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【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
第一部 ハルトマン領陥落
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第9話 約束

 使用人用の食堂で、クリシスはベーゼと卓を囲んで、食事をしていた。


 料理は質素なパンと煮込みのスープ。


 下ベリーが思ったよりもはやく落とされて、食糧庫から屋敷に持ち込めた食糧はそう多くなかった。ゆえに配給制を取り、供給量も最低限に抑えている。


 クリシスは伯爵家の息女という立場から、本来なら家主用の食堂で食事を取るべきだったが、このような状況下でなお特殊扱いを受けるほど自分は貢献していると彼女は思わなかった。


 しかし……


「お嬢様、もっとちゃんとした食事をご用意いたしましょうか」


 うしろ、褐色のメイドは当たり前のように控えている。


「メイドちゃ~ん。もっといい食事、お願い~」


 席の向かい側、無精髭のおじさんが声を荒げている。


 クリシスの思いと裏腹に、返って目立つことになっている。


「ええ、構いませんわよ。いますぐご用意いたします……そうですね。確かにゴキブリの刺し身はいいかもしれません。少々お待ちください」


「おいおい、食事中だぞ。えげつないな……」


 口ではそう言っているものの、ベーゼはガブとパンを一口齧って、どこからか取ってきたワインを呷った。


「くそ、こうなると知っていりゃ干し肉を少しでも残しておけばよかった」


 そしてもぐもぐと不平不満を口にする。


「うるさいですわよ。ミカン如きがせっかくの静けさを邪魔しないでいただきたいものです」


 リサは吐き捨てるように言う。


「静けさ?」


 クリシスはひっかかった。


 確かに賑やかには見えないけど、人が集まれば当然言葉は多く飛び交う。現に周りから明らかに浮いている三人の声もすぐ呑み込まれてしまうほどだ。


「申し訳ありません、お嬢様。誤解を招くような言い方をしてしまいました。さきほどの言葉は先日、に比べて静かになったという意味でございます」


「まぁ、争いごとがなくなったって意味だろう。でしゃばると今晩は狙われるだろうしね。守備軍は六人、死者は十人。あと四人の穴が残っている。目立つような真似すりゃ真っ先にやられるかもしれん」


 飄々と、まるで自分と無関係のようにベーゼは補足する。


「ええ、腐ったミカンには賛同したくありませんけど、まさしくそのとおりです。昨日まで犯人が誰なのか、ここで揉め合っていました」


 冷ややかな視線でベーゼに向けながら、リサは男の言葉を肯定する。


「その時はクンペルが仕切っていましたね。一刻も早く犯人を突き止めて内部の消耗を止めたいでしょう。しかし残念ながら守備軍以外最初の犠牲者になってしまいました。あれは見せしめの意味も込めているかもしれません」


 クンペルが、あんなことを……。


 クリシスにとって、固い執事が人と争う光景などまったく想像できないものだ。


 でも、その気持ちは理解できる。


 勇者あにが前線から戻ってこない限り、この数の異形を退けるのは不可能に等しい。現在屋敷に残っている人数は98人。日に十人という頻度で減り続けていれば、最終防衛術式はすぐにでも解けてしまうだろう。


 援軍が来るまで持ち堪えるには、犯人の特定は確かに必要不可欠だ。


「お嬢様」


 歩み寄る足音がした。


 クリシスが視線をあげると、鎧姿のファルミが軍礼姿で立っていた。


「お嬢様、ご同席させていただいてもよろしいでしょうか」


「ファルミ、無礼ですよ」


 無感動な口調、氷を含んだ冷たさでリサは糺す。


 たかが城塞警備の隊長風情が主人と並ぼうなど言語道断と言わんばかりに、若干の怒りさえ混じっていた。


「いいえ、リサ、構いませんわよ。ファルミは馬鹿ですけど礼儀知らずではありませんわ。何か大事なお話があるのでしょう」


 ――そして、明日から会えなくなるかもしれない人でもあった。


「感謝します。お嬢様」


 机にぶつける勢いで、ファルミは頭をさげる。

 

