十九話 まま
頭の左右から伸びた角の質感が硬いものになり、少しだけ刺々しく感じる。
肩口までだった銀の髪も伸び、肩甲骨の辺りまで届いている。
碧色の瞳には僅かに明るい黄色が混ざり、爛々と輝いている。
さっきまでより血色が良い、頬に赤みが差すその顔には笑みが浮かび、身体に纏った恐らく魔力で編まれているそれは薄いくりーむ色。
「ままっ」
ぎゅ、と抱き着いてきた幼女……いや、背が少し伸びてコリン・クリシュと同じくらいになった竜の少女。
ああ間違いなく将来は美人さんになりますね、間違いない。
勢いそのままにその背に手を回そうとすると、さっきよりちょっとだけ大きくなった翼に阻まれた。
おお、意外と弾力があって柔らかい。その服どういう構造なんですかね。
髪を撫でると喉の奥から不思議な鳴き声が聞こえ、すりすりと頬をこすりつけてきた。
きゅるる。きゅるる。
「……シエラちゃん、説明を」
怖い、声が怖い。
ちらりと横目で見たソラの目が据わっている。
むしろ俺が説明して欲しいくらいなんだけど……。
「あの、聞きたいことがあるんだけど」
きゅるきゅると俺の胸元で喉を鳴らす少女に声をかけると、まん丸な瞳をとろんとさせて見上げてきた。
「なぁに、まま」
「えぇと……名前を教えてくれる?」
小首を傾げた竜の少女は再びぎゅう、と俺の身体に抱きつくと、貧相な胸にすりすりと頬を擦りつけた。
ちょっと気持ちイイからやめて?
「なまえー? りつぇーるぃせーねぉだよ」
「りつ……え、なに?」
「りちぇーぇるぃせぁーにぇお」
何を言っているのか分からない……!
けれどなんとなく雰囲気が似ている気がする。この身体の名前と。
「シエラちゃんと子供を作るのは私の役目なのに……」
「ちょっと待って落ち着こ」
重たい気配を纏わせて呟いたソラの言葉に、さらに混乱が深くなる。
盛大な勘違いをされているらしい、えぇととりあえず、一つずつ解決していこうか。
恐らくこの子の発した名前らしきものは、ヴィオーネ・エクスフレアも言っていた旧い竜の言葉とかいうやつだろう、多分。
……もうちょっと発音しやすい感じにならないかなぁ。
「……私は、シエラ・ルァク・トゥアノです」
「しぇーるぁるぅあくとぅあーにょ」
「……シエラです」
「しぇるぁ!」
本来の発音、なのだろうか。
舌をれるれる動かしながらのその言葉は、ちょっと人間には真似できそうにない。
「しぇるぁままー」
再び頬をすりすりと擦りつける竜の少女。
角度によっては角がごりごりして痛いぞちょっと気をつけろ。
さて、なんて呼べばいいんですかね。
「りつ、りちぇ……。りちゅーぇ……り、りつぇ……」
「ままちがうー! りつぇーるぅいせぁーねぅお!」
ふえぇ……むりだよぉ……。
しかも毎回微妙に違う風に聞こえるよぉ……。
「シエラちゃんから離れなさい」
腋の下に手を通し、引っこ抜くように竜の少女を持ち上げたソラ。
冷たい声色に空気が凍りつくようだ。
いや実際気温は相当低い。
周囲には氷の蛇だったものが未だ散乱しているし、ちょっと離れたところには大きな人型の氷像が幾つか倒れている……あんなのもいたのか。
「やだー! ……あぇ? ままの匂いするー……?」
ぶわさっ、と小さな六枚の羽が器用に羽ばたき、キラキラと砂のような氷の粒と雪が舞う。
するりとソラの拘束から抜け出した竜の少女は、一瞬でソラの背後を取って(!)ぎゅうっと抱き着いた。
「かなりままっぽい!」
かなりってなんだ。ぽいってなんだ。
一瞬で後ろを取られたことに目を見開いたソラは、しかし竜の少女の声になるほど、と呟いた。
「ああ、この子は私とシエラちゃんの子だったんですね」
「んなわけないだろ」
諦めて現実逃避しだしたぞこいつ。
