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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第四章 旧き竜の末裔
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二十一話 守り手たち

 やけに暗いと思ったら頭上には低く雲が垂れ込めていて、陽射しは完全に遮られていた。

 この景色を見るのは何度目だったか。

 『神鏡の湖』と呼ばれていたこの場所はしかし、小さな水溜りを幾つか残して枯れている。

 ぐるりと遠く、森を漂う魔素は相変わらず濃い。


「多分、最悪には……ならないと思う。『聖剣』って言っても、ちょっと特殊な鉱石使ってるだけだし」


 なにやら考え込んでいたニアリィの声に首を傾げる。


「さっきの騎士たちは簡単に言うと、国自体に仕えてる人たちなんだよ」


「……王さまに、じゃなくて?」


 そう、と頷いたニアリィは、俺の背中でおとなしくしているリチェルの頬をぷにぷにと突いた。

 国のてっぺんが王さまなのだから、それはすなわちイコールなのでは。


「複雑な事情ってやつみたい。まぁ、時間が解決してくれると思う」


 逃げたのは正解だったかもね、とニアリィは呟き、改めて周囲を見渡した。

 ソラも耳をぴんと立てて、鼻をすんすんと鳴らしている。


「しばらく離れていた間に、知らない魔獣がいますね」


 俺たちが現出した途端に森の中に逃げ込んでいったらしいそれらに、敵意はないようだ。

 それなら放っておいても大丈夫だろう。


「それで、ここはどこなの?」


 ニアリィの声に、どう答えるか迷う。

 一度『渡り鳥の巣』のマクロレン商会で見せてもらった地図では、僻地らしいということしか分からなかった。


「えぇと……『渡り鳥の巣』よりずっと南の、森の中です」


「ふぅん?」


 拙い説明にとりあえずの納得をしたニアリィは、近くに生えている枯れ木に手を添えた。

 その動きを何気なく目で追いかけ、切り替えたままの目に映ったそれを見て……固まった。


「……ニア。……『それ』から、離れて」


「え?」


 ぺちぺちとやけに硬いその表面を叩いていたニアリィは、振り返り俺の顔を見て、ようやくその枯れ木から後ずさった。

 恐らく俺は今、酷い顔をしているのだろう。


「どうしたの、シエラ」


 その声には答えず、ゆっくりと周りに生えている、この辺りは湖の中心だから密集している、それらを一つずつ注視する。

 異常な硬度を誇る、ルデラフィアの魔術にも耐えていた葉っぱの一枚も付いていない枯れ木。

 その中に。


「人間が、視える」




 外周へ向け少しずつまばらになるその枯れ木のようなもの。

 急激に湧き上がる吐き気に似たそれを、なんとか我慢した。

 けれど足から力が抜け、へたりこんだ。


「んぃっ」


 背中に張り付いていた竜の少女が変な声を上げ、ああ、一緒に尻餅をついたからか。

 振り返ると、目をくしくしと擦って寝ぼけているリチェルが、ここはどこ? 私はだぁれ? みたいなことを呟いている。

 大丈夫かなこの子。


「大丈夫ですか、シエラちゃん」


 きゅるる、と鳴く竜の少女を無視したソラは、俺の頬に手を当てた。

 小さく震えているのは……俺か。

 その添えられた温もりにすりすりと頬を擦りつけてから、深呼吸をした。

 ……落ち着け。


「人間? この木の中に?」


 ニアリィが怪訝な顔をして枯れ木に再び近づき、その硬い肌をぺちぺちと叩く。

 今まで、色んなものをこの左目で見てきた。

 人間、魔獣、植物、動物。

 だから、分かる。


「中と、いうか……、それ自体に、見えます」


 言葉を発した瞬間に思い至った。

 だけどそれが正解であってほしくなくて、口をつぐんだ。

 あぁよくよく見れば、枯れ木の足元にばかり、水溜りができている。

 きっと俺とソラが立ち去った後もずっと、滲み出ていたのだろう。

 ゆっくりと、搾り取られるように。


 その真っ暗なうろは、慟哭する口腔のよう。

 その真っ暗なうろは、滂沱する眼窩のよう。


 なんとか立ち上がり、ふらふらと枯れ木に歩み寄る。


 伸ばされる枝木は、助けを求める腕のよう。

 しかしその足は、乾いた湖底に根を張っている。


 ぺたり、と手の平で触れると、ぞわ、と獣の耳が逆立ち、生やしたままだった獣の尻尾が膨らんだ。

 ……魔力の変質に似ている、けれど違う。

 これは、もっと……魂とでも呼べばいいのだろうか、触れてはいけないものが、変質させられている。


「ころして」


 触れた手から染み込むように、しかしはっきり聞こえた、あの時の声。

 あれは、夢ではなかったのか。

 存在そのものが歪められている、こんな状態で尚、生かされている。


「おねがい」


 治せはしないのだろうか。

 そんな自分勝手な思いはしかし、眼前の理解できない異様な変質……何百何千の蜘蛛の糸のようなか細い魔力がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたようなそれを見せつけられ、絶句する。

