第29話 森の中の戦闘
ここまでか、そんな考えが頭をよぎった。
「ここではいい的になるわよ。動きましょう」
モニカさんの言葉に我に返った。
俺は何を呆けているのだ。母上とモニカさんの生命を預かっているんだぞ。
両手で頬を叩いて、自分に喝を入れる。
「馬車は捨てて森に逃げよう。このエルフは置いていくしかないな。モニカさん、足はどう?」
「どうもこうもないわ。やるしかないなら、やるだけよ」
「そうだね。じゃあ母上、移動しますよ。盾を忘れないで」
森の狩人という異名で呼ばれることもあるエルフを相手に森は危険だが、開けた場所で狙い撃ちにされるよりはマシだろう。
街道を目指して下りの方角に進みたいところだが、下ってきた山道に近すぎても発見されやすいので、程々に奥まで進入する。
しかし暗い。道はまだ月明かりで照らされていたが、初夏の森の中はほぼ完全な暗闇だ。モニカさんの怪我も考え合わせると、ごくゆっくりにしか進めない。
「母上、はぐれないように俺の服を掴んでいて下さい。モニカさんは母上の後ろで警戒を」
少しでも離れたいがそれもままならない。無理をして、モニカさんの怪我が悪化したり母上が足を挫いたりしたら、なお一層速度が落ちるだろう。一歩一歩、足元を確かめながら歩くが、手探りで進むうちに、あっという間に方角がわからくなった。
森の中は、とても静かだ。俺たちの息遣いと足音がやけに大きく聞こえる。
未だにエルフに襲われていないということは、ここにはエルフを配置していなかったのだろう。だが、馬車を放棄してきた以上、その周辺は確実に捜索されるはずだ。緊張感と逸る気持ちをおさえて、進むしかない。
どれくらい距離を稼いだかを知ることができないまま、俺たちは無言で足を動かし続けた。
「ねえ、なにか聞こえない?」
そろそろ休憩が必要かと思っていた頃合いで、母上が俺の耳元で囁いた。
「争う声?」
なんだか、こんなのばっかりだ。テルミナ領への逃避行中でも、昼間の誘拐事件でも、いつも中途半端に近いところで争いが起きる。
トラブルは俺に関係のないところで起きて解決してほしい。どうしても巻き込まれるなら、せめて俺の手の届く範囲にしてくれないものか。
「近づくか、それとも遠ざかりますか?」
とモニカさん。
足を止めて考える。近づかない方が賢明な気がするが、ここは現代の日本ではないのだ。毒を持った野生動物もいるし、このまま遭難したら生還率はかなり低くなる。
かといって、争いに近づくのは危険に近づくのと同じだ。
仮に──可能性はそこそこあると思っているが──争いがテルミナ軍とエルフだとして、エルフを避けてテルミナ軍に駆け込めるか、一か八かの賭けになる。
「音は聞こえるけど、見つからない距離まで近づこう。テルミナ軍がいたなら、思い切って合流を目指す。それ以外だったら、逃げる。これでどうかな、なにか意見はある?」
「私は賛成するわ。一度賭けると決めたのだから、少々分が悪くてもやるべきよ。それに、正直辛くなってきたわね。これで遠ざかっても夜が明けたらエルフに追われるのでしょう?」
「私も、今日一日ならなんとか頑張れますが、明日以降も歩けるかは自信がないです。レオナルド君の提案に乗るよ」
そうだな、気力、体力、怪我の具合。どれも永遠には続かないどころか、底が見え始めているしな。
「賛成多数なので声のする方に移動しようか。でもその前に小休憩にしよう。動くのは息が落ち着いてからだ」
休憩とはいえ、のんきに雑談をする場面でもないので、3人とも静かに深呼吸をして腹をくくる。
1番息遣いが荒いのは母上だが、本当に心配なのはモニカさんだ。暗くてよく見えないが怪我の具合はどうなんだろう……。
治療ができる訳じゃないんだから、信じるしかないけどな。
気持ちが緩む前に休憩を終わらせて、俺たちは再び歩き始めた。
音に近づくにつれ、気のせいか歩きやすくなった。木の根は変わらずだが地面のデコボコが少なくなったのだ。人が出入りしているエリアなのかもしれない。
更に近づくと、木々の間から光が漏れてくるようになった。音のする方向からだ。
「父の声です」
モニカさんがそう囁いた。つまりローガン殿があそこにいるということか。
「テルミナ軍のようです。もう少し近づいて、合流を目指します。いつでも走れるようにしていて下さい」
2人の頷く顔が見えた。さあ、正念場だ。
近づくと俺たちはエルフの斜め後ろにいることが分かった。
エルフたちは、簡易的な馬防柵を道に並べ、騎馬を防ぎながらテルミナ軍と戦っている。両軍合わせて100人規模の戦闘だ。
重装備のテルミナ軍に対し、短弓で歩兵を支援しながら機動力を武器に戦うエルフたち。始まったばかりなのか決定打に欠けるのか、戦況は膠着しているように見える。
「重装兵! 隊列を乱さず進め! 馬防柵を排除すればこちらの勝ちだ!」
「弓兵! 後ろの偉そうなのを狙いな! 腕の見せ所だよ!」
ローガン殿と女エルフのヴィヴィアンが指揮をする声がはっきりと聞こえてくるところまで俺たちは近づいた。
戦場を迂回してテルミナ側に逃げ込むべく、2人にジェスチャーでその意思を伝える。この状況なら、少しの足音は無視していい。
篝火の光も届いているので、さっきまでとは進み易さが雲泥の差だ。
森の中を戦場から距離を取りながらテルミナ軍側に向かう。
この時俺は、注意を戦場側にしか払っていなかった。ありがちにも、ゴールが見えて油断したのだ。
その油断を突いて、木の上から1人のエルフが俺を目掛けて踊りかかってきた。
頭上の枝の軋む音に反応したモニカさんがなんとか奇襲を剣で受けてくれたが、上からの攻撃に足を踏ん張ったせいで、苦しげな声を出して膝をついてしまう。
「モニカさん! クソッ!」
追撃体勢をとるエルフに斬りかかる。俺の振り下ろした短剣はエルフに上体を反らして躱され、返しの一撃が俺の頬を切り裂く。
敵のエルフは身ごなしが軽い。動き回るスペースがないので大きく避けることが出来ず、俺は翻弄されっぱなしで、徐々に身体に傷を負っていく。
傷が増えていく中で、このエルフが親方と戦い、俺を吹き矢で眠らせたあのエルフだと気づいた。致命傷を受けずにいられるのは相手が片手だからだ。
俺は両手、相手は片手でも劣勢なのはこっちだ。悔しさと怒りが身体中に充満するが、現実は非情である。
片手エルフの一撃が俺の右手の甲に刺さり、短剣を落としてしまった。
慌てて、距離を取ろうとするも、木の根に足を取られて無様に尻餅をついてしまう。ゆらりと詰め寄ったエルフがトドメの一撃を俺の胸目掛けて繰り出した。
「舐めんな!」
スキル【金属操作】全力発動!!!
