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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第四章 旧き竜の末裔
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十六話 揺れる気持ち

 ここは山の中というより、高地ではないだろうか。

 起伏のあまりない、なだらかで変わり映えのない風景がずっと続いている。

 さらさらと乾いた雪に踏み荒らされた跡はなく、ただ進む先を薄く白く染め上げている。


 先を行くニアリィの足取りに迷いはない。

 『王に至る道』からさらに奥へ進んだこの先の終着点を、まるで知っているかのように。


 握るソラの手は冷たい。

 頬はほんのりと染まり、吐く息は白い。


 湖というより大きな池と表現したほうがしっくりくるそれを、既に三つほど過ぎた。

 それぞれを繋ぐのは川ではなく人の手が入った水路で、しかしところどころが凍りつき、水が流れているようには見えない。

 頭上には大きな二つの月、そしてぐるりと遠く山脈がそびえて並び、開放的な場所なのに何故か圧迫感を覚える。

 ずっと監視されているような気さえする。



 一時間以上は歩いただろうか。

 もう一つ湖を越えて、それは見えてきた。

 柱だけが残され朽ちた神殿、そんな印象を受ける……いや、なんだろうスケール感がおかしい。


 近づくにつれようやく分かってきた、一つ一つの石材の大きさが人間……どころか、本来の姿のソラくらいある。

 天を貫いていたであろう巨大な柱は全て崩れ、瓦礫と化している。

 直径はどれくらいあるのだろうか恐らく円形だった、明らかに人の手では不可能なこの遺構、その積み上げられた残骸の奥に……何かいる。


 目を切り替えた。

 あの『渦巻く海竜』より大きい……遥かに大きい魔力の塊は、しかし酷く薄い。


「『竜』ですか」


 呟いたソラの声が僅かに震えているのは、寒さだけのせいだろう。

 この目に映る静かな魔力からは、驚異的なものを一切感じない。

 穏やかに死に近づいている、そんな風に見える。

 その手前には、人間大の魔力の塊が幾つか。


 足を止めたニアリィの背を見やると、こちらを横目で見た金の瞳と目が合った。

 その手にはやはり視認できなかった……いつの間にか短剣が二本ずつ握られている。

 ……下がってろ、と言われた気がした。


「招かれざる客がいるな」


 階段状になった石造りの上に立つのは鈍色のローブを纏った男……痩せ細っているけれど眼光が異常に鋭い。

 ……あれを階段と呼んでいいのだろうか。一段が人間より高いけど。


「全て、話してもらう」


 そう言い放ったニアリィの両手が振るわれ、崩れた柱の壁、その瓦礫の陰から歩み出てきた魔術師二人の身体に突き刺さった。

 低く暗いニアリィの声を聞くのは二回目か。覚悟を秘めた、しかし寒々しい声色。

 その身体を廻る魔力はしかし、本調子ではないように見える。


「飼い犬など呼んでおらんぞ」


 つまらない物を見るような男の目、その腕がゆっくりと持ち上がった。

 頭と胸に深々と短剣が突き刺さった魔術師は倒れておらず、中心の男の動きに連動するように腕を上げた。

 まるで、操られているように。


 視界内の魔素が一斉に捩る、その直前にニアリィは足を踏み出していた。

 再び左右の手から二本ずつ短剣が放たれ加速、瞬時に男に到達。

 しかし計四本の短剣は、男の前に歩み出てきた魔術師の身体で全て遮られた。


「ソラ、動ける?」


「はい」


 返事とともに強く握られた指先はまだ冷たく……少しだけ、離したくないと思った。

 こちらに向け横倒しになっている恐ろしく太い柱の陰からも二人、白刃を煌かせた魔術師が飛び出してきた。

 ニアリィと男との間に割って入った魔術師、交錯する甲高い音、その頭上を覆うように『魔術の起こり』が伝播している。


 魔力を廻らせ、『吸血鬼』を抜き取り、人差し指の付け根に口付けた。

 剣を構えた魔術師二人の背後に現出、ソラと互いに手を押し合い体勢を微調整。

 後方から頭上にかけて魔術の気配、とりあえず無視、一歩で飛び込み『吸血鬼』を振るう。

 手に伝わる感触は軽く、魔力を吸い取られた魔術師は一言も発することなく倒れた。

 すぐ脇でソラに首を裂かれ、絶命した魔術師の身体がそれに折り重なる。


