近すぎて、君が見えなくなるくらいに
「あっ……せんぱい、お勉強中だった? やっぱりノノ、早すぎた?」
ノノは机の上の問題集に気付くと、しょぼんと落ち込みながら僕の顔を覗き込んだ。
仮に勉強の邪魔をされたとしても、ノノを嫌いになるはずが無い。そもそも僕は勉強なんてしていなかったのだから、ノノが早く来てくれたことがどんなに嬉しかったか。
僕は精一杯の気持ちを込めながら、ノノの言葉を否定した。
「ううん、そんなこと無いよ。僕も早くノノ君に会いたいなって思ってたから、来てくれて嬉しいよ」
「そうなの? えへへ~、良かったぁ……でも、せんぱいは偉いなぁ。ノノもね、本当は約束の時間まで宿題を頑張ろうって思ってたの。でも、せんぱいのことばっかり考えちゃって、全然手に付かなくて、こんなに早く会いに来ちゃった。それなのに、せんぱいはちゃんと勉強してたんだもんね?」
「っ、そ、そうだね。まあ、これくらいはね……」
広げられた1ページを見ただけでは、宿題の進捗なんてわかりようもない。ノノからのキラキラとした視線に良心の呵責を覚えながらも、僕は机の上に広げただけの問題集を手早くカバンにしまいこんだ。
「お勉強お終いでいいの? ノノ待ってるよ?」
「大丈夫。もうあと少しだから、帰ってからするよ。それに、ノノ君が近くに居るのに勉強なんて出来ないし……」
「ノノが近くに……? せんぱい、それってっ――」
「え、わわっ?」
ノノに右腕に飛びつかれて、ぐいっと身体を引っ張られた。ノノは小柄だけれど、僕だって同級生と比べたら小柄な方だ。椅子に座っていなかったら、引っ張られるままに倒れ込んでいただろう。
「ノノ君だめだよ、急に引っ張ったらあぶな……い……っ」
それはよくよく考えたら当たり前のことで、予想できたことだ。僕は引っ張られたのだから、ノノとの距離が狭まらない方がおかしい。
年上らしさを見せようとした僕のお説教は、数センチ先のノノに届くこともなくひゅるひゅると落ちていってしまった。
「せんぱい……」
「の、ノノ君……?」
瞬きの度に、ノノのまつ毛の動きまでわかってしまう距離。
呼吸の度に、ノノの甘い匂いを感じてしまう距離。
鼓動の度に、ノノにまでこの高鳴りがバレてしまってはいないかと不安になる距離。
ノノはいたずらっぽく微笑んだ後、更に僕の方へと顔を寄せた。
「っ!」
情けないことに、僕はここで目を閉じてしまった。視界いっぱいに映るノノに心が耐えられず、身体が勝手に防御反応を取ってしまった。そのせいで、僕は余計に苦しむことになってしまうのだけれども。
視覚を閉じた分だけ、他の五感が敏感になってしまう。直接見なくたって脳裏には勝手にノノの姿が浮かんでしまうのだから、目を閉じる意味も薄いのに。僕は急所を晒すように、ノノの前で身体の感度を自ら上げてしまった。
ノノの熱っぽい吐息が僕の唇に当たるのがわかる。吐息は唇の隙間から体内へと侵入してきて、舌を撫でてから喉の奥へと下りていった。
鼻が勝手にひくひくと動いてしまう。ノノに見られているとわかっているのに、情けなく匂いを嗅ぐことを止められない。
ノノが耳元で囁いてくれる瞬間が待ち遠しくて、耳がおねだりするようにピクついてしまう。
「せんぱい、やっぱりそうなんだ。きゅうって お目々をつむって……お鼻もひくひくしてて……お耳も真っ赤だよ? 多分、ノノも同じ……えへへ。嬉しいけど、恥ずかしいね」
ノノの吐息が僕の唇を押す力がどんどん強くなるのは、ノノの顔がだんだんと近づいているからだ。瞼を閉じる前よりもずっと近く。ノノ以外が目に入らないくらいに近く。ふたりの境界が融け合うくらいに近く。
「だっ、ダメだよノノ君……ここ、学校の教室だよ」
「ダメじゃないよ、せんぱい。だって、せんぱいは全然ダメなんて思ってないもん。身体は正直なのに、素直じゃないのはお口だけ……ノノ、せんぱいの本当の気持ちを聞かせて欲しいな?」
「そ、それって……っ、ノノ君――」
ここまで言われてされるがままでいるなんて、いくらなんでも意気地が無さ過ぎる。僕はノノに思いの丈をぶつけようと瞼を開いたのだが、目に入ってきたのは予想だにしない光景だった。
「ノノ君……? ど、どこ……?」
視界に映っているのは廊下へと繋がる扉だけだった。さっきまで目の前に居たはずのノノの姿がどこにも――




