二話 降り立つ人外の者たち
左手で左目を押さえた。
俯瞰する。
東に向けてぽっかりと口を開いた湾、その最奥にある港湾都市リフォレ。
それをぐるりと中途半端に半分だけ囲むように展開している人間の群れ。
港湾都市側からの動きはないように見える、結界が街を全て覆い隠しているけれど三姉妹のそれとは違い、隠蔽性はない。
見えている範囲内の人間が多すぎてよく分からない、とりあえず外壁に跳ぼう。
そう決め、右手の人差し指に口付けた。
魔力が抜け落ちた感覚の後、最初に感じたのは浮遊感、また大きく上にズレたらしい、吹き上がる温かい風と轟音で獣の尻尾が震える。
陽射しを照り返す海原、遠くに浮かぶ船、また飛び出さないように空中でリチェルを抱きかかえた。
眼下、切り替えた左目にはやはり結界が街を覆っているのが見える。
その表面を魔術だろう炎の槍や氷の塊が着弾しては弾けている。
「ソラ、着地任せる」
「はい」
横方向のズレはほとんどなかったらしい、あの結界は……大丈夫そうだ、街の外壁に直接降りられそう。
街の外、人数はざっと見た感じ五千はいるだろうか。かなりの迫力だ。
しかし降り注ぐ魔術は散発的で、炎が空高く巻き起こり紫電が縦横無尽に走り派手に見えるけれど……有効的ではないように見える。
というよりなんだろう、魔力から殺気を感じない。
考えが纏まる前に風が身体を柔らかく包み、リチェルの翼が落下の勢いを軽減した。
着地。石造りのそれが崩れることもなく。
お見事ですね。
降り立った、傍目から見ると三人の少女の姿を捉えた、外壁の上で何をするでもなく外を囲む魔術都市の兵を見ていただけの兵たちは、ぎょっと目を剥き後ずさった。
敵襲だと勘違いされただろうか。
無理もない、俺とソラの身体には獣の特徴が現れているし、リチェルに至っては尻尾どころか角と翼まで生えている。
しかし咄嗟に剣を抜き構えた彼らの視線は鋭いものの、こちらに向かってくる様子はなく、逆に構えたそれをすぐに下げ始めた。
ぐるりと首を廻らせる。
外壁の外側に張り付くように建てられている住居も結界が覆っていて、範囲は思ったより広そうだ。
街の中はところどころ騒がしいものの、混乱状態というわけではないらしい。
外側で戦闘が起こっている様子もない、どういう状況なんだろう。
「白き魔女様、ですか……?」
恐る恐る、といった様子で声をかけられ振り向くと、兵士の一団……全部で五人か、随分と畏まった直立不動で立っていた。
誰だろう、風に巻かれ乱れたリチェルの髪を撫でながら答える。
「そうですけど」
俺の言葉におぉ、と小さく声を上げた彼らは、一斉に片膝をついた。
おお?
「空より降り立った純白の美しき少女……話に聞く『リフォレの大樹』に福音をもたらしたというその光景を、この目で見られるとは」
感極まった様子で目頭を押さえた先頭の兵士は、ばっと顔を上げて続けた。
まだ若そうな彼らの顔色は大軍に囲まれているにも関わらず、明るい。
「もし白き魔女殿が来られたら、街の中心『リフォレの大樹』までお越し頂くよう伝達されております」
「……ダルセイさんですか?」
「いえ」
おや、という疑問が顔に出たのだろう、答えた兵士は僅かに目を伏せ、何故か少しだけ申し訳なさそうに口を開いた。
「……おばば様です」
……誰だっけ。
確か以前、コリン・クリシュと……ああ、そうか思い出した。
なんだか面白い名前の黒い人型を操っていた、いや面識はない筈だけど。
「分かりました。向かいます」
「お気をつけて」
びしっ、と気持ち良いくらい真っ直ぐに直立した彼らの視線を受けつつ、遠く街の中心部、頭だけ見えている真っ白な『リフォレの大樹』を睨みつける。
されるがまま撫でられていたリチェルが、俺の動きにつられて顔を上げた。
「あれ、ままの木ー?」
「うーん……ままのだけじゃないんだけどね」
きゅる? と俺の曖昧な言葉に首を小さく傾げたリチェルに笑みを返し、ソラの手を握る。
魔力の量はまだ充分。
転移の魔術を発動させた。
『リフォレの大樹』のてっぺんに掴まり、辺りの様子を窺う。
思っていた以上に静かな広場には魔術の気配が満ちていて、どうやら街を覆っている結界はこの街の中心部から発現されているらしい。
広場に敷き詰められた磨り減った石畳、その外周部にぐるりと魔術師が配されている。
普段ここを賑わせている傭兵たちの姿はどこにも見当たらない。
「さっさと降りといで!」
突然、漂う魔素を吹き飛ばさんばかりの怒声が広場に響き渡った。
しゃがれたその声は老婆のようだったけど、その矛先は間違いなく……俺だよな。
最大限警戒しつつ、飛び降りた。
着地。
ほとんどが『リフォレの大樹』に背を向けている中で、その老婆の目だけが俺をしっかり捉えていた。
その手に持つ杖はねじくれている。
「まったく最近の若いもんは時間にだらしないねぇ」
ふえぇ……なんか怒られてるよぉ……。
いや待って、感謝されこそすれ怒られる筋合いなくない?
一応助けにきた感じなんですけど?
