするために、リボルバーに収められているシリンダーを横に取り出した。
シリンダーを取り出し、イジェクトロッドを操作して、シリンダー内の薬莢を除去。
新しい弾を6発、装填する。
セツナはナビゲートに従い、部屋の一角、白い壁の前に着いた。
いかにも、「社長が座る椅子と机です」と主張する調度品、その奥にある壁。
「ホログラムです、解除します。」
オペレーターがそう告げると、白い壁だった場所に、今度は黒い扉が現れる。
この黒い扉は、非常時の脱出口であるようだ。
横開きの扉を、手動で開ける。
本来は自動での開閉も可能だろうが、オペレーターがハッキングで干渉した影響で、手動で開ける必要があった。
社長室が鉄火場になるような人物のエスケープルートだから、扉も大層なほど丈夫で、重い。
指先を通じて、扉の硬質な重量が伝わってくる。
銃は右手に持ったまま、左手に力を込め、腰を落とし、扉を開く。
扉と格闘すること数秒、人ひとりがギリギリ通れるくらいの隙間が確保できる。
そのまま、扉に入ろうと――。
そうしたところで、違和感。
セツナの耳が、背後から物音を感じ取る。
服が擦れるような、ガサガサとした音が聞こえる。
咄嗟に横方向へと飛び、身を倒す。
身を倒すと同時、発砲音。扉に弾痕と火花が散る。
セツナは、倒れる際に身体を捻り、床に倒れながら後方へと身体の向きを変える。
身体が宙に浮いている間に索敵、敵の位置を把握。
社長机の挟んで10メートルほど先、拳銃を構えた黒服が立っていた。
セツナの身体が社長机に隠れ、銃の射線が切れる。
銃声が止む。射線も視線も切れた黒服が、歩いて移動しているような気配は無い。
セツナが伏せた近くには、座り心地が良さそうな椅子が、彼を見下ろしていた。
「‥‥‥‥。」
数秒にも満たない沈黙。
黒服は机に銃の照準を合わせたまま立っている。
タイミングを見て、どこか遮蔽物に隠れたい。
そう考えて、セツナの出方を窺っていた瞬間――、机の後ろにあった椅子が物凄い勢いで横に滑った。
突然の物音と、椅子が横に滑るという予想外の出来事に、反射的に視線と銃の射線が、そちらに向いてしまう。
黒服の意識が、椅子に釘付けになった一瞬、椅子とは反対の方向から、セツナの身体が遮蔽物から飛び出す。
椅子を蹴り飛ばした反動を使って、椅子とは反対側に床を滑るように移動。
このまま遮蔽物を飛び出して、射撃体勢。
事前に、敵の位置は脳内で補完している。
自分の飛び出す位置と、敵がいるであろう位置から逆算して、敵を視覚で捉える前に狙いを定めておいた。
敵の位置を目視で確認。
彼奴は、まだ視線が椅子に向かっている。
照準を微修正。
銃を構えて、敵に向けて右手の親指を指すように照準。
インスティンクト射撃(本能射撃)という、銃のサイトを覗きこまずに射撃する技法を使う。
先手の利を――、コンマ数秒稼げた ”時の金” で仕留める。
黒服の顔が、こちらを向くと同時に発砲。
リボルバーのハンマーが落ちて、銀色の銃口から、 ”金色の弾丸” が放たれる。
それを、もう1発。
シングルアクションリボルバーのハンマーを左手で叩いて起こし、右の人差し指でトリガーを引いて発砲。
リボルバーから、雷のような発砲音が響いた。
雷の音が部屋中に乱反射して駆け巡り、それから、静かになった。
セツナは、リボルバーのハンマーと起こしながら、自身も立ち上がる。
銃を構えて安全を確認。
机の向こうには、屋外を臨めるガラス張りの壁があって、そこから曇天の雲が社長室を覗き込んでいる。
――他の敵が動く気配、無し。
