【1-2】知らない森と最初の戦い
死ぬ。
その二文字だけが、商人ゲオルグの娘、シェリーの心を冷たく塗りつぶしていた。
父と二人、初めての長い旅だった。芸術の都で開かれる祭りへと向かう、希望に満ちたはずの旅路。 それなのに、なぜこんなことになってしまったのだろう。
「グルゥゥッ……」
目の前には涎を垂らし、鋭い牙を剥き出しにする巨大な狼の群れ――ファングウルフ。
父が震える手で剣を構えているが、その切っ先は恐怖で定まっていない。商人の護身程度の剣技では、あの刃が獣に届く前に、私たち親子は肉片へと変えられてしまうだろう。
「お父さん……!」
「シェリー、下がるんだ! 私の後ろに!」
父の悲痛な叫び。だが、いつも頼もしかったその背中が、今はとても小さく、脆く見えた。
(ああ、神様……)
絶望に押しつぶされそうになりながら、シェリーがぎゅっと目を瞑った、その時だった。
ガサガサッ!! ドオォォォン!!
森の茂みが爆ぜたかのような音と共に、突如として『それ』は現れた。
見たこともない、黒い詰襟の衣服を纏った、岩のごとき巨漢。
あの狼の親玉よりも遥かに大きいその体躯は、人間という枠を逸脱している。あれは人なのか……?
それとも、森の奥深くに住むという人食いの巨人……?
巨漢は、殺気を放つ狼たちには目もくれず、まっすぐにこちらを――ううん、私を見つめている。
その大きな瞳に、ギラリと強烈な光が宿った。
(ああ、終わった……!)
新たな絶望に、シェリーの全身が凍り付く。狼に食い殺されるか、あの巨人に捻り潰されるか。どちらにせよ、私たちの命運はここで尽きたのだ。
「(美少女発見! しかも、超ピンチじゃねぇか! これは……俺が助けたら、そのまま『私、あなたについていきます!』ってパターンか!? よっしゃぁ! これぞ王道ハーレム展開!)」
少女の絶望とは裏腹に、護の思考は驚くほど単純かつポジティブだった。
怯える少女の可憐な姿は、彼の「ヒーロー願望」と「モテたい願望」という二大燃料に、一瞬で着火したのだ。
やるべきことは一つ。目の前のケモノどもをぶちのめし、颯爽と彼女を救い出すこと。
「おーい! そこのワンちゃんども! お前らの相手は、この俺だーっ! その美少女から離れろ! さもないと、俺の筋肉が火を吹くぜ!」
護は腹の底から大声を張り上げ、ファングウルフたちの注意を全て自分へと引きつける。 そのあまりに野太い咆哮に驚いた狼たちが、一斉に護へと向き直った。獲物を横取りしに来た敵と認識したのか、唸り声を上げながら襲いかかってくる。 鋭い爪が、鋼鉄をも噛み砕く牙が、護の体に突き立てられた。
「いってぇな! 俺の筋肉でも、さすがにちょっとは痛えぞ! おいおい、噛むのはやめろ! 俺は食い物じゃねえぞ!!」
だが、その程度だった。
ファングウルフたちの必殺の攻撃は、護の鋼鉄の如き筋肉にとっては、整体師に少し強めにマッサージされている程度の刺激でしかない。
工業高校の実習で鉄骨を担ぎ、日々の過酷な筋トレで鍛え上げられた肉体は、異世界の魔獣相手でも十分に通用していた。制服は引き裂かれ、浅い傷からは血が滲むが、致命傷には程遠い。
護は近くにあった、大人の胴回りほどもある手頃な倒木に手をかけた。そして、まるで小枝のように軽々と地面から引っこ抜くと、即席の棍棒として構える。
「(うおっ、なんかリアルな戦闘って感じだ! こういう時って、やっぱアレだよな? 漫画とかゲームの主人公みたいに、ド派手な技名を叫んだ方が絶対カッコいいし、強そうに見えるはずだ!)」
護は大きく息を吸い込むと、眼前の群れを見据えた。
「いくぜ、てめぇら! 《筋肉・ハリケーン!》」
ブォォンッ!!
丸太のような棍棒が唸りを上げて、暴風の如く横薙ぎに振るわれる。
直撃を受けたファングウルフたちが、まるでボウリングのピンのように軽々と吹き飛び、木々の幹に叩きつけられていく。
その姿は、もはや人間ではなく、まさしく『怪物』。
数匹を瞬く間に戦闘不能にし、怯んだ狼たちの親玉らしき一際大きな個体に、護は狙いを定めた。
「これで終わりだ! 《剛拳・磐座砕き!》」
ドォォォォン!!
