十二話 守るものと壊すもの
「『災厄の魔女』め。『魔王』をこのような場で生み出すとは」
その声は空間を満たす魔素に乗って、直接伝わってきているようだった。
祭壇の大きさから考えて五メートルほどもある人の形をしたそれは、輪郭がぼやけていて上手く視認できない。
身体には魔力が……いや、魔力そのもので構成されているように見える。
どこか懐かしさすら感じるその魔力は、透明なようでいて先を見通せない。
こちらに向けられた手、その指が僅かに動くのを見て『拒絶空間』を張りなおした。
ぢ、ぢ。
「リチェル、ままの後ろにいて」
「うん」
再び熱風が撒き散らされ、その行為が無駄だと悟ったのか、そいつはこちらに差し向けた手を下ろした。
よく分からないけれどさて、意思疎通は可能なのだろうか。
なんてことを思った瞬間。
「う、お……っ!」
ぢ、ぢ、ぢ。
咄嗟に『神槍』を再構成できたのは獣の耳と尻尾と左目、全てで警戒していたから……そして、その動きが竜の少女よりは遅かったから。
数十メートルの距離を一息で詰められ振り下ろされた三メートルはあろう光り輝く魔力の剣を『神槍』で受け止めた。
耳を震わせる不協和音が空間に響き渡っている。
これは……『神槍』が魔力の塊を切り裂いていく音だ。
感情が読み取れない。
人の形をした巨大なコレに、しかし目も鼻も口も付いていない。
頭部を模したそれはつるりとしていて、魔力が輝いているだけ。
「……ふっ!」
輝く魔力の光剣を裂き、そのままの勢いでくるりと身体を回転させつつ、真下からその気味が悪い頭部へ一閃。
振り上げた『神槍』の穂先は狙い通りそれを真っ二つに断ち割った。
ぐらり、と人間のように膝をついたそいつは、だらりと弛緩した様子で動かなくなった。
……死んだ?
「……あの」
おずおずと声をかけると、ぴくりと動いたそいつは真っ二つになった顔をこちらに向け、震えた。
「『魔王』め」
「シエラです」
そんなヤバそうな名前で呼ぶな。
こちとら可愛らしい女の子だぞ。
「『魔王』シエラ。これ以上先には進ませんぞ」
切り裂かれた頭部、その傷口から光が溢れ出した。
周囲の魔素が一斉に励起している、恐ろしい規模の魔術、しかし一歩踏み込み、手で触れた。
「……『魔王』め」
「私の名前は教えましたよ。あなたはどちら様ですか」
雰囲気としてはおばば様の魔術だという黒い人型に近い。
解けていく縒られた魔素を見やりつつ、感情の窺えない目の前の魔力体の返答を待つ。
ほどなくして諦めたのか、頭部を細かく震わせてそいつは答えた。
手がくすぐったい。
「名は無い。『守り手』だ」
守り手。
……どこか懐かしいと感じたのは、そういうことか。
「……神さまに会いたいんですけど、どこにいるんですか?」
それは、触れてはいけない核心だったらしい。
弛緩していた巨大な身体に魔力が一瞬で廻り、傷口から先ほどの比ではない光が魔力が溢れ出た。
これは抑えられない。
一歩引き、『拒絶空間』を展開しようとした瞬間。
「めっ!」
ごつん。
俺の後ろにいた筈のリチェルが、巨体の真上から拳を振り下ろしていた。
魔力を素手で殴った上にイイ音が鳴ってたけど、それそういうものなのかなぁ。
『竜』ってすごいなぁ。
「……っ、……っ!」
この魔力で構成された巨体に痛覚はあるのだろうか。
いやありそうだな、なんか震えてるもん。
しかしすぐにまた魔力が廻り、魔素が励起し。
ごつん。
「ままとちゃんとお話して!」
ごつん。
「りちぇ……あの、その辺で……」
やはり感情は読み取れないけれど、見るからに魔力の廻りが悪くなっていく。
というより巨体が一回り小さくなっている。
大丈夫かな……。
呼ばれたリチェルは俺の横にすすす、と歩み寄り、えへへと笑った。
……まぁ、悪いことをしたわけではない……ということにしておこう。
頭を撫でくり回し、でもやりすぎないようにねと付け加えておく。
「……『魔王』め。始祖に連なる『竜』をも従え何を目論んでいる」
伝わる気配は厳しい。
さっきのあれは恐らく自爆……『守り手』としての責務、そして覚悟の表れか。
リチェルが抑止力になっているとはいえ、もう一度同じことを聞くのはちょっと怖いな。
しかし『魔王』か。
近しい言葉は聞いたことがある……『魔族の王』とやらを作り出すと言っていたのは誰だったか。