唯一この場で正気を保っているのは……。
ちらり、とニアリィを横目で見ると、目が合った瞬間ぷいっと目を逸らされた。
「しーらない」
「えぇ……?」
頼りになるのは己のみ。
つまりはそういうことなのだ。多分。
「り……りちぇる」
「なぁに、まま」
ぴょこり、とソラの後ろから顔を出す竜の少女。
通じた。通じたぞ。
「リチェル!」
「まま!」
ばっと飛び出し、こちらに飛びつこうとする竜の少女改めリチェルを、しかし俺は手で制した。
「待て!」
「!」
ぴたっと、小さな六枚の羽と尻尾を使って急制動に成功した竜の少女。
ここで抱き止め、通じ合えた喜びに打ち震えるのは容易い。
しかし俺が今ここでしなければならないのは、そんなことではない。
「……その呼び方やめて?」
「えーっ!?」
そもそもお母さんじゃないからね。
母性愛的なあれが目覚めそうになってしまうので、まま呼びはやめていただきたく。
「……しぇるぁまま?」
「ち、違うから。ままじゃないから」
「ままだよぅ!!」
むぅ、と頬を膨らませ急発進したリチェルは、俺の身体に突っ込んできた。
四肢に全力で魔力を廻らせ、受け止める。
……首を傾けてなかったら、角が直撃してたぞ。
「ひどいこと言わないで、ままぁ……っ」
「はぁぅ」
きゅるる、と喉の奥から不思議な音を鳴らしながら、リチェルは俺の薄い胸で涙をぽろぽろとこぼした。
あれ、俺が悪いことしてる空気になってませんか?
ニアリィはほんの少しだけ頬を染め、改めて目を逸らした。
ソラは相変わらず剣呑な目つきをしている。
「分かった、分かったから」
どうやら折れるしかないらしい。
あやすようにその銀の髪を撫でると、きゅるる、と気持ち良さそうに鳴いた竜の少女は、にっこりと笑って俺の胸に顔を埋めた。
「色々聞きたいことがあるんだけど」
「うん!」
帰り道。
俺の背中にくっつき、翼をゆっくりとぱたぱたさせているのは、竜の少女リチェル。
……なぜか俺をままと呼ぶ、額をアーティファクト『神槍』で貫かれていた、『月を背負う六つ羽根』という名の『竜』。
薄く纏ったそれはゆるゆるで、首から腋から色々見えている。寒くないのかな。
何故、人の姿をしているのか。元の姿には戻れるのか。
何故、俺をそう呼ぶのか。
何故、アーティファクトを食べたのか。その後の変化はなんだったのか。
リチェルの答えは、分からない、だった。
「ままが、ままだってことしか、分からないよぉ」
この竜の少女には、あの雄大な姿をしていた時の記憶が全くないらしい。
あの元の姿になれるのなら、『神の庭』へ渡る手段になり得ると思ったのだけど……。
そう上手くはいかないか。
「でも、いっぱいごはんあったら、もっと大きくなれるかもー」
「ごはん……ね」
つまりは大量の魔力。
無尽蔵に魔力を生み出すこの身体なら、この竜の少女を満足させられるだろうか。
可能性があるのなら一度試してみて……も……?
「う、お……っ?」
「ふぬーーっ!」
なんか、微妙に、身体が浮いてる……!
俺の背中に抱きついているリチェルが、全力で翼をぱたぱたさせていた。
いや待って、何してんの?
「ままがっ、飛びたいって、ゆってたから……っ!」
「や、それは別に今じゃないから」
きゅるる、と不思議な鳴き声で返事をしたリチェルは、翼を折り畳んで再び俺の背中に張り付いた。
ぜぇぜぇと熱く荒い呼吸が耳を撫でる。
びっくりしたなぁもう。
しかし……大量の魔力、か。
『血の平野』一帯に染み込んでいた『死んだ魔力』は、キルケニス・オーグリアが全て使ってしまった。
三姉妹の邸宅になら魔石があるだろうけど……正直なところ、魔石はあまり使いたくない。
戻ったら相談するだけしてみるとしよう。