セツナは黒い扉を、もう少しだけ開いて、扉に背を向けたままそこを通って、社長室を後にした。
◆
扉の向こうは、階段になっていた。
社長室の、趣味のよろしくない、いかにも成り金な調度品が並んでいた様子とは打って変わって、鉄骨と鉄板にサビ止めの塗料で塗っただけの、無機質な階段。
コンコンコンと、小気味よい音を立てて最上階まで登り切り、屋外へと通じる扉を蹴破って、ターゲットの前に登場する。
重い曇天の下、ポツリと人が立っていた。
あれが、今回のターゲット。
彼を捕縛するのが、今回のミッション。
ターゲットは、空から逃げるつもりだったのだろうが、迎えの便はまだ到着していないらしい。
‥‥まあ、どれだけ待っても、来やしないのだが。
「CCC(中央法治機構)だ。大人しくして貰おうか。‥‥できるだけ、ね。」
セツナが左手を前に出すと、ホログラムが現れ、彼の属する組織のシンボルが浮かび上がる。
レトロな時代の、警察手帳に習ったやり方だ。
CCC、そこに属するエージェントとして、プレイヤーはこの世界を体験する。
「うるさい! 中央の犬が、オレに口を聞くな!」
ターゲットとなっているのは、いかにも性根が悪そうな、中年太りの男だった。
運動不足が祟っているのか、額に汗を流しながら、肩を上下させている。
「‥‥‥‥。」
中年太りの男、その息を切らした遠吠えを、セツナは無言で聞いている。
無言で右手で愛銃のハンマーを起こし、引き金を引いた。
「ひぃぃ――!?」
男の腹を目掛けた銃弾は、怯える男の前で弾かれた。
対弾バリアが張られているようである。
「もう一度言うよ? 大人しくして貰おうか。」
無言で発砲するという凶行を意にも介さず、セツナはターゲットに投降を促す。
傍から見れば、どちらが危険人物なのか分かったものではない。
しかし、この街では、これくらいは挨拶みたいなものだ。
現に、こうしている間にも、地上のどこかから銃声が響いて、地上1,000メートルあまりの屋上に、その銃声が届いている。
「クソッ! オレをコケにしたこと、後悔させてやるッ!!」
突如、屋上の床が光を発する。
セツナは、男に銃口を向けたまま、光を左手で遮蔽し、視界を確保する。
視界不良となった屋上には、男の高笑いが響いている。
光の中心から、幾何学模様の、魔法陣のような模様が広がる。
そして、魔法陣の中から、巨大な物体が現れ、男はその物体に取り込まれていった。
「ハハハハハ、見ろ。これがオレの切り札、魔導ゴーレムだ!」
魔導ゴーレムは人型で、高さが3メートルほど。
眼前のそれは、「甲冑型」というタイプで、甲冑のように身に纏って使用するゴーレムだ。
人体感覚の延長でゴーレムを操作できるため、魔法の扱いに不慣れで、戦闘経験に乏しい者であっても扱いが容易なタイプである。
扱いが容易すぎて、簡単に犯罪に転用できてしまうため、この街の法では保有に規制がなされている。
科学の粋であるロボットとは異なる、岩のような表皮。
ロボットにありがちな配線なども見られず、頭部分のモノアイだけが、曇天の下に不気味な光を灯し、忌々しいエージェントを睥睨している。
セツナの耳元に、オペレーターの声が通信で届く。
「魔導ゴーレム!? やはり、魔導兵器の取引がこの都市で――。」
この世界では、魔導兵器の所持には規制が掛けられている。
しかし、最近は規制と規格を破った魔導兵器の流通が増えてきており、法破りの触手は、このセントラルシティ随所に及んでいる。
その調査として、エージェントでありプレイヤーである、セツナが送り込まれたのだ。
魔導ゴーレムがセツナに接近し、腕を振り下ろす。