あれは……正しく黒き魔女の後を追っていると語っていた、泥に塗れた老人。
確かキルケニス・オーグリア。
「……あの。私は『魔王』なんて物騒なものじゃ」
「『神』に牙を剥き地の底に封じられし忌み子。世界に仇なす暗き者」
辛らつ……。
俺がへこんでいるのを察したのか、リチェルが再びずい、と前に出た。待て待て。
「大丈夫だから」
心配そうにこちらを振り向いたリチェルの顎の下を撫でた。
きゅるる、と目を瞑り気持ち良さそうに鳴くその緩んだ頬を見つつ、考える。
こいつが言った『災厄の魔女』とは、ヒイラギのことで間違いないだろう。
あの『災厄』を指しているのは最早疑いようもない。
『魔王』……目の前のこいつは頑なに俺のことをそう呼ぶけれど。
思い浮かぶのは、十数年前に音楽の授業で習ったシューベルトのそれ。
一歩前に出る。
開こうとした口は、しかし遮られた。
「世界に終焉をもたらす『人造の魔王』め」
その言葉は、隠そうともしない嫌悪と敵意で構成されていた。
膝をついているのに尚見上げなければならない大きさ、人の形をした目の前のこいつはしかし震えてはいない。
その言葉は、頭上からだった。
振り上げようとした『神槍』を止める。
見上げたすぐ上、リチェルのゆるゆるな服から色々なものがしかし弾けた光で逆光になり見えなかった。
ばちっ。
完全な不意打ちで飛来した光線のようなそれは、リチェルが雑に振り払った手でかき消された。
空中で羽を広げて体勢を整え、ふわ、とこちらに降りて来たリチェルを抱き止めた。
「……リチェル、手は大丈夫なの?」
「? うん」
そっかぁ……。
『魔王』だなんて仰々しく呼ばれたけれど、この子の方がよっぽどじゃないかなぁ……。
と、きゅるきゅる鳴いて甘えてくるリチェルの髪を撫でていると、頭上の霧の中からそして周囲のぎゅうぎゅうに絡まりあった木の根の間からも、巨人としか形容のできない魔力の塊が次々と現れた。
その数、合わせて十二。
ぐるりと囲まれている。
「なぜ『魔王』に付く『始祖の竜』」「『魔王』め。汚らわしい『魔王』め」「おお、おお。子らの魂がなんという」「『災厄の魔女』め。よくぞここまで」
「『狭間の結界』が破られている」「やはりか、『災厄の魔女』」「『魔王』と『竜』が手を組むなど」
一斉に喋んな!
小刻みに震える空気が魔素が妙にくすぐったく感じる。
そしてめちゃくちゃ眩しい。もう少し光を抑えてほしい。
こちらに向けてかざされる手、励起していく魔素。
それらを身体に感じながら、赤熱している『竜の心臓』に手を当てる。
ああ、ルッツ・アルフェインとキルケニス・オーグリアは、残りを見つけていた。
「リチェル、上で待ってて」
「うん!」
リチェルのおでこに口付け、転移の魔術を発動させた。
竜の少女の姿が忽然と消失し、遥か上空に現出したのを獣の耳で捉え、ぐるりと首を廻らせる。
そして膨大な熱量と光が周囲から発現する予兆。すぐ近くにいたこいつも三度目の正直とばかりに魔力を膨らませている。
しかしそれを脅威とは感じない。
熱さを増していくお腹の下に僅かな不安と確かな予感が孕んでいる。
光の線が弾けるより先に、身体の周りで捩れていた魔素を手で撫でた。
それは狙いで、現象の材料だった。
取り囲んでいた光の巨人の腕が暴発し、粉々に砕け散った。
痛みはないのだろう。
しかし生物かどうかすら怪しいそいつらは一度大きく身体を震わせ、後ずさった。
『竜の心臓』の脈動は治まった。
指先まで魔力が行き交う満たされた感覚。
衝動が身体の中で渦を巻き、知らず口元に笑みが浮かんだ。
「はあぁ」
吐く息が熱い。
目を瞑る。
あの女の願い、それに至る為の手段。
理解した。
今この時この身体こそが、あの女が求めたもの。
この世界の神に爪が届き得るのは『魔王』という存在そのもの。
それを一から作ろうとしたのか。あの女は。
なるほど『守り手』と自称したこいつらの反応もむべなるかな。
つまり俺はこの身体は、神さまの天敵ということらしい。
「……どうすれば会わせてくれるのかな」
独りごちるも、答えが一つしかないことは分かっていた。
吹き飛ばされた光の巨人の腕は既に元通りになっている。
その手には長大な光輝く剣。
神と呼ばれた主を守る、忠実な守り手たち。
ああ、剣を構える彼らの姿は、よほど人間らしい。