出し惜しみは出来ない状況で、俺は奥の手を出した。ありったけの意志を込めて敵の短剣を溶かす!
極限状態の中、時間が引き伸ばされ、ゆっくりと俺の胸に迫る短剣。勝利を確信した片手エルフの白い歯が見えた。
垂直に俺の胸に刺さるかと思われた鋼の刃は、液体が壁に弾かれるように俺の胸で飛び散り、俺が感じたのは刺される痛みではなく、エルフの手と短剣の柄が胸にぶつかる衝撃だけだった。
仰け反ってしまった俺だが、予想外の事態に固まるエルフを左手で捕まえて、柔道の抑え込みのように覆いかぶさった。
「モニカさん! 母上! 動けるなら攻撃して!」
相手も必死だ、その細い体からは想像も出来ない力で俺を振りほどこうと暴れまわる。右手が使えないのだ、このままの状態では逃げられてしまう。
「レオ、いいわよ! どきなさい!」
母上の声に反応して力を緩めると、エルフの拳が俺の頬をとらえた。結果として、母上とエルフの間の障害物はなくなった。
ヒュンという軽い音が俺の横を過ぎてエルフの顔にヒットした。吹き矢だ。痺れ薬の塗られた矢が鼻の横に刺さる。
矢が鉄製のために射程が著しく短いが、この距離なら余裕だ。
その独特の匂いから毒を受けたことを悟ったエルフが立ち上がって逃げ出そうとするが、もう一度抑え込みをして動きを封じた。
1分もしないうちに力の抜けるエルフ。念の為に、俺は落とした短剣を拾い直し、心臓に突き刺した。
「勝った……! うぐっ!」
気が抜けるのと同時に、右手に激しい痛みが蘇る。
「レオ!」
母上がとんできて、俺の右手を持ち上げる。改めて俺も傷口を見るが、出血が多くてよく見えない。まあ、短剣が貫通したのだ、軽い傷であるわけもなし。 ぶっちゃけ、泣きたいぐらい痛いが、ここは我慢だ。
「母上、傷のことは後回しです。エルフ共に気付かれたかもしれませんので移動しましょう。モニカさんは?」
「彼女は傷口が開いちゃってね……。肩を貸すしかないわね」
モニカさんに視線を移すと、お尻を地面につけて足を伸ばして座っていた。母上の言うとおり、包帯が真っ赤に染まっている。
彼女は泣いていた。
「護衛なのに……、情けない……!」
何を言っているのだろうか。守るために戦い傷ついて、また守って傷が開いたのだ。これっぽっちも恥じる必要などない。
「モニカさん、思うところはあるかもだけど、時間との勝負だ。肩を貸すからさ、動こう」
返事を待たずにモニカさんの腕を持って立ち上がらせる。母上もモニカさんの脇に手を入れて身体を支える。
「痛むだろうけど我慢してね」
俺と母上を交互に見るモニカさん。母上はニコリと笑って頷いたが、俺は右手の痛みで上手く笑えなかった。
「行きましょう。あとちょっとよ」
怪我人が二人になったせいか、母上が仕切り始める。
「ほらモニカさん、もっと私たちに身体を預けて。ぶら下がるくらいでいいのよ」
そろそろ、俺の限界も近い。傷だけでなくそこかしこの関節が痛い。足は鉛のように重いが、希望はすぐそこにあるのだ。歯を食いしばって進む。
エルフとテルミナ軍が戦っている丁度中間に差し掛かった時、重装兵に蹴散らされた1人のエルフが、森に逃げ込んできた。
どういう悪運だろうか、俺たちの直ぐ側にだ。
きょとんとした顔のエルフ。俺の顔も相当間抜けだったろう。
ばっちり視線があった。
「ひ、ひ、人質がここにいるぞー! 逃げ出した人質がいる!! 捕らえろぉーーー!!」
味方に向かって叫んでいるエルフを後ろから切り捨てるが、一瞬、戦闘が止まり、戦っている者たちの顔がこちらに向いた。
「はっはー! こりゃあツイてる! あの三人を捕らえなぁ! そしたらニンゲン共は手も足も出なくなるよ!」
ヴィヴィアンが哄笑して指示を出す。
重装兵と騎兵のテルミナ軍と、軽装の歩兵と弓兵のエルフたち、即座に動いたのはエルフ側だった。
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