十七話 竜を穿つ槍
「ニアちゃん」
「なぁに、ソラちゃん」
巨人でも住んでいたのかと思うほど巨大な遺構はしかし殆ど崩れていて、一部の柱と土台に名残が見えるだけ。
長い年月を思わせる朽ちた石材は、人間の手では到底運ぶことなどできない大きさ。
それこそ元の世界の重機ですら、ひっくり返ってしまうのではないだろうかと思わせるほどの。
「シエラちゃんは私の伴侶ですよ」
「……ソラちゃんは女の子だよね?」
「はい」
吹き飛ばされた乾いた雪の下は、乾いた土と細かく砕かれた岩石とが混ざり、裸足では怪我をしそう。
見上げる、積まれた長方形の石の塊は階段状になっているけれど、俺の背より一段が高い。
……まじでどうやって作ったんだろう、これ。
「女の子同士の婚姻は認められてないよ」
「それは人間の世界の決まりでしょう」
屹立する折れた柱の直径も三メートルはある、まさしく巨大な神殿跡。
その奥には、今まで見た中でも一際大きな魔力の塊が見える。
けれどその魔力はあまりに薄く、吹けば飛びそうな雲のよう。
「でもそういう決まりだから。シエラは誰のものでもないよ」
「私のものです」
後ろがうるさい……!
さっきから何言ってるのこの子たち。
あれか、ガールズトークってやつか。
にしてはちょっと空気がぴりぴりしてませんかね。
「シエラちゃん」
「……なに?」
「私とニアちゃん、どっちを取るんですか」
えぇ……急に何言い出すのこの子……。
状況分かってるのかな、いやソラには人間の世界のことなんてどうでもいいのか。
「ソラちゃん、シエラ困ってるよ」
「いいんです。シエラちゃんは目を離すとすぐ浮気しますから」
「してないよぉ……」
そもそも伴侶がどうのってソラさんが勝手に言ってるだけですよね。
これはちょっと厳しく言う必要があるかもしれぬ。
足を止め、少しだけ声を抑える。
「あのな、ソラ」
「はぁ……そのちょっと男らしいところも好きです」
「あは、分かる」
「……」
分かるなよ。
しかもちょっとってなんだよ俺は男だぞちくしょう……。
……いや、そうか。こんな見た目だからとずっとそれっぽく見えるよう振る舞っていたのは俺自身だった。
ソラの前ではずっと素だったし、もういっそ開き直るのも手か……?
「でも時々すごい甘えんぼさんになるんですよ」
「泣き虫なところあるよね」
「ありますね。そこがまた可愛いんです」
「分かる」
なんか盛り上がってるよぉ……。
この二人は引き合わせてはいけなかったのではなかろうか。
時既に遅し。
まぁ用があるのは俺だけみたいだし、一人で行きますか。
小さく溜め息をつきつつ、足を踏み出す。
その俺の両腕が、同時に絡め取られた。
「……行きますか」
「はい」「うん」
両手に花という雰囲気ではない……逃がさないという圧を感じるのは気のせいだろうか。
巨大な円形の神殿、ぐるりと囲む巨大な柱に無事なものは一つもない。
内側に外側に倒れ崩れたそれらの欠片、そして空虚に広がる石の床には乾いた雪が積もっている。
天井はあったのか元からなかったのかは分からないけど、大きな二つの月は澄んだ空に丸々と浮かんでいる。
一番奥、一見したところ死んでいるような、あまりにも大きすぎるそれ。
あの時の『渦巻く海竜』より一回り以上大きい体躯には、雪が厚く積もっている。
長い首を窮屈に折り畳み、丸まった翼は段々に重なる、化石のよう。
その鱗は朽ち果てたようにくすんでいるが、時折光を鈍く跳ね返すその色は、銀。
「『月を背負う六つ羽根』」
ぽつりと呟いたニアリィの声に思い返す。
確か、ルデラフィアが空を飛ぶ魔獣のことを話していたときに言っていた名前だ。
あれを使役できれば『神の樹』に辿り着けるのだろうか。
けれど、目を閉ざす巨大な『竜』の額には、何かが深々と突き刺さり……ああ、魔力を吸い上げ続けている。
黒き魔女の、残り香。
「……随分と遅かったようだが」
鎮座する巨大な『竜』の前、待ち侘びた様子の男の声には非難の色がありありと混じっていた。
そうですよねあの流れならすぐ来ると思いますよねすみません。
「まぁ良い。これが何か分かるか、白き魔女」
その言葉に、『竜』の額を注視する。
突き刺さったそれは魔力の塊で……槍のような形をしている。
「アーティファクト」
「そうだ。黒き魔女の手によって作られた第一のアーティファクト『神槍』」
ばさ、と鈍色のローブを翻らせた痩せた男は、その細い目を見開き、声を上げた。
「膨大な『竜』の魔力を吸い続けた黒き魔女の秘宝、これさえあれば」
神の槍。
随分と大仰な名前だけど……ああ、なるほど。
思わずにやりと笑ってしまった。
きっとあのアーティファクトの本当の名前は……。
「『神殺しの槍』、だろうな」
呟いた俺の声は隣のソラとニアリィにしか聞こえていない。
その二人も首を傾げているけど。
「で、くれるんですか、それ」
「は、はは。逆だよ、白き魔女」
男の両手が真横にゆるりと持ち上がる。
左右にいた魔術師合わせて六人が、我先にと『竜』の顔に取り付き、登り始めた。
「……逆?」
槍に触れ、じゅう、と肉の焦げる音が魔術師たちの手から上がり、黒い煙が薄く揺れる。
一人の両手が崩れ、落ちた。
一人の両手が炎を上げ、落ちた。
一人の両手が焦げて、一人の両手がやはり、崩れて落ちた。
ようやく引きずり出された『神槍』が、ガランと音を立てて床に落ちた。
なるほど用意がいい、俺の魔力が染み込んだ魔布で作ったのだろう手袋か。
倒れ重なる魔術師たちには目もくれず、それを拾い上げた男は、笑みを浮かべた。
「その器、私に寄越せ」
男の言葉と同時、床に魔力が走った。
わざわざ雪で隠していたのか、大掛かりな魔術、氷、束縛、這いずる、蛇。
ソラが俺の腕を掴む、ニアリィの手を取り、ぐるりと首を廻らせながら、人差し指の付け根を噛んだ。
折れた柱の上に現出、その断面は思ったよりしっかりしていた。
眼下、半透明の蛇が獲物を求めてうぞうぞとうごめいている……その数はちょっと分からない。
「見た目は綺麗ですね」
「絡まれると一気に体温奪われて死ぬよ」
「うへぇ」
ニアリィの声に背筋が震える。
けれどこの身体はどうなんだろう、温度変化とかは活動にあまり関係なさそうだけど。
まぁ、あの数に群がられるのはちょっと嫌ですね。
なんて悠長に構えていると、足場にしている巨大な柱を氷の蛇がしゅるしゅると昇ってきていた。
あの男に『断罪』を撃つか、迷う。
あの魔力の量だ、撃てば恐らく、後ろの『竜』が巻き添えになるだろう。
穿たれていた槍が抜かれ、死の間際の『竜』……可能なら、話を聞きたい。
それにしても間近で『断罪』を見せられて、あの余裕。
抗する手段があるのか……いや、『神槍』がそれだろうか。
「あの男、殺していいんでしょ?」
ニアリィの声が僅かに冷たい色を帯びる。
ソラの目が俺の声を待っている。
そんなこと、決まっている。
「うん、いいよ」
生かしておく理由なんて、ない。