渾身の力で振り下ろされた棍棒が、親玉の頭蓋を粉砕する。
断末魔の悲鳴を上げ、親玉は動かなくなった。それを見た残りの狼たちは、戦意を喪失し、蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げていく。
静寂が戻った森の出口で、護は棍棒を肩に担ぎ、満足げに息を吐いた。
「大丈夫か、お嬢さん! 怪我はないか? 俺が来たからもう安心だぜ! さっきのはちょっと派手にやりすぎたか?」
護は、まだ震えている商人親子に駆け寄った。さっきまでの戦闘の荒々しさが嘘のような、満面の笑顔で。
ゲオルグは、その圧倒的な暴力と、自分たちに向けられる屈託のない笑顔とのギャップに、ただただ圧倒されていた。
「あ、ありがとうございます……! あなたは命の恩人です! このご恩は、決して忘れません!」
深々と頭を下げる親子を見て、護は「よ、よかったー! 言葉通じるんだな!」と心底安堵した声を上げた。
「いやー、異世界に来て言葉が通じないのは、ちょっと困るなと思ってたんだ! まさか、こんなに早くヒロインと出会えるとは、俺のモテ期もついに来たか!」
「は、はあ……?」
独り言のようなテンションの高い言葉に、ゲオルグは困惑するが、護は気にせず続ける。自分がどうやら見知らぬ土地に迷い込んでしまったらしいこと、自分がどこから来たのかも分からないことを、身振り手振りを交えて説明した。
「……ってわけで、ここがどこだかさっぱりなんだ。悪いけど、近くの町まで案内してくれねぇかな?」
その途方に暮れた子供のような表情に、ゲオルグは先ほどまでの恐怖を忘れ、不思議な保護欲のようなものすら感じていた。
「もちろんですとも! 我々の目的地である海洋都市マリーナまで、ぜひご一緒ください!」
馬車に揺られながら、護は親子からこの世界の常識を教わった。
ここはネオテラ大陸、エルドラド王国という国らしいこと。護が倒した怪物は「魔物」と呼ばれていること。
そして……。
「もしかして、冒険者のかたですか?」
「冒険者?」
娘のシェリーが、護の問いに目を輝かせながら答える。
「はい! ギルドに登録して、人々の困り事を解決するとても格好いいお仕事なんです! 強くて、困っている人を助けて、世界中を旅して……」
護の脳内に、電流が走ったような衝撃が抜ける。
ゲームや漫画で、何度も何度も夢見た職業。それが、この世界には『現実』として存在するのだ。
「(マジか! 冒険者って本当にあるのか! ゲームとか漫画だけの世界じゃなかったんだ! ってことは……俺、王道ハーレムラノベの主人公と同じスタートラインに立ってるってことじゃねえか! よっしゃぁぁぁ! 俺のモテ期、本格始動だぁぁぁ!)」
護は、異世界に来たことを改めて実感し、その胸を高鳴らせた。
「あの……改めて、自己紹介をさせてください。私はゲオルグ商会の会長ゲオルグの娘、シェリーと申します」
「俺は磐座護だ! よろしくな、シェリーちゃん! あんたみたいな可愛い子を守れて、光栄だぜ! ってか、シェリーちゃんって名前、可愛いな! 声も可愛いし、最高だぜ!」
護がニカッと笑うと、シェリーは「か、可愛いなんて……」と顔を赤らめ、熱っぽい視線を護に向けた。
「護さん! 冒険者になってみないですか? 護さんのそのすごい筋肉ならきっとすごい冒険者になれると思うんです!」
生まれて初めて、女の子に真正面から自慢の筋肉を(たぶん)褒められた護は、天にも昇る心地だった。
「まじで!? よっしゃー! じゃあいっちょ冒険者になっちゃおっかな! 俺、なるからには最強を目指すぜ! 世界中の魔物をぶっ飛ばして、みんなを守って、絶対トップになるからな! シェリーちゃん、見ててくれよな!」
馬車が揺れるほどの大声で、護は力強くガッツポーズをした。
やがて、マリーナの街の門の前で、ゲオルグが馬車を止めた。
「護殿、我々はこれから商会の宿舎に向かいますが、もしよろしければ、先ほどの魔物の亡骸をマリーナのギルドまでお持ちになると良いでしょう。特にあの親玉は、この辺りでは名の知れた賞金首のはず。討伐の証明となり、いくらかの換金にもなります。冒険者になるなら、最初の実績は重要ですよ」
「本当か! ありがとう、おっちゃん! 助かるぜ!」
護はその親切に深く感謝し、ファングウルフの親玉の亡骸を馬車の荷台から下ろした。
「あの、護さん!」
去り際、シェリーが護を呼び止め、小さな白いハンカチを差し出した。隅には、船の碇を模した刺繍が施されている。
「もし、マリーナの街でお困りのことがあれば、これを……ゲオルグ商会の者に渡してください。それと……」
シェリーは意を決したように顔を上げ、潤んだ瞳で護を見つめた。
「また、必ず会いに来てください。約束、ですよ」
「……おう! 約束だ! シェリーちゃんも、気をつけてな! また会おうぜ! ってか、あれ? (これって、漫画とかだと、このまま『私も一緒に行きます!』ってパターンじゃねぇのか? あれ?)」
護は力強く頷き、ハンカチを受け取った。 シェリーが名残惜しそうに、護の巨大な背中がギルドの方へ向かっていくのを見送る。護は振り返らない。シェリーは、その背中が完全に人混みへと消えるまで見つめていた。
護の姿が見えなくなった後、ゲオルグは娘の顔を覗き込んで、にやりと笑った。
「シェリー。お前、あの方に惚れたな?」
「ち、違います、お父様!」
シェリーは顔を真っ赤にして否定したが、その声は少し上ずっていた。
「惚れてはいません。でも……私の商人としての勘が告げているんです。あの方……磐座護さんは、いずれ必ず、この世界にその名を轟かせる人になる、と。……あの規格外の強さと、あの底抜けの純粋さは、とてつもない『価値』を秘めています」
「……ほう」
ゲオルグは、娘の言葉に目を見張った。
そこにあったのは単なる恋心だけではない、商人としての冷徹な分析眼だ。いつの間にか、自分の娘が、ただ守られるだけのか弱い少女から、未来の価値を見抜く確かな目を持つ商人に成長していることに、彼は驚きと、頼もしさを感じていた。
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