「死ねい!」
大振りな一撃を、セツナは余裕を持って躱す。
一応、銃弾を撃ち込んでみるも、効果は無かった。
ゴーレムと向き合う。
中に乗っている男の、ニヤニヤした表情が、モノアイから伝わってくるようだ。
そこに、再び通信。
「セツナさん、直ちに魔導ゴーレムの無力化、及びターゲットの捕縛をお願いします。」
「了解!」
オペレーターに応答し、セツナは銃を腰のホルスターに戻す。
空いた右手で、ゴーレムの目を指差した。
「もう一度言う、三度目だ。大人しく投降しろ。」
「抜かせぇい!!」
ゴーレムが、巨体を活かし、腕を横薙ぎに払う。
セツナは、その場から跳躍し、クルリと後方宙返りをしてから、元居た場所に着地する。
「うん。できれば――、大人しくしてくれていた方が、楽ができて嬉しい。」
ゴーレムの拳が襲い掛かる。
バックステップで、リーチのギリギリで捌く。
「でも、抵抗してくれるのは――。」
ゴーレムの目が赤く輝く。
ゴーレムの足元から、地面を抉るように熱線が迫り、屋上の床を浅く溶解させる。
「抵抗してくれるのは――、もっと嬉しい。」
熱線の攻撃は空を切きった。
そこに、セツナの姿は無い。
まるで、そこに最初から居なかったかのように。
まるでそこから、瞬間移動したかのように。
テレポート。
セツナはゴーレムの懐、ゴーレムの目の前に現れる。
「――っ!? 小癪な!」
ゴーレムの目が光り、熱線攻撃のタメ動作に入る。
セツナはその場から動かずに、両手を組み合せる。
右手を下に、左手を上に。
右手を地に、左手を天にして、構える。
両手の間に、力が流れ、やがて力が炎の形を取る。
「ファイヤーボール。」
セツナが唱え、両手をゴーレムの目に向けて突き出すと、彼の手元から火球が放たれる。
火球は、ゴーレムの目に命中し、熱線のエネルギーと混ざり爆発を起こす。
爆発で、その巨体は後方へとたたらを踏んだ。
セツナが追撃のために踏み込む。
足を踏みしめると共に、炎が発生し、物理法則を無視した推進力を発生させる。
推進力が乗った跳躍。
宙を滑るように、重力など無いかのように、直線的な軌跡で突っ込んでいく。
「――ブレイズキック。」
炎を纏ったキックが、ゴーレムの胸に刺さる。
ゴーレムは態勢を崩し、倒れた。
セツナは、ゆっくりと地面に着地。
着地した後、右手に魔法陣が構築される。
魔法陣は、指先から肘にかけて彼の腕を包んで進み、その中から、金属質なガントレットが姿を現した。
――魔導拳士。
魔導ガントレットを駆使し、魔法と体術を組み合わせて戦う戦士。
それが、セツナのファイティングスタイル。
彼は、余裕綽々といった様子で、ゴーレムが立ち上がるのを待っている。
言って聞かないなら、実力行使。
指や首の関節を鳴らして、捕縛を命じられたはずのターゲットに暴力で対応する。
「忠告が聞けないなら仕方がない。作戦変更。――投降しても無駄だ、抵抗しろ。」
「セツナさん!?」
通信越しに、オペレーターのツッコミが入る。
捕縛、あくまでも命令は捕縛なのである。
余裕そうなセツナを見て、ターゲットの男は、たいそう不満げだ。
「クソ! ――クソッ! クソッ!! どいつもこいつも、オレを下に見やがってぇ。」
ターゲットの男は憤死しそうな勢いで、声を荒げる。
ゴーレムの足や拳を地面に叩きつけ、あたり散らす。
子どもが駄々をこねるような動きをするゴーレム。
だが、見上げるほどの、石の体躯でのそれは、もはや致死の攻撃と化している。
セツナに向かって、不規則な動きで、地上に拳と足の大岩が降り注いでくる。
