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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第四章 旧き竜の末裔
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二十二話 光届かぬ底に

 ざぁざぁと降り続く雨は冷たく、枯れた湖底に大きな水溜りを幾つも作り出していた。

 新しいショートブーツが雨粒を弾いていたのは少し前までで、今はもう中までぐっしょりと濡れている。

 魔力で生み出しているワンピースドレスはなんでだろう、水を弾くことなく重たく纏わりついている。


「……ごめ、ん……なさ、ぃ」


 魔力を吸収した。

 ばちゃばちゃと水溜りの中を足を引き摺り、次の『木々を食むもの』へ。

 触れる。存在そのものを変質させられた、冷たく頑丈な木の肌に。

 吸収する。決して死なないように生かされていた、残り僅かなともし火を。


 さらさらと崩れ落ちる灰色の砂は役目を終えた魔石の姿。

 雨に打たれ、とろとろに溶けていくそれを足で踏み潰し、次へ向かう。


 ぐしょ、と柔らかい何かにぶつかり、水溜りに尻餅をついた。

 濡れ鼠だから別にいいんだけど、と見上げると……ライオン?

 いや違う、大きさが『空駆ける爪』くらいあるし、お尻のほうまでたてがみから続く毛で覆われている。

 水を吸ったモップみたい。


 見下ろしてくるそいつの目的は俺ではなかったらしい、前足を屈めて、雨水と魔力と灰色の砂が混ざり合った溜まり水を舐め始めた。

 ……美味しいのかな、それ。

 見れば他にも、湖のほとりから眺めていた魔獣がのしのしとやってきていて、同じように湖底をぺろぺろと舐めていた。


 遅れて思い至る。

 この子たちは、ソラがいなくなってここに住み始めた魔獣たちなのかな。

 だとしたらさぞ驚いたことだろう、突然ど真ん中に知らない奴らが現れたのだから。

 俺のことはもしかしたら新入りだと思っているのかもしれない。

 なんでもいい、邪魔さえしなければ。


 増えた障害物を避けながら、枯れ木から枯れ木へ伝う足取りは重く、雨に打たれるその姿は白い亡霊か。




 何処で聞いたんだっけ。


 樹木は、大地から魔素を吸い上げて、空に返すと。

 樹木は、空から魔素を取り込んで、大地に返すと。


 人間は、魔素を体内に取り込み、魔力を生み出すと。

 『神域の守り手』と呼ばれる彼らは、触れることのできない魔力を、その身体に物質化できると。



 だからあの女は、作り出したのだ。

 究めた魔術で、究めた技術で、半永久的に魔力を生み出す生きた装置を。

 その為の材料が彼ら、『木々を食むもの』だった。


 ああ、それならきっと、恐らくは。

 『災厄』と呼ばれたそれすらも、材料を調達する為に利用したのだろう。


 彼女はきっと、何でもやったのだ。

 この世界の神さまを殺す為なら、きっと、何でも。

 この世界に未練などない、ただただ元の世界に帰りたいと願った彼女は、この世界の全てを利用したのだ。


 涙を流し続けるうろから目を逸らし、『吸血鬼』の刀身を突き刺す。

 彼らがすがり続けた思い出が火花のように散って、雨音に消えていく。

 灰色の砂が水溜りの表面に模様を作り、雨粒に散らされる。



 ワオォーーーーーーーーーン。


 身体を空気を雨粒を震わせる、大きな獣の遠吠えが響き渡った。

 同時に身体を起こした周囲の魔獣たちは、ばちゃばちゃと水を跳ねさせて一斉に散っていった。

 大きいのも小さいのも獰猛そうなのもおとなしそうなのも、全て。


 それと入れ替わるように、降り注ぐ雨を切り裂いて俺の身体に真正面から飛び込んできたのは、竜の少女。


「あぐっ」


 完全に不意打ちだったそれは俺のみぞおちに直撃し、視界がぐるんと回転した。

 べちゃっごろんばちゃばちゃっごろんごろん。

 ……え、なに?


 つるりとした湖底を絡まりあって転がった俺とリチェルの運動エネルギーがようやくゼロになると、馬乗りになったリチェルが仰向けになった俺を見下ろしていた。


「いきなりいなくなったらだめってゆったでしょ!」


 怒られた。

 言い訳がすぐに浮かんだけれど、顔に当たるそれが雨粒なのか涙なのか分からなくて、わななく口元が何かを我慢しているように見えて……その汚れた柔らかな頬に、そっと触れた。