恐らくおばば様その人だろう声に反応してこちらを振り向いた広場にいた人々。
その中にやはりいた、ダルセイとコリン。
「お姉さまっ!」
充分な助走距離、勢いよく飛び込んできたコリンを抱き止め、柔らかな栗色の髪を撫でた。
俺の両隣に降り立ったソラとリチェルは物珍しそうに周りを見回している。
おお、なんだかすごい注目されてる……。
「……久しぶり。元気だった?」
「はい!」
相変わらず元気な子だ。
子犬のように甘えてくるコリンとの温かな空気はしかし、一喝されて吹き飛んだ。
「さっさとこっちに来んか!」
ひぃ。
なんなのこの人さっきからぁ……。
おばば様と思しきその声にコリンは気にする風でもなく、お姉さままた後で! と元気に駆け戻っていった。
ソラはそ知らぬ顔で『リフォレの大樹』の根元に座り、話が終わったら呼んでくださいと言わんばかりに目を瞑った。
いつも通りのソラを見やり……リチェルは何やってんだ。
ソラの真上、ご立派な大樹の幹に張り付いている。
……蝉かな?
突っ込みたいところだけどまぁいいや、老婆の視線が険しい。
これ以上理不尽に怒られるのも嫌だし、さっさと行こう。
恐らくこの広場にいるのは皆魔術師なのだろう、俺の姿を見て恐怖と羨望とが入り混じっている。
スティアラ・ニスティとアイファ・ルクの姿は見えない。
「……初めまして」
「はん。初めましてときたかい。こまっしゃくれた嬢ちゃんだね」
刺々しい……。
しかし俺の頭の上に生えている獣の耳と、お尻の上から生えている獣の尻尾(びびって垂れ下がっている)を見ても特に反応なし、か。
「上から見てきたんだろう? どうだった」
「……どう、とは」
思い返す。
街から距離を置き、散発的に魔術を行使する魔術都市の兵士たち。
攻め落とそうとするでもない、ただ時間と魔力を浪費しているようなそれに、何の意味があるのだろう。
「思ったままを言いな」
「……時間稼ぎ」
俺の自信なさげな言葉を受けて老婆はねじくれた杖をカツン、と石畳に突き……にやりと笑った。
こわいんだが。
「結界を突破できず攻めあぐねている、なんて言わなくて安心したよ」
老婆の言葉に周囲の魔術師何人かがちょっとだけ気落ちしたように見えた。
今の問答は……試されたのだろうか。
「ふん。それなら後は嬢ちゃんに任せようかね。その為に来たんだろう」
「えぇとまぁ、はい」
老婆は満足げに頷いてから、杖をつきつつ広場の外周へ歩いていった。
それと入れ替わるようにダルセイが額の汗を拭いつつやってくる。
少しだけ疲れているように見える、この状況を考えたら仕方ないか。
「お久しぶりです、ダルセイさん」
「シエラ殿、よく来てくれました」
こんなに感情を顔に出す人だったっけ。
心底安心した、という顔色はつまり、精神的に相当追い詰められていたということだろうか。
「時間稼ぎ。そう、恐らくは時間稼ぎなのです」
ダルセイ・クリシュの説明は簡潔で明瞭だった。
魔術都市の兵たちによる中途半端な街の包囲は二日前から続いている。
街を覆う結界は中心の広場、『リフォレの大樹』を囲むように配された魔術師複数人によって維持されており、これを突破するのは並大抵のことではない。
魔力的な余裕はまだある、しかし遠からず限界がくる。
間断なく降り注ぐ魔術は勿論ただのお遊びではなく、結界を削る……つまり魔術師の魔力を削る為のもの。
真綿で首を絞めるように。
「外にいる連中の目的は街の占領ではなく……我々魔術師を疲弊させることです」
昼も夜も絶えることのない攻撃に耐え切れず、街を捨て逃げ出せば速やかに占領される。
街の外での決戦は戦える者の人数差が開きすぎていて勝ち目はない。
かといってこのまま街に立て篭もり続ければ先に疲弊するのはリフォレ側だ。
根無し草の傭兵ならともかく、街に根差している者にとってこの状況は……。
首を廻らせ、獣の耳をぴこぴこと動かす。
確かに以前来たときより人間の数が少ない、傭兵と呼ばれる人種はほとんど逃げ出したのだろう。
ただそれでも結界を維持する魔術師たちへの差し入れだろうか、店先で炊き出しする人々の姿も見られ、その表情は決して暗くない。
大樹の根元に座っているソラはいつの間に毟ったのだろう、白い葉っぱをくるくると丸めて棒状にして口に咥えている。
リチェルは先ほどと変わらず幹に張り付いたまま小さな六枚の羽をぱたぱたさせている。
……なんでだろう、俺が恥ずかしくなってきた。
コリンによる体当たりがダルセイの腰に直撃し、呻き声が上がった。
ちらり、とこちらを覗き見るコリンの表情には初めて見る……どこか緊張しているような、硬さが見え隠れしていた。
ほとんど物怖じしないこの少女も感じ取っているのだろう。
この街の、そして住む人々の危機を。
だから、笑顔を浮かべた。
ほぁ、と呟いたコリン、そしてこちらに注目していたのだろう周囲の小さなざわめきが止んだ。
ああそうか。
今頃気がついた……笑みを浮かべられるだけの余裕が、人々にはなかったのだ。




