エピローグ
ドレシアが最低限の都市機能を取り戻すのに、そう時間はかからなかった。
異形、疫病、暴動。
都市を揺るがすほどの混乱がたどり着いた先は都市創始以来始めての「世代更迭」であった。
アルキュミア・マックス・ウリウスが感染した患者を人体実験に用いていたことがたちまち町中に広がり、一方、その罪を暴いたデミカスは民衆から注目を浴びた。加えて、実はリアン・トルヴィスの血族であるという肩書も功を奏して、旧市街の支配者は今度こそ表舞台に上がることになった。
無論、すんなりというわけにはいかないだろうし、混乱が収まったとはいえ、秩序が戻ったというには程遠い。残る課題はまだまだ山積みである。
たとえば、現在デミカスは一部の反対者を取り入れるために、アルキュミア・マックリ・ウリウスの葬式に出席している最中である。
「残りの連中はたいてい頭がかたい。こうでもしないと、なかなか頷いてくれねぇ。『それでも何百年も町を守ってくださった方』って騒いでな」
旧市街の一角。
窶れ顔の青年は物々しい軍団を前に、ため息まじりに説明する。
デモに多大な武力支援を貢献したアクサス帝国第〇〇魔装独立大隊は補給が完了したのち即座に本国へ帰還するため、こうしてミゲルはデミカスの代わりに見送りにきたわけである。
「魔石の加工は工房が復活次第できるだけはやく用意する。輸送についても提案したプランで行う予定だ」
「ああ、よろしく頼む、ミゲル殿」
ウーイー少佐が敬礼してから差し伸べた手を、ミゲルは握る。
そんな光景を、クリシスはぼんやりとした目でみつめていた。
砂の黄色と木の緑が描くオアシスの幻想的な風景。
町に来た当初より廃れて、壊れかけた状態に陥ったものの、確実に復興の兆しを見せ始めた。しかし……
クリシスが当初考えていた結末とはあまりにもかけ離れている。
あれ以来、モイラの姿はどこを探しても見つからなかった。
意図的に自身が抱えていた不死者の力を誘発し、暴走した弟子の力と相殺した師は、それに見合うだけの対価を払うことになった。
不死者は髪が全部灰色になれば、自我を失い、封印されない限り暴れ続け、やがて消え失せる。
そう、クリシスは師匠に教わった。
モイラが髪が全部灰色になっても普通に活動しているのは、英雄テイオ・レグゲートが遺した聖遺物『吸収』でバランスをとっているに過ぎない。
はたして本当に未来に行ったのか、それとも……
「師匠……」
戦いの途中から意識が戻っていただけに、少女は深い後悔の念に苛まれてしまう。
自分の勝手で他人を巻き込むことは決してクリシスは望んでいない。
だから間違ってはいない、と確信できても――ちゃんと考えてから行動する――の重要性を、いまになって切に痛感した。
この数日の間、少女はろくに表情を見せないまま、ただぼうっと考え込んでいる。
「クリシス」
「?」
元、なんでも屋の男が近づいて、わざとらしく咳払いをした。
青年が自分の荷物を盗んだのはつい先日のことなのに、クリシスはなぜかとても遠い昔のことのような気がしてならない。
「まずはこれを」
懐から取り出したのは、封を入れた一枚の羊皮紙。
「アルキュミアがオレに託したものだ。知りたい情報が書かれてる」
「そう、ですか?」
ブラン・インク。
この名前は先日目覚めた時既にミゲルから聞いた。
東大陸を中心に活動する技術者で、ハルトマン領を滅びへ導いた張本人ベーゼのために義肢を作った、かもしれない人物。
だから、この羊皮紙になにが書かれているのか、クリシスには疑問を覚えた。
「ボスからの手土産みたいなもんだ。役に立つと思うが、使い方はおまえ次第だ。それとすでに何度も言ったが……」
ミゲルは頭を深く下げた。
「町を助けてくれて、ほんとうに感謝する」
緑の障壁――クリシスが父ズィーゲルの力を中途半端な形で引き出して構築した最終防衛法陣は依然光を放ち、砂漠からの脅威を防ぎ続けている。