「……ごめん」


 身体を起こし、濡れた銀の髪を撫でる。

 おでことおでこがこつんと当たり、竜の少女は小さく、へへ、と笑った。


「これでおあいこだからね、まま」


「……うん」


 ぱしゃ、と雨音の中に微かに聞こえた音に横を見やると、『空を駆ける爪』の大きな体躯が青い炎を上げ、少女の姿へと変じるところだった。


「すみません、シエラちゃん。逃げられました」


 怒っているのか焦っているのか、青みがかった濃い灰色の髪から雨水を滴らせたソラが、リチェルの身体を抱え上げようと手を伸ばす。

 うー! と唸ったリチェルは俺に抱きつくと、翼をばたばたと羽ばたかせた。

 身体が浮くことはなく、水しぶきが撒き散らされただけのそれは、ソラを苛立たせただけだった。


「……シエラちゃんの邪魔をしないでください」


 静かなその声に、四肢に魔力を廻らせリチェルを抱きかかえて立ち上がる。

 ずぶ濡れの竜の少女をゆっくり下ろし、髪を撫でた。

 行き場のなくなったソラの感情を和らげようと、その頬に手を当ててぷにぷにと摘む。


「ソラ、ありがと」


 呟き、頬を撫でると、ソラは目を細めて嘆息した。

 それにしてもソラから逃げられるのか。凄いな。


「シエラちゃん、その……まだかかりそうですか?」


「うん」


 ぐるりと見回しても、まだ半分以上枯れた木は残っていた。

 義務とか、そういうのじゃないけど。

 彼らはもう、休んでいいと思う。


「リチェル、手出して」


「はいっ」


 元気良く返事をして小さな両手をお椀みたいにしたリチェル、その真上で刀身を消した『吸血鬼』の柄を傾ける。

 魔力の流動、変質。いつの間にか、随分と手馴れてしまった。

 ころん、ころんとリチェルの手に転がり落ちたのは、丸くて黒い、半透明な魔力の結晶。


「飴ちゃんです」


 碧色のまん丸な瞳がきらきらと輝く。

 一粒摘み上げ、はい、と声をかけると、ぱくっと指ごとリチェルの口の中へ。

 槍と剣を豪快に咀嚼していたことを思い出し、背筋が震えた。


「ソラ」


 ソラの後頭部に手を回し、ぐい、と引き寄せた。

 その唇はいつもよりぬるい、髪を撫でながら魔力を流し込む。


「……二人とも、良い子にして待っててね」


 うん! と良い返事をしたリチェルと、黙って頷いたソラを見送り、一息つく。

 雨は上がりそうにない。

 さっきまでいた魔獣たちの気配は、もう感じられない。

 村跡に残された城塞都市の兵士は引き上げたのだろう、あの数の魔獣を目にしたのなら、恐らくは。


 『吸血鬼』の真っ黒な刀身が揺らめき、再び白い少女の徘徊が始まる。

 中心は密度が高く、外周へ向けてまばらになる枯れ木に、最期を告げる為に。




 俺は気がついていなかった。

 効率よく彼らを殺す為に歩き回る小さな足がいつしか、ある指向性を持っていたことに。

 魔力を搾り取られ続けるその彼らが、ある法則に従って配されていたことに。


 彼女の……黒き魔女が遺したものには全て、意味があったということに。



 低い雲に頭上を遮られた夜は、驚くほど暗い。

 降り続ける雨は靴底を常に浸すようになり、歩く度にちゃぷちゃぷと音を立てる。

 ぐっしょりと濡れた服が動きを邪魔して、足もやけに重い。


「……。これで……、最後か」


 『吸血鬼』の刃を突き刺し、生きているのか死んでいるのか分からない、僅かに残った魔力を吸収した。

 崩れていく音は雨にさらわれ、聞こえない。

 あれだけあった魔力の残滓は、今は一つも残っていない。


 湖のほとり、周りを囲む森は健全な木々の魔力で満ちている。

 人間は……いない。

 この枯れた湖に、生きているものは、もういない。


 紙箱を取り出し、一本を口に咥えた。

 雨に濡れたそれは音もなく青白い火を先端に点し、薄く魔素の煙を立ち昇らせる。


「……戻るか」


 ざぁざぁと止まない雨の中、ちゃぷちゃぷと灰色の砂が浮く雨水をかき分けるように歩を進める。

 月明かりは遮られ、鬼火のようにくすぶっていた魔力の残滓も消え、しかし目に映る魔素は依然として濃い。


 と、何かに足を取られそうになり、思わず立ち止まった。

 暗いからだろうか、つるりとした湖底を隠す程度の水量なのに……いや、雨水に混ざらない残っていた魔力が、枯れ木の残滓が、流れている。

 よく見れば一定方向に、まるで意思を持った生き物のように、湖底を這うように。


 湖の中心に向かって渦を巻くように、流れを作っていた。


「なんだ……?」


 勢いそれ自体はほとんどない、気がついてしまえば抗するのはたやすい。

 しかし、吸い込まんとする水の流れとは反対に、辺り一帯を染める魔素が、ゆっくりと上へ……上空へ吸い込まれていく。

 どこかで見たような光景に息を呑む。


 見上げれば低く厚い雨雲の下、魔素が捩れ……恐らく湖と同じ大きさなのだろう巨大な魔法陣が、頭上を覆っていた。

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