幸い、ゴーレムの動きは目で追える範囲。
目で追えて、身体が対応できる範囲。
ゴーレムの可愛げの無い駄々っ子に、カウンターを入れる。
足に炎を纏わせて、ゴーレムの振り下ろして空ぶった拳骨にキックのカウンター。
ゴーレムを操り、気が大きくなっている時に、熱の冷や水をかぶせられて腹を立てたのか、ゴーレムが足を上げて踏みつけ――。
「飛燕衝。」
バカ正直に大きく上げた足の裏に、右手から魔力の衝撃波を放って、カウンター。
バランスを崩して後ろに倒れるゴーレムに、火球を撃ち込んで追撃。
転倒したゴーレムに向かって跳躍し、石の顔面に目掛けて、炎の踵落とし。
ゴーレムが踵落としに反応。
さすがに、これ以上の追撃には黙っていない。
モノアイが赤く光、熱線がセツナに放たれた。
熱線は、テレポートで躱されて、重い灰色が満ちる空に消えていった。
セツナは、瞬間移動でゴーレムから距離を置いた場所に現れる。
視線の向こうでは、のっそりとゴーレムが立ち上がっている。
立ち上がり、のっそりとセツナに向けて歩き出す。
セツナも、ゴーレムに合わせて歩き出す。
歩きながら、左手をタクティカルベルトのポーチに。
銃をしまっているホルスターを、腰に装備するためのタクティカルベルト。
そこに取り付けてあるポーチから、魔導ガントレットの拡張デバイスを取り出す。
取り出したデバイスは、「コアレンズ」と呼ばれる、薄く丸いデバイス。
ガントレットの甲の部分が開き、そこにコアレンズを挿入する。
それと同時、両者は足を強く蹴り、走り出した。
セツナとゴーレム、両者はタイミングを同じく走り出し、彼我の距離は一気に縮まっていく。
駆けて、近づき――、体格で勝るゴーレムが先に間合いとなった。
渾身の、大振りのテレフォンパンチが放たれる。
質量と速度の乗った一撃は、ノーガードで受ければ、ただでは済まない。
セツナは、避けようとはしない。
受けて立つつもりだ。
迫りくるゴーレムの拳を、正面に捉え、自身の右拳を叩き込んだ。
曇天の下に、稲妻が走る。
強烈な打撃と打撃がぶつかり、閃光のエフェクトが散る。
拳どうしの接触、一瞬の硬直が発生。
拳が痺れる。
硬直と痺れが解けて、――先に動き始めたのはゴーレムだった。
ゴーレムの拳が弾かれ、無防備な態勢を晒してしまう。
隙を逃さず、セツナが畳みかける。
左腕から、魔力で出来た鎖をゴーレムの胸に撃ちこみ、鎖を左手で引っ張る。
魔力の無い世界ならば、うんとも寸とも動かない岩の巨体が、セツナに向けて倒れてくる。
視界を覆うほどの巨体と重量。
それが倒れてきても、怯まない。
「ストライクコア――。」
ガントレットで覆われた拳に、力を込める。
コアレンズは、魔法が持つポテンシャルを引き出すデバイス。
コアレンズは、魔法と掛け合わせて使用し、性能を変化させる。
中でも、ストライクコアはコアレンズの基本形であり、魔法の威力を強化する。
――ストライクコア × 飛燕衝 = ‥‥‥‥。
「ライジング――、インパクトッ!」
倒れ来るゴーレムの胴体に、全霊のアッパーが叩き込まれる。
セツナの拳は、圧倒的な質量の前にしても砕けず、ゴーレムの巨体を捉え、抉る。
岩石のような体が軋みを上げ、胴体を捉える小さな拳を中心、ヒビや亀裂が広がる。
「――吹き飛べッ!!」
ついに、セツナの一撃はゴーレムの巨体を持ち上げた。
アッパーの勢いで宙を飛び、ゴーレムを大きく吹っ飛ばした。
セツナが静かに着地し、ゴーレムの体が大音声を上げて、屋上に叩きつけられ、爆発した。
魔導ゴーレムとの戦い、セツナの勝利である。