 クリシスとベーゼ。


 二人とちょうどいい距離の取れた席に腰をかけた。


「実は、モイラ殿に用があって、ついでにこんなものを持ってきました。よかったらどうぞ」


「おお、気が利いてるじゃねぇか、小僧」


 ファルミがごそごそと懐から袋を持ち出す。中に軍に支給される腸詰め(ソーセージ)がいくつかあった。保存食としてはかなり貴重なもので、いわゆるとっておきの品だ。


 ベーゼが無遠慮に口に放り込む光景を、クリシスはとてつもなく複雑な気分で見つめた。


「うめぇ!」


 ソーセージを齧り、ワインを一口呷る。


 ベーゼは周りに見せつるように舌鼓を鳴らす。


「ミカン様、いくら実力があろうと、あまり派手に立ち回ると今晩殺される恐れがありますよ」


 リサが冷たくこの場にいる人間の声を代弁した。


「バカ野郎。だからこそだろうが、人間は生きてるうちに楽しむもんよ。死んだあとじゃ話にならねぇ」


 妙に理に適っているところがまた腹が立つ。


 さすがに男の無頼漢ぶりに慣れたクリシスも苛立ってきてしまった。


 見れば周りの机の人たちも鼻筋に皺を寄せて別のところに移動しはじめている。


 はぁ……と、長い溜息をこぼして、クリシスは額を押さえる。


「んで、小僧。どういう了見だ。わざわざこんな手土産まで持ってきて。オレだから受け取ったけど、普通の人間なら今晩死ぬって人から楽しみを奪うような真似はしねぇぞ。だから……」


 口を袖で拭いて、ベーゼはにんまり笑う。


「言ってみろ。できる限り要望に応えよう。あと、呼び方はベーゼにしておけ。モイラの名が出ると騒ぐからな」


「ならいますぐ死んでください」


 言ったのはリサである。


「メイドちゃんには聞いてねぇよ!」


 すかさず邪魔に入る付添メイドのつっこみに、クリシスは失笑した。


 でも、そっか。一応人間の心を持っているよね。この男……


 と、クリシスはベーゼへの評価を少しだけ斜め上へ調整した。


「ほんとうにすまない。恩を着せるような真似をして」


 ファルミは再び頭を下げる。


 さきほどのやり取りをまったく気にする素振りはなく、一息ついて、ただまっすぐベーゼと向き合っていた。


「ハハハッ、おまえみたいな正直者は好きじゃないけど嫌いでもないからな。で、頼みってのはなんだ?」


「はい、状況が状況なので、ベーゼ殿にも無理を強いるつもりはない。ただ、単刀直入に言わせてもらうと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが自分の望みです」


「ファルミ……」


 クリシスの呟きを、ファルミはただ軽く会釈して返す。


 はっきりこそ言っていないが、これは「あとは頼む」と言っているようなものだ。


「屋敷の警備隊長として、部下たちを守れなかった自分には責任を取る必要がある。ただ、お嬢様とトリア神官にはなんとしても生きてほしい。お嬢様に何かあれば勇者サルースに申し訳立たない。そしてトリア様はまだお若いですが、ここ数日の働きを傍で見て、将来は立派な司祭に成れると自分はっ」