まだ決して万全とは言い難いが、数万体の異形が塵と化したことで、広大な砂漠に位置する町は再び平和が訪れた。暴動で殆ど損害を受けていない金属体。自前の防御工事と、これからアクサス帝国から派遣される部隊があれば、数万の異形が相手でもドレシアはそう簡単には落とされないだろう。
しかし……
実際に術式を使って、クリシスはなんとなく分かった。
このような大魔法は、地理に依存してようやく成り立つものだ。
使い手はあくまで起動するための魔力を提供すればいい。先日黄蛆の巣へ向かう途中で見たように、ドレシアの地下は豊富な魔石資源に恵まれている。だからこうして不完全な形でも辛うじて形を維持することに成功した。
だとしたら、あの時、父は果たしてどこからこれほどの力を用意したのだろう……そもそも、人が昏睡に陥るのも術式にないものだ。ここ数日ドレシアの住民がいつも通り生活していることがなによりの証拠である。もしかして、トリア神官が使っていた錫杖こそが源なのか。だからベーゼが手にした途端、最終防衛法陣はとけた、とか。
いろんな考えがクリシスの頭に渦巻いて、ただ答えを得られないまま、心は曇っていく。
「いえ、私は」
「当たり前のことをしただけ、なんて言わせないぞ」
そんなクリシスの考えを知るはずもなく、ため息を吐いて、ミゲルは頭を掻く。
「この町の人間はみんなおまえに借りがある。ボスもそう思ってるに違いない。ここ数日会いに来ていないのもそのためだ。利用した相手をいまさら恩人と呼ぶ図々しい真似はできないからな……でも、これからドレシアの商人の町ではなく、『信』『義』の町になる。何かある時はとことん頼ってくれ」
――私にはそんな資格はありません。
そう口にしようとして、クリシスは踏みとどまった。
見ている。
ミゲルだけでなく、ウーイー少佐たちもそうだ。
自分たちが町から離れている間、町で何が起きたのか、クリシスはミゲルから聞いている。だからこれから一緒に旅をしようとしている仲間が何者であるか、クリシスも分かっているつもりだ。
アクサス帝国軍人。
神への信仰のない西大陸で、国家の利益を最優先にする人たち。
そして……師匠はすでに傍にいない。
そんな自己満足ための言葉は、もはや口にしてはいけない。
これから何を成すべきか、クリシスははっきり自覚している。
だから心にのしかかっている暗い感情を抑えて、頑張って微笑んでみせた。
苦笑に近い表情になったかもしれないが、弱音を吐くよりはずっとマシだろうと思った。
「では、世界を救うために力を貸してくださいませんか」
「おいおい、いきなり大掛かりだな……」
しかしこれは紛れもなくクリシスの本心からの言葉だ。
「ドレシアという町が存続しているだけで、東大陸は魔石鉱の支援を受けることができます。そして東西を繋いだ道も途絶えることはありません。それだけで十分助かっています」
はぁ……とミゲルは盛大なため息を吐く。
「あんたはほんとうにすごいよ」
そしてまっすぐクリシスの目を見つめて、青年は言う。
「この恩は必ず返す」
差し伸べられた手を、クリシスはすこし躊躇って、握る。
手袋をつけているが、それでも感じる金属の重み。
もし半年前に、自分がベーゼの手が義肢だともっとはやく気づいていれば……いまはどうだろうと思った。
「では、いつかまた会いましょう、ミゲル」
「必ず」
この時代においては贅沢な別れ言葉だと思いつつも、クリシスはあえてそう言った。
「ウーイー少佐」
「これからよろしく頼むよ、クリシス殿。我々は必ず貴方を東大陸まで案内する」
魔装を着こなす帝国軍人。
物々しい甲冑を着込んだ彼らの後ろは本来町から撤退するために組織が掘った洞窟。
最終防衛法陣で籠城状態に陥ったいま、ここは外へ繋がる安全なルートとして使われはじめた。
「ええ、これからよろしくお願いします。ウーイー少佐」
気を引き締めて、クリシスは歩き出す。
赤い髪の半分も灰色に染まった少女は、再び東大陸へ旅立つ。




