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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第五章 続いていく世界
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八話 再会は青い洞窟で

「多分今日で、百年目」


 独りごちた私の声は、光も差し込まない岩に囲まれたこの場所で、しかし何にも反響せずに消えた。

 結局、帰ることは叶わなかった。


「せっかく、完成したのに」


 涙は流れなかった。

 多分、とうに渇ききっていたのだ。

 この世界の神を殺すと決めたあの日から、既に。


 肉体と魂は相思相愛で、その結びつきは酷く歪に絡まりあっていた。

 私は、私の魂を引き剥がすことができなかった。

 完璧で、完全な器を作ることができたというのに。



 だから、その声を聞いたとき、その動く姿を目にしたとき、息ができなくなった。

 最初は何者かが奪いに来たのだと思った。私の全てを注ぎ込んだ傑作品を。

 しかしそうではないのだと気がついたとき、その懐かしい言葉の響きを聞いたときに浮かんだ感情を、言葉に表すことはとても難しい。

 喪失感にも似た安心感。

 余命ではなく終命を告げられたような。

 その瞬間に心臓が止まらなくて良かったと思った。


 迷い込んだ魂は驚くほど綺麗に定着していた。

 あまりにも綺麗すぎて、簡単に剥がれ落ちてしまいそうだった。

 殺してしまうのは簡単だったけれど、もう戻れないと悟った私にとって、故郷の言葉はあまりに魅力的だった。

 そして自画自賛になるけれど、その声は可愛らしく、ずっと聞いていたくなるものだったから。


 同郷の者に託せるのなら、それでもいいかと思った。

 だけどその故郷の香りを乗せた一言一言を聞く度に、諦めて消し去った筈の願いが、鎌首をもたげていくのが分かった。

 魔素を見せたときのキラキラした瞳を見ながら、初めて使う魔術を編んだ。


 随分と飲み込みの早い(恐らく夢だと思い込んでいたのだろう)故郷からの異邦人は、上手く隠していたつもりだったのだろうけど、私の話を聞いてあろうことか……泣きそうな顔をしていた。

