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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第四章 旧き竜の末裔
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三十三話 香りに包まれて

 さて、どこにいるんだろう。

 ちょっと背伸びをして廊下の窓から外を見ても、その姿は見当たらない。

 きょろきょろしながら正面ロビーまで来たところで、拭き掃除をしている侍女の子に声をかけた。


「あの」


「っは、はい」


 直立不動、緊張しているのがありありと伝わってくる。

 恐怖感はなさそうだ。単純に三姉妹の客だから、か。


「テテとトトはどこにいますか?」


「……?」


 頭の上に疑問符を浮かべ、首を傾げる侍女。

 どうやら伝わらなかったらしい。


「えぁっと……髪がぴょんぴょん跳ねてる、姉と弟の……」


「あ、ああ。はい」


 通じたようで、身体の前で手を打ち合わせた侍女の子は、今の時間は……、と呟いた。


「多分、食事の仕込みを手伝っていると思います。そちらの手前から三番目の部屋です」


 す、と腕が持ち上げられ差された指は、今来た廊下の方。

 行き過ぎていたらしい。


「ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げ振り返る……途中で、首を廻らせた。


「すみません、一つ聞いてもいいですか」


「? なんでしょう」


 まだ緊張の抜けない硬い表情を少しだけ寂しく思いつつ、口を開く。

 ほんの一瞬、葛藤した。


「……故郷に帰れるとしたら、帰りたいですか?」


 眉根を寄せた、僅かに浮かぶ警戒の色。

 ぎゅう、と寒さに震えるように握られた両の手。


「……、……いえ。もう住めるような場所では、ないですから」


「……そうですか。すみません、変なことを聞いてしまって」


 改めて頭を下げ、今度こそ振り返らない。

 逡巡、怒り、羨望、絶望、諦め。

 その目には、絡まりあった複雑な色が滲んでいた。




 こんこん。

 軽くドアを叩くと、緊張感のない返事が聞こえた。

 開いて中を覗くと、床にぺたんと座った姉のテテと、行儀よく椅子に座ったトトがこちらを見ていた。

 その手には大ぶりな何かの実だろうか、硬そうな殻を手で剥いていたらしい。

 その目が見開かれた。


「シエラさんっ!」


 ぽいっと持っていたそれを放り投げ、こちらに駆けてくるテテ。

 放り出されたそれを予想していたのか、上手いこと受け止めたトト。

 犬のように飛び込んでくるテテを、四肢に魔力を廻らせて抱きとめた。


「テテ、元気だった?」


「うん!」


 無造作に跳ねている赤茶色の髪をくしゃくしゃと撫でる。

 ……ちょっと肉付きが良くなりましたかね?


「ふぁ~やっぱり良い匂いするねシエラさん」


 テテの無邪気な声に、胸の奥が痛んだ。

 この子は俺の身体の中に同郷の匂いを感じている。

 それはきっと、湖を満たしていたあの魔力のせいだろう。

 搾り取られた、数百体の。


 やっと身体を離してくれたテテは、そそくさと座っていた場所に戻った。

 こちらを見やりつつ作業の手を止めないトトが小さく、姉さん、と呼んだからだ。


「すみません、シエラさん。手が離せなくて」


「うん」


 部屋の中には見たことのない実が山のように積まれていた。

 見た目は大きな胡桃みたいだけど、色が随分と鮮やかで、香ばしい香りが部屋の中に充満している。

 トトの隣の椅子に腰掛け、一つを受け取った。


「どうやって剥くの? これ」


「見てて!」


 返事をしたテテは、握り拳大のそれを両手で包むように持つと、ぐ、と力を入れた。


「ほっ」


 ぱき、と軽い音が鳴り、僅かに捻るように剥かれた殻の中から良い香りが漂ってくる。

 炒ったらおいしそう。


「ぐってやって、ぐいってやるんだよ~」


 ね? とドヤ顔になったテテだけど、いや全然分からん。


「その一番下の窪んでいるところを強く押しながら、全体を歪ませるようにこう、捻るんです」


 意外と弾力のあるそれを、トトの言う通りに力を加える。

 自分の手の小ささを改めて実感しますねこれは。

 魔力を戻して素の力で挑戦してみるも、ああ無理っぽい。


「難しいね、これ」


「ちょっとコツが必要ですね」


 そう言いつつぱきっ、ぱきっ、とトトは手際良く殻を剥いていく。

 手伝いながらお話しようかな、なんて思ったんだけど……。

 諦めてトトに手渡した。


「それでそれで今日はどうしたのシエラさんっ」


 目を輝かせながら声を弾ませるテテ、口の端に何か付いてるけど。

 つまみ食いしてた……?