「おっと、ちょっと待った」


 覚悟で固めた言葉を、ベーゼは低い声でとめる。そして一度振り向いて、食堂の奥に視線を送った。


 そこに、配布を手伝っている神官の姿があった。


 傍からは立っているだけ、のように見えるが、神官を見て落ち着く人は少なからずいる。


 信仰は、こういう時に役立つものだ。


「小僧、聞いていいか」


「何なりと」


「おまえ、信者なのか」


「いえ、自分はハルトマン家に忠誠を誓った身、洗礼は行っていません。無論教会には好感を持っているが、ミサに時々顔を出すぐらいしか」


「じゃ、つまり、あの神官に惚れてるか」


 …………ストレート過ぎる。


 見ていられないと言わんばかりに、リサまでため息を漏らした。


「はい、端的に言えばそういうことになります」


 だが、どこまでもまっすぐな眼差しで、ファルミは迷わず答えた。


「なるほど、分かった。引き受けよう」


 ベーゼも即答だった。


「おじさんはね。あまり大義とかそういうの好きじゃないのね。もしお前が世界のためだとかなんとかであの神官ちゃんを守ってほしいなら、お断りよ。教会のヤツは苦手だし。でも、まぁ、好きな女のためなら話は別だね。これでも妻も子供も持ってる身だ。気持ちは分かるぜ。安心しろ、あの娘は助けてやるよ。約束する」


「感謝いたします!」


 深々と、ファルミは頭を下げる。


 ベーゼがこうも快く引き受けると思わなかったのか、口元に苦笑が滲んでいた。


 一方、クリシスはというと、口をぽかんと開けて、心底から信じられないという表情だ。


「ベーゼさんって、ご結婚、されているのですか」


 すると男は無精髭を撫でて、さぞや自慢げに笑った。


「無論だ。今年はもう四十六だぞ。結婚しないほど大人しい生き方をした覚えはない。嬢ちゃん。娘もおまえぐらい大きくなってるぜ」


「「えぇぇ!」」


 さらに衝撃的な事実に、クリシスだけでなく、ファルミまで目を丸くした。


「確かに、年齢的に考えればいてもおかしくありません。それに、旦那様と会話した時も『父親として』などおっしゃいました」


 涼しい顔でリサは隣で補足する。


 父と話している時はだいたい周りの状況が見えなくなってしまうので、クリシスにしてみればまったく聞き覚えのない話だ。


 が……


 この男、娘がいるのに若い娘にあんなことをするなんて……こんなお父様、私でしたら絶対に嫌だわ。


 出会ってからのことを思い出しながら、クリシスは無意識に半眼になった。


「二人ともいまは安全な場所に?」


 質問したのはファルミだった。


「ふう~どっちかな」


 困った顔になって、ベーゼは珍しく言い淀んだ。


「もう家を出て五年も経つからな。最後に会ったのは聖王国のほうだから、まだあっちにいるだろう。教会に預けてもらったわけだし」


 そう言いつつ、ベーゼはまた酒を一口呷る。


 勇者候補ともなれば、家族も厳重保護対象になる。


 それはクリシスも知っていることだ。


 ハルトマン家は貴族で、自前の守備軍を持っていたため教会の保護を必要としなかったが、普通なら関係者全員聖王国まで移住してもらうことになっている。


 しかし、さすがに五年も家に帰れないのはクリシスにとっては予想外である。


 特級冒険者に勇者候補、目の前の男はそれだけ多忙な人生を送っているということだろう。


「この戦いが終わったら、妻と娘の顔を見に行きたいぜ」


 …………


「ミカン様、このような話はあまり口にしないほうがよろしいかと。これは俗にいう不幸を招く言葉でございます」


 みなが一様に黙り込むと、リサだけが冷やかな目でベーゼに助言した。


 男は不敵に笑う。


「平気さ。準備さえ整えていればこれぐらいどうとでもなる。これでも勇者の次に強い自信はあるぜ。妻と娘にかんしちゃ……まぁ、教会は嫌いだが、信用はしている。なんの問題もない」


 そう、どこか遠い目で、ベーゼはトリアのほうを見た。


 半分以上の人が食事を終え、自室に戻ろうとした時、見習い神官はようやく一息つけるようになった。


 隅のほうに一人座って黙々とパンを齧っている。


 小さな桜色の唇を開いて閉じ、よく噛み締めてから喉へ転がす。献身を象徴する神官服を着込んでなお、その歳相応の可愛らしさが隠しきれないでいる。


 しかし、純潔を神に捧げる乙女と今宵命を落とす戦士、か。


 物語の主人公にしては、少々残酷過ぎると、クリシスは思った。

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