 自身の境遇を知らされて尚、他人に同情してしまう、優しい人間のようだった。


 だから私は、一つだけ、嘘をついた。





 見覚えのある、淡く青白い光が半球状の空間を満たしている。

 後ろをちらりと見ると、あの時のままご立派な木造りの扉が岩肌に埋め込まれていた。


「んん……?」


 思わず口からこぼれた言葉に反応する者はいない。

 酷く静かな、終の棲家。

 俺が目覚めたあの台座が、空間の中央でやはり寂しくぽつんと屹立している。


 目を切り替えた。

 天井を壁を地面を濃密な魔力が満たしている。

 あの薄く漏れ出るような光は、許容量を超えた魔力が滲み出ているようだった。

 恐ろしい程に澄んだ、魔力の結晶。


「ここは……」


 目覚めたあの場所、だよな。

 引きずり込まれた、そして引きずり出された……そうだ、あの手は一体誰なんだ。

 ぐるりと見回す、俺の他に生き物の気配はない。


「……」


 扉に手を触れてみる。

 あの時は簡単に開いたそれは、岩のように動かない。


 振り返り、一度深呼吸してから、人差し指の付け根に口付けた。

 屹立する台座の前に転移、くるりと身体ごと辺りを見回す……やはり、何もいない。


 のっぺりとしたそれに手で触れる。

 ひんやりと冷たいそれは滑らかで、傷も継ぎ目も一切見当たらない。

 押してもビクともしない。


 ……うん、何もない。

 さて、どうやって脱出しようかな。


 もう一度扉を調べてみよう、そう思いつつ振り向き、固まる。

 音も、気配も、なかった。

 淡く青い光を湛える石でできた、精緻な椅子とテーブル。

 そして、黒い髪の女の子の細い指が、コツコツとテーブルを叩いた。

 軽い破断音がテーブル表面のそこかしこで鳴り、大小様々な物が生えた。

 可愛らしいマグカップ、立派な燭台、古めかしいやかん……年代も様式もバラバラに見えるそれらは、生えた先から独り立ちしていく。


「な……んで」


 枯れた湖で遭った、ルッツ・アルフェインの気配が微かにある。

 自らを『変質』させ、黒き魔女に近づこうとしていた少年。

 しかし、今相対しているこの魔力、この香りは。


 間違いなく、あの女だ。


「ああ、そうだったね」


 その声は、聞き覚えのあるものだった。

 赤い大きな瞳に白い肌。

 見たことのある……いや、この身体に瓜二つのしかし真っ黒な髪の少女が指をぱちんと鳴らすと、石でできた椅子の上に、薄桃色の座布団がぽふっと現れた。

 随分と立派な、座り心地の良さそうな。


「座りなよ」


 四肢に魔力を流し、『吸血鬼』を手に取る。

 どういうことだろう、俺は今、夢でも見ているのだろうか。


「夢では、ないよ」


 テーブルの向こうに座る正反対の少女は、にぃ、と笑った。

 まるで、俺の胸の内を読んだかのように。


 敵意は感じない。

 けれど、足が動かない……この感覚は知っている。恐怖だ。


「驚かせてしまったかな」


 黒い髪の少女……ヒイラギの後ろずっと向こうに扉は見えている、けれど恐らく開かないだろう。

 左手と左目を使えばいけるだろうか……心の準備だけはしておこう。

 『吸血鬼』をしまい、分厚い座布団に体重を預けた。


「こんなに早く会えるなんて、思ってなかったよ」


「そう……ですか」


 同じ声色、同じ顔。

 ただ髪の色と獣の耳だけが違う、鏡を見ているようで気味が悪い。

 死んだと、思っていたのだけど。


 コツ、と石のテーブルが指で小突かれ、目の前のマグカップに液体が満たされていく。

 燭台に小さな火が灯り、青白い光に負けじと空気を柔らかく暖める。

 今だから分かる……恐ろしく緻密で繊細な魔術。


「作り物だから。空に月が二つ浮かんでいるから。

 ……身体の中に核が二つあっても、おかしいとは思わなかったかな?」


 何を言っているんだろう、と思った瞬間……気がついた。

 それはあまりに遅く……致命的だった。

 頭と身体、それぞれの真ん中にあったどす黒い魔力の塊、その片方……頭の中が、空っぽになっていた。


「この世界の連中は『アーティファクト』、なんて呼んでいるみたいだね」


 引きずり出されたような感覚は、これか。

 意識すれば、頭の中が空虚感で満たされている。


「二つで一つ、『無限の相克』。魔力を生み出し続ける、私の作品の一つだよ」


 そう言ってヒイラギは、自身の薄い胸の真ん中を指でトントンと叩いた。

 ああ、よく見える。

 この身体の中にあるそれと、そっくりな塊が。


 震える手で紙箱を取り出した。

 一本を咥えると、対面のヒイラギがくすりと笑い、身体を乗り出した。

 柔らかく突き出された唇に一本を差し出す。


 よいしょ、と子供のように座りなおしたヒイラギは、一度魔素の煙を吐いてから口を開いた。


「本当はね。206のこれが全て消費されたとき、私はその器に顕現する筈だったんだよ」


 二百……一向に減らないと思っていたけど、そんなにあったのか。

 中途半端な数だけど、意味は分からない。


「『それ』に干渉して少しずつ私の魂と魔力を馴染ませていく。そういう魔術」


 独りでに青い炎を点らせるこれは、妙に安心すると思っていた……そういう意図が秘められていたなんて知らずに。

 だけど恐らくまだ、半分……いや、四分の一も使っていない。


「想定外だったのは、お前自身のことさ」


「私……いや、俺ですか」


 だらり、とテーブルにお行儀悪く身体を預けたヒイラギは、見た目とは違いどこか年齢を感じさせる。

 疲れているようで、眠たげな。


「そんなに気に入ったかい、その身体」


 どういう意味だろう。

 あれやこれや全てを見られていた、というわけではなさそうだけど。


「私の腕が良すぎたのもあるんだろうけどね。……たったひと月で入り込む隙間もないほど定着しているとは思わなかった」


「魂と身体の話、ですか」


「そう」


 つまり、黒き魔女の目論みが失敗に終わった、ということだろうか。

 それなら目の前にいるこの鏡写しの少女は、どういう。


「そこで、提案なんだけど」


 パキパキ、という乾いた音に振り向くと、屹立していた台座の表面に幾何学的な線が幾つも入り……ぱらぱらと剥がれていった。

 崩れた先から地面に溶けるように消えていき、残されたそれは棺のよう。

 中には、人間が入っていた。

 とてもよく見慣れた、しかししばらく見ていなかった、懐かしさすら感じる。


「お前が望むなら、入れ替えようか。ソレと」

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