 小さく深呼吸する。

 小さな窓が一つ、しかし暗くはない部屋の壁沿いには棚が並べられている。

 保管庫だろうか、ソラの鼻なら色々なものを見つけられるだろう。


「二人は、さ」


 さっきのロビーでの会話を思い出し、ほんの少し迷う。

 けれどもし、この姉と弟が望むのなら……。


「……故郷に、帰りたい?」


 ぱき、と。

 部屋の中の空気が、一瞬だけ固まったような気がした。

 錯覚だったのだろう、テテは僅かに目を伏せた。

 トトの手は止まらない。


「帰りたくない、と言えば嘘になります」


 呟くような弟の声は何にも遮られず、部屋の中に染み渡る。


「……けれど、どうしようもない、というのも分かっています」


 生きているだけで充分です、その言葉尻は、ぱき、という軽い音で掻き消えた。

 テテがちらりとこちらを見上げ、言葉を選ぶようにゆっくり口を開いた。


「わたいたちは、ここで……充分幸せなんだぁ……」


 軽い音が部屋を震わせる度に、満たす香りは強くなっていく。

 力のない笑顔は、不自然すぎるほど自然に見えた。


「シエラさん」


「ん」


 似つかわしくない、テテの静かな声に何かが揺さぶられる。

 この身体は何でできているんだろう。


「わたいはね、初めてシエラさんを見たとき……びっくりしたんだぁ」


「……うん」


 ありありと思い出せる。

 すごい勢いで後ろ向きに這って逃げていくテテの姿は、ちょっとおもしろかった。


「こんなに綺麗な人を見たことがなかったから」


 じぃ、と見上げてくるテテの手は止まっている。

 トトは一人、黙々と殻を剥き続けている。


「それでお話して、助けてくれて……名前を呼んでくれて」


 胸を押さえながら、ぽつり、ぽつりと紡がれるテテの言葉は、温かい。


「わたいはもう、帰れなくてもいいんだぁ……」


 まなじりに涙を滲ませるテテは、小さくしゃくりあげながら言葉を続けた。


「帰っても、お父さんも、お母さんも……いないから」


 トトの手が止まっていた。

 部屋の中は静かで、香ばしい匂いだけが漂っている。


「テテ」


 手を広げて優しく呼びかける。

 這うように近づいてきた姉の、その髪を撫でた。


「……ごめんね」


 安心したように目を細めるその姿に、罪悪感が湧く。

 俺の言葉の意味を理解していない、信頼しきったその表情から、目を背けた。

 卑怯で臆病な俺には、二人に真実を伝える勇気がない。

 嫌われたくない、浅ましい自己保身だけが今の俺を動かしている。


 ……なんて、薄っぺらいんだろう。




「ままー!」


 庭園で一人、大きな二つの月を見上げながらぼぉっとしていると、邸宅の二階の窓から声がした。

 手を振ると、窓から飛び降りたリチェルは、鋭い風切り音とともに……滑空してきた。

 速っ!


 受け止める体勢すら取れなかった俺の目の前、小さな翼をいっぱいに広げて急制動したリチェルが起こした風で、髪がスカートがああもうえらいことに。


「ままっ」


 飛び込んできたリチェルを抱き止めると、ほのかに石鹸の香りがした。

 お風呂に入ってきたんですかね。


「もう終わったの?」


「んー? わかんない」


 そっかぁ、分かんないかぁ。

 まぁいいや、それは後でヴィオーネに聞いてみるとして……。


「リチェル、何か思い出した?」


 あの時から時間は経ったし、魔力も多少は補充できている。

 何かしらの変化があってもおかしくはない。


「んんぅー?」


 可愛らしく首を傾げられてしまった。

 そっかぁ、思い出してないかぁ。

 柔らかな銀の髪を撫でると、翼をゆっくりぱたぱたさせて頬をこすりつけてきた。

 角がこわい。


「でも、ままがお空飛びたいなら、がんばるよ!」


「……うん」


 その言葉は素直に嬉しいんだけど。

 しかしこの竜の少女は、自身一人を浮かせるのが精一杯なわけで。

 いくらこの身体が軽いとはいえ、もう一人を抱えて空を飛ぶのは不可能だ。

 それこそ滑空ならできるかもしれないけど。


「……転移で高さを稼いでからならいけるか……?」


 独りごちた……この身体と『竜』であるリチェルなら、数キロメートル上空に現出しても恐らく問題ないだろう。

 それだけの高さからの滑空なら、かなりの距離を稼げるのでは……?

 ……いけそうだと思ったけど、体格の差が問題か。

 現状、俺より背の低いリチェルに抱きつくのはかなり難しい。

 さらにその状態で上手く滑空できるかどうかという問題もある。

 ううむ。


「どしたの、まま」


 考え込む俺を見上げるリチェル、そのおでこに口付けた。


「えへー」


 頬を綻ばせたリチェルの尻尾がぶんぶんと振られ、脚を叩く。

 地味に痛いからやめて?


「こらっ」


「きゃー」


 身体を引き剥がし、真上にぽいっとリチェルを放り投げた。

 六つの小さな翼を使い、器用に空中でバランスを取り……ゆっくりと下降してくるリチェル。

 抱き止めた。


「もっかい!」


 ……全然ぱたぱたしてないのに、そんなにふわぁって感じになる?

 目を切り替え、もう一回放り投げた。


「きゃー」


 薄く魔術の気配がする、けれどよく分からない……ただリチェルの翼に捕まった魔素が粘性を帯びているように見える。

 んん……?

 抱き止めたリチェルは、もっかい、もっかい! と翼をぱたぱたさせておねだりしてくる。

 その翼に煽られ、魔素がかき混ぜられ渦を巻く。


 その動きに何かを閃きそうだったけど、何も引っかかることはなく霧散した。

 魔素の動きを通じて、空気の流動が可視化されただけだろう。

 ねだる声に応えもう一度高く、竜の少女を放り投げた。

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