エピローグ
「ここは、夢じゃないですよ」
薄く青い光に満たされた空間。
無機質なテーブル越しに、白い髪の少女は薄く笑いながらそう言った。
「……ああ、そうなんだろうね」
その可愛らしい声につられるように答えたものの、まだ意識がはっきりしない。
右手で頭を押さえると、微かな規則正しい痛みとともに記憶が滲むように甦っていく。
まばたきすら億劫に感じるのは、単純な疲労ではなさそうだった。
酷く、長い夢を見ていたような感覚。
泡のように弾けたそれは、とても大切なものだった気がしたけれど、もう思い出せそうになかった。
「私は……」
呟き、人形めいた白い髪の少女から目を逸らした。
なんて寂しいところなのだろうと思った。
無機質で乾いた岩石の天井に、壁に、床。
「これがなんだか、分かりますか」
その声はどうしてか懐かしく感じて、無視することを許さない。
ぱさ、とテーブルの上に置かれたのは、薄汚れてところどころが破けている、手の平に少し余る本のようだった。
ずきり、と頭が痛んだ。
「……、いや」
分からない。そう答えるより早く、対面の白い少女の口元が歪んだ。
それは喜色のようで、しかし今にも泣きそうに見えた。
濡れている血のような真っ赤な両の目が固く閉ざされ、次に開かれたときにはしかし薄く笑っていた。
「ヒイラギさん」
そう呼ばれ、ああ私の名前だとこの時になってようやく思い出した。
曖昧だった記憶が色を伴って浮き上がり、頭の中心で染み込むように定着していく。
この場所は、私の……。
「お前は……いや、私は」
自身の声が随分と可愛らしく、まるで子供のようだと思った。
見下ろした手も足も細くて小さい。ようではなく、子供そのものだった。
「……どれくらい経った?」
「さぁ」
白い少女……いや、『魂の器』によって再構成されたということか。
人間一人をこうして記憶まで保持させて。
少しずつ頭の中が冴えていく。ようやく最期の口付けを思い出した。
「どうして私を?」
この少女にとって私の存在は許容し難いものの筈だ。
はっきりと決別したことを思い出した。
「話をしたかったから」
事も無げに言ったその言葉は嘘ではなさそうだった。
それだけの為に、なんて台詞は私が言うべきではないだろう。
「……まぁ、付き合うよ」
「ありがとうございます」
こつん、と石のテーブルが指で小突かれ、小さな破断音とともに大小様々な食器がテーブルから生えてきた。
それを注視しようとして、息が止まった。
「ああ、見えていますか」
「……ああ」
こういう風に見えるのか。魔素というものは。
悪戯が成功したような可愛らしい笑みを浮かべた白い少女は、こつこつとテーブルを指で叩き魔素を躍らせる。
この光景を見ることができていたら、私はこの世界を愛せていたのだろうか。
カップに注がれたそれは湯気を立たせ、ほんのりと甘い香りを漂わせている。
「時間はいくらでもありますから」
少女のその言葉に不穏なものを感じ、魔力を廻らせた。
この小さな身体は『魂の器』を模しているのだろう。
これは自画自賛になるのだろうか、人間の身体より遥かに使い勝手が良さそうだ。
そしてようやく気がついた。
「……そういうこと」
にぃ、と笑った真っ白な少女は、唇を湿らせてから口を開いた。
左目をぱちりと瞑って。
「お話しましょう」
「……永遠に、か」
生きていく、と言っていたか。
道連れ、なんて生易しいものではない。
どれほどの怒りを、どれほどの恨みを抱えれば、そんな結論に行き着くのだろう。
いや、行き着いていないからこそか。
なんて恐ろしく。
美しく、完成したのだろう。
最後に作った、私の──。




