二十話 墓を荒す者
来た道を逆に辿る途中。
小さな湖をいくつか過ぎた頃、雪がぱらぱらと降ってきた。
さらさらとしたそれはどこから運ばれてきたのだろう、見上げても二つの大きな月には雲一つかかっていない。
ぷる、と小さく震えたソラの手を取る。
防寒というほどまでには着込んでいないニアリィが平気そうにしているのを見ると、やはりソラが寒がりなのだろう。
かなり薄着な俺は、ひんやりして涼しいなぁ、くらいにしか寒さを感じていない。
流石は『竜』と言うべきなのか、俺の背できゅるきゅる鳴いているリチェルは平気そう。
ようやく凍った湖に浮かぶ、雪を厚く被った豆腐みたいな建物が見えてきた。
こじんまりとしたそれは風景に同化しそうなほど白い。
……食べられてしまったアーティファクトはどうなってしまったのだろう。
背負う竜の少女が『神槍』を指差して、私の、と言ったのは恐らく、吸い取られていた魔力のことを指していたのだと思う。
俺の魔力を食べていたのと同様、ただのご飯として……消化吸収されてしまったのだろうか。
分からないと言っていたし、まぁ別にいいか。
と、小さな四角い建物を横目に過ぎ去ろうとした時だった。
いつの間にやら身体が軽い。
視界の端、ひゅん、と風を切る音、歴代の王が眠る墓だというその入り口まで飛んで華麗に着地したのは……さっきまで俺の背中にいたリチェル。
「え、ちょっと」
やっぱり普通に飛べるんですね。
飛ぶというか滑空みたいな感じだったけど……いや、それより。
普通に入っていっちゃったけど大丈夫なのかなあれ。
「ニア、あそこって」
「立ち入り禁止だね。まぁ今は誰もいない筈だから、すぐに連れ戻せば大丈夫じゃない?」
「そか」
小走りで追いかけ小さな橋を渡ると、重々しい石造りの扉は、人間が一人ギリギリ通れるくらいの隙間が開いていた。
……最初から開いてたっけ?
「え、これ動かないんだけど」
手をかけるとビクともしないそれ。
押すのか引くのか横にずらすのか分からないけど、触った感触はただの岩石の塊。
「通れるしいいんじゃない? 下手に触って閉まっちゃって、開けられなくなるほうが怖いかも」
「たしかに」
ニアリィの言う通りだった。
幸いここにいるのは、少女としか呼べない小柄な三人だ。
余裕で通れるぜちくしょう。
覗き込むと中は真っ暗で、冷たい風がゆっくりと奥から漏れてきている。
目を切り替えると、薄くぼんやりと魔素が漂っているのが見える。
それでも、中がどうなっているのか分からない程度に暗い。
「……お先にどうぞ?」
「……あは。シエラはあの子のママなんでしょ。 先に行ってあげて?」
俺とニアリィは顔を見合わせ、固まる。
いや別に、怖いわけじゃないですけど?
なんか狭そうで暗くて、中はひんやりしてそうで……歴代の王の墓、ね。
と、俺の脇をするりと抜け、ソラが鼻をすんすん鳴らしながら中へ入っていった。
おお、頼もしい……いや待って、置いてかないで?