 ところどころ『融合』してしまっているそれは、もう、選り分けられない。


「ころして」


「……分かり、ました」


 俺意外には聞こえていないその寒々しい声に答え、『吸血鬼』に魔力を流し込む。

 そっと離れたニアリィを横目に、枯れ木の中心に揺らめく黒い刀身を突き刺した。

 手応えはほんの微か。


 魔力を、吸収した。


「あ」


 バチン、と。

 頭の中に、誰かの思い出が過ぎ去り、燃え尽きた。


 小さく漏れ聞こえた声は、自分のものだったのか、それとも木へと変質させられた誰かのものだったのか。

 その僅かな魔力は驚くほど身体に馴染み、溶け込んでいった。

 目の前の枯れ木が小さくパキパキと音を立て、見る間に硬さと柔らかさを失い、乾いていく。

 黒ずんだ硬い木肌から色味が抜け、くしゃくしゃになって崩れた。

 空気の抜けた風船のようだと思った……それは、だけど見たことのある、砂のように崩れた……灰色の。


 ぐるりと見渡す。

 数十、いや、百はくだらない枯れたそれらは、全て人間のようだった。

 この場所を満たしていた魔力は、彼らから搾り取られた魔力だったのか。


「……っ」


 再びせり上がってきた吐き気のようなものを飲み下す。

 それは予感で、しかし確信だった。

 スティアラ・ニスティが言っていた。

 『何百もの色が溶け合い融合している』……つまりは、そういうことか。


「は……、はは」


 この身体を廻るものは、一体いつから生かされているのか……彼らから搾り出した、魔力の集合体。

 身体が震え、それはもう止まりそうにない。

 カチ、カチと。

 歯の根が噛み合わない、焦点が揺れ、『吸血鬼』を取り落とした。


「シエラちゃん」「シエラ?」


 俺を呼ぶ声が遠い。

 耳鳴りのような音が頭の中に響く、いやこれはきっともしかしたら、声か。

 身体の中を廻る、彼らの声。

 真っ黒で、どろどろとした、気味の悪い。


「……ごめん、だいじょうぶ」


 上手く笑えただろうか。

 この可愛らしい、人形のような少女の顔で。


「ソラ。……ニアとリチェルを、あの家に案内してあげて」


「はい。ですが……」


 上手く笑えているだろうか。

 多分、失敗したのだろう、ソラが俺を見て怯えるなんて。


「これ全部、片付けなきゃ、いけないからさ」


「……分かりました」


 察してくれたらしい、まだ寝ぼけている竜の少女を抱きかかえたソラは、行きますよ、と呟いた。


「シエラ、その……」


「先に休んでてください。……ニアも、疲れてる顔してますよ」


 何故か泣きそうな顔で頷いたニアリィは、ソラと並んで歩いていった。

 一度だけ振り返ったソラに笑みを返し、その背を見送る。

 膝から力が抜け、ぺたりとへたり込んだ。


「……全部、か」


 目の前の液体化した魔力に混じる、崩れた灰色の砂のようなそれには見覚えがある。

 魔力を失った魔石、その最後がこんな風にさらさらとしていた。

 吹けば飛ぶような、細かく小さなそれ。


 ああ。

 全身に包帯を巻いて肌を隠していた泣き虫な姉は、俺のことを……『懐かしい匂い』と。


「……っ」


 ……これ以上考えると立ち上がれなくなりそうだ。

 なんとか身体を起こし、『吸血鬼』を拾い上げて、近くの枯れ木に歩み寄る。

 ぺと、とその木肌に触れると、手を腕を魔力を通して、あの声が聞こえる。

 殺してくれ、と。


 ズ、と突き刺した『吸血鬼』の刀身、触れたそれはか細く、柔らかい。

 ただただ死を願う彼らの魔力は薄く、生きているのが不思議なほどに、冷たい。


「ああ」


 また勝手に涙が流れていた。

 誰も見ていないし、別にいいか。


 触れて。

 突き刺して。

 殺して。

 その度にこの身体は充足感を得て、満たされていく。


 気づけばぐるりと遠く、湖のほとりから視線が注がれていた。

 人間ではない、野生の動物でもない。

 鳥のような、犬のような、蛙のような、それらは全て魔獣だ。


 漂う魔素は相変わらず濃い、争う必要のない彼らはただ静かに、枯れた木を殺して回る白い少女の姿を見つめている。

 何故だろう。不思議と、悪い気分ではなかった。




 ……これで、やっと、二十か。

 つるりとした湖底に溜まった魔力も余さず吸収しながら、枯れ木から残り香のようなそれを吸い取っていく。

 見回すとその数は減っているようには見えない、まだ時間はかかりそうだ。


 と、頭上を覆っていた低い雲は雨雲だったらしい。

 ぽつぽつと降り始めた雨が枯れた湖を濡らしていく。

 地面に染み込む様子はない、液体化した魔力とも混じり合わない雨粒が表面を滑る様は、水と油。

 この身体が浮かなかったのは湖が魔力で満たされていたからで、海水だったらちゃんと浮くのかもしれない、なんて、ふと思った。


 寄り添うように生えている二つの小さな枯れ木に手を触れた。

 染み込む声はやはり寒々しいものだったけれど、しかし、初めて聞くそれは。


「たすけて」


 救いを求める声だった。

 また足から力が抜けて、べしゃ、と魔力か雨水かにへたり込み、獣の尻尾が濡れそぼる。


「たすけて」


 触れた細い木の根から、容赦なく流れ込む小さな声。

 頬を伝うそれが、涙なのか雨なのか、もう分からない。


「たすけて」


「……ごめ……ん、なさぃ」


 ぐちゃぐちゃに絡み合ったそれを、俺にはどうすることもできない。

 揺らめく黒い刀身を埋め、こんな風になってまで、まだ生きたいと願うその魔力を。


「たすけ」


 吸収した。或いは、殺した。

 双子の男の子と女の子が寄り添い絵本を読む姿がよぎり、燃え尽きた。


「……あぁ」


 見上げても二つの大きな月は見えない。

 当たる雨粒がうっとおしい。


「帰りたい」


 だけど何処になのかは、思い浮かばなかった。

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