覚悟を決め、この小さな身体だと割りと余裕のあった隙間をくぐり抜けた。
「ソラ、待って」
中は狭く、息苦しい。
背中からの一筋の光がとても頼りなく感じる。
遅れて入ってきたニアリィが俺の手に触れた……すぐに握り返した。
四角い建物の中は湿っていて、見えるのは地下へ続く階段だけ。
竜の少女の姿はなく、ソラは既に何段か降り始めている。
この入り口付近はまだ見えるけど、階段の先は……完全な闇だ。
ぽう、と柔らかな光源が浮かび、冷たい闇を淡く照らし出した。
ニアリィの『ともし火の魔術』か。
小さな灯りは逆に不安感を煽るけど、何もないよりはよっぽどマシだ。
躊躇なく進むソラの背を追い、階段を下りていく。
湖の下に繋がるこの階段の先には、何があるのだろう。
やけに反響する足音を獣の耳で聞きながら、ニアリィと肩を寄せ合い一段、また一段。
数分で辿り着いた底には、やはり重厚な分厚い岩石の扉。
がり、ごり、べきん。
その隙間から、どこかで聞いたような音が漏れ聞こえてくる。
するりと向こう側に消えたソラの尻尾を追い、身体を滑り込ませた。
魔素は薄く、やはり暗かった。
ニアリィが浮かべた光源では奥までは見通せない、見えるのは……並べられている石の棺。
ひやりと何かが、頬を撫でた気がした。
ばき、がり、がきん。
音の発生源は暗闇の奥から。
ソラが鼻をすんすんと鳴らし、しかめ面をしている。
ゆっくり近づいていくと、碧色のまん丸な瞳がぱちくりと俺の姿を捉えた。
「んぐ、おそいよー、ままぁ」
ごりごりと何かを咀嚼しながらの言葉は多分にお行儀がよろしくなかった。
その竜の少女リチェルの手元には、何かの……恐らくは剣の、柄だけが残っていた。
柔らかな光に照らし出されたそれは、精緻で豪奢な作り。すっごい高そう。
「……美味しかった?」
「うん!」
見れば同じような柄が周りに転がっていて、既に何本も刀身の部分だけを食べ終えたらしい。
『神槍』は全部食べてたけど……好き嫌いなのだろうか。
「……お腹空いてたの?」
「うん!」
そっかぁ……。
じゃあしょうがないかぁ……。
諦めつつ胸を撫で下ろす俺を、ソラとニアリィが冷ややかな目で見ていた。
いかんいかん。
「リチェル、こっちに来なさい」
「? なぁに、まま!」
口元をぐしぐし擦りながら、俺の元へ駆け寄るリチェル。
その頭を、撫でた。
「……急に飛び出したら、駄目だよ」
「だって、お腹空いてたからっ」
子供に何かを教えるなんてことをしたことがない俺には、こういう時どうすれば正解かなんて分からない。
記憶の底をさらっても、自分が子供だった頃のことなんて上手く思い出せない。
だから、ゆるく抱き締めた。
「……まま?」
あの時。
最期のあの時、どうしてあの女は、俺を抱き寄せたのだろう。
「リチェルは、ままのこと好き?」
「うん! すき!」
ぎゅう、と小さな手が俺の身体を抱き締め、頬が(角が)すりすりと擦りつけられる。
心を無にしろ。何も考えるな。これはただの演技。お母さんの役。ままごと。
「ままがいなくなったら、どうする?」
「えっ……そんなの、やだ」
喜怒哀楽の激しい、見上げるまん丸な目が少しだけ潤んでいる。
何も覚えていない竜の少女の瞳は、どこまでも澄んでいる。
「ままはいなくならないもん!」
「……ままは、リチェルがいきなりいなくなったら、びっくりして、とても……悲しくなるよ」
きゅるる、と小さく鳴いたリチェルは、俺の顔を見つめて……涙をぽろぽろとこぼした。
「まま、泣かないで」
「……え」
指で目元を拭うと、うわ、まじで泣いてた。
俺が泣くところじゃない筈なんだけど、なんでだろう最近すぐ涙が出るなこの身体。
ああ駄目だ、止まらねぇ。恥ずかしい。
「ごめんなさい、まま」
「……うん」
けれど素直になったリチェルの声に、別にいいかと考え直す。
減るもんじゃないし。
しかし恐らく無表情で涙だけ流してたと思うんだけど、どうなんだろうかなり怖い絵面だった気がする。
「良い子にしてたら、また食べさせてあげるから」
「くろいの?」
「うん」
「わぁい! あのごはんすき!」
ご飯認定されちゃった……。
魔力を内包しないもの一切を通り抜けるあの魔力の刃は、かなりエグい攻撃手段だと思うんだけど。
この子にとっては、ただの餌でしかないらしい。
「シエラちゃん」
ようやく止まった涙を拭い、ソラの冷たい声に振り返った。
その青い瞳は暗闇の奥、さっき通ったばかりの重々しい岩石の扉、恐らくその向こうを見ている。
四肢に魔力を廻らせ……あぁ、足音が幾つか聞こえる、正確な数は分からない。
「六人です」
くん、と鼻を鳴らしたソラの重心が僅かに低くなったのを見て、『吸血鬼』を取り出した。
ごはん? と期待に声を弾ませるリチェルの頭を撫でる。
「んーん。ちょっと待っててね」
ガゴン、と重たく固い何かがズレる音がして、暗闇が晴れていく。
長方形の地下室だったらしい、四方の壁に薄っすらと光る線が走り、部屋の全容を明らかにした。
ズズズ、と入り口の石扉が真横に収納されていく……現れたのは、美しい刺繍の施された外套を纏い、しかし重装備な騎士たち。
この寒さで金属製の装備は大丈夫なのだろうか、と少しだけ心配になる。
随分と天井の低い地下室、左右に等間隔に並ぶ石の棺は十一。
「……あは。上位騎士、まずいかも」
ニアリィが呟いた言葉の意味を聞くまでもない……彼らから伝わるこれは、殺気か。
全部で六人。ソラの耳の精度に内心で改めて驚く。
その中から隊長格だろう男が歩み出てきて、重々しく口を開いた。
「『白き魔女』。貴様には魔石の略奪、『神聖なる山』の破壊、及び上層区域の破壊、サルファン王殺害の嫌疑がかかっている」
すらり、と輝くそれぞれの白刃、身体を廻る魔力の量。
かなりの錬度だろう、一切の無駄がない。
「……いやいや、何かの間違いかと」
「言い訳は無用。この場に貴様が足を踏み入れていることが、何よりの証拠だ」
これは駄目そう。
ちらり、とニアリィを横目で見やる。
「操られてるとか?」
「それはないかな。多分……」
そう言いながらニアリィは、リチェルが食い散らかした剣の柄を見やった。
「いわゆる『聖剣』ってやつ」
「ああー……」
完全に詰んでるっぽい。
『神聖なる山』に、『聖なる剣』か。部外者が触れていいものではない。
ソラは臨戦態勢、俺の背に隠れているリチェルは不安そうな顔をしている。
……リチェルのせいではない。
「お喋りはそこまでだ、『白き魔女』。いや、魔族ども」
獣の耳を出したままだったのが裏目に出たか。
会話は不可能、戦闘になれば恐らくソラの敵ではないだろう、だけどそれは……完全に取り返しがつかなくなる。
遥か先にある神殿跡、あの鈍色の死体を見せれば納得してくれるだろうか。
……心証がさらに悪化する可能性も捨てきれない。
じり、と距離を詰める彼らの目は険しい。
敵意どころじゃない、殺意の塊だ。
まとめて転移で彼らの後方に飛んで逃げる……のは無理だな、どうやって操作したのか石の扉は既に閉まっている。
ソラの手を握り、小さく溜め息をついた。
……仕方ない。
「リチェル、掴まって」
身体に刻まれたそれを、発動させた。
ぱき、と空間そのものから音が鳴り、彼らの足が止まった。その顔に警戒の色が浮かぶ。
視界に映る魔素が励起し、意味をかたどっていく。
「ニアは、どうしますか?」
恐らく出自を明かせば、この少女の無実の証明は容易い筈。
問いかけた言葉にニアリィは少しだけ頬をむくれさせて、俺の手をぎゅっと握った。
聞くまでもなかったらしい。
『帰還の魔術』。
あの時もこうやって、逃げるようにこの国から出ていったっけ。
つくづくこの国とは相性が悪いらしい。
自嘲染みた笑みを必死に抑え……視界が、青白く燃え上がった。