 倒れた魔術師の向こう、距離を取り短剣を構えたニアリィと目が合い、その瞬間。

 木漏れ日のような不思議な影に覆われた。


「……っ!」


 頭上を覆う、きらきらと光る小さな粒。

 何百、何千の氷の塊、狙いは全てニアリィか、降り注ぐ、間に合わない。


 だから、思った。

 『結界の魔術』が使えればいいのにと。

 だから、それは答えた。

 『竜の心臓』が赤熱し、現れた『閲覧者』は、既に最も最適な『結界の魔術』を示していた。

 だからただ、魔力を流し込んだ。


「『拒絶空間』」


 衝突する破裂する音が連続して鳴り響き、握り拳大の氷の塊が弾けては砕けていく。

 ニアリィを覆う円錐状の結界は、純然たる魔力も、魔術によって起きた現象も、そして物理的な衝撃も……その全ての一切を、拒絶した。



 陽射しが戻り、『閲覧者』を閉じる。

 周囲の気温が、少しだけ下がったような気がした。


 ぱちぱちぱち。

 その音に振り返ると、男の手が打ち鳴らされていた。


「オーグリア老の秘術をそのように使うとは、いやはや」


 その声は純粋な感嘆で、他には何も含まれていない。それがやけに気に障る。


「用があるのは私でしょう。手短にどうぞ」


 吐き捨て、『吸血鬼』の柄をしまう。ついでに『閲覧者』をお腹の下にぽんっと収納した。

 さくさくと音を立てながら歩み寄ってきたソラの手を握る。

 その指先はまだひんやりと冷たい。


「その通り。だからこそ、邪魔者は排除せねばならん」


 俺の後ろ、ニアリィへ向けて手の平を向ける男、その動きに連なり石階段の上の魔術師たちの手が持ち上がる。

 致命傷を負っている筈の者まで、その動きに淀みはない。

 中指の付け根をぺろりと舐めた。


 わざわざ『白き魔女』の前に姿を見せたということは、恐らくこの場にいる魔術師にはアレが刻まれているのだろう。

 術者の身代わりにさせられる、呪われた魔術の紋様。


 男から最も遠い二人の魔術師から光の柱が噴出し、足元の石材を粉々に巻き上げ収縮、遅れて周囲の乾いた雪を吹き飛ばした。

 撒き散らされた血が石材をまだらに彩る。

 スカートがはためき、獣の耳が揺れる。


「……聞こえなかったか? 用件だけ言え」


 ようやく、痩せた男の顔に動揺が浮かんだ。

 差し出された腕がゆっくりと下ろされ、重々しく口が開いた。


「これは、これは。……では、奥へ」


 魔術師どもを引きつれ、男は無防備に背を向けて歩き出した。

 崩れて尚雄雄しい柱の群れ、その瓦礫の向こうへ。



「……すみません、ニア。勝手に話、進めちゃいました」


 振り返る。

 俯きながらこちらに歩み寄るニアリィは、しかし怒っているようには見えない。


「……なんで」


 俺を睨みつけた金色の瞳は潤み、揺れていた。


「なんで、放っといてくれないの……」


「……ニア?」


 立ち尽くし身体を震わせる少女に、なんて声をかければいいのか、分からない。


「もう、やだ……いなくなるのは、もういや……」


 この少女はきっと、あの崩落を起こした彼らを殺すつもりだったのだろう。

 どんな方法かは分からないけど、きっと、気の済むように。

 そして恐らくはその後……。


 視界の端、ソラはやれやれ、と小さく溜め息をついて手を離した。


「ニア」


 これは自惚れだろうか。

 分からないけれど、この少女がまた笑えるなら、なんだっていい。

 踏み出し、手を伸ばす。

 逃げようとしたその手を、強引に掴む。


「っ……、離して、お願い……」


「嫌です」


 この少女はきっと恐れている。

 目の前で、シエラという女の子が死ぬことを。

 弱々しいその両手に、指を絡めた。


「その身で味わったでしょう。 私の、魔術を」


「……うん」


 恐らくは魔術などではない、この身を廻る、無尽蔵に湧き出る魔力。

 その正体なんてどうでもいい。

 少なくとも、今は。


「私は、この世界の神さまだって殺せるんですよ」


 その為に作られた、魂の器。

 およそ、人間ではない。


「死にませんよ、私は」


 心臓など、ないのだから。


「……本当に?」


「えぇ。『竜』よりも、『魔族の王』よりも、私は……強いので」


「……あは。そっか」


 自然な笑みを浮かべた俺よりちょっとだけ背の高い少女は、力が抜けたのかへたり込んでしまった。


「だ、大丈夫?」


「あは、は……。ごめん、ちょっと無理してた」


 屈み、焦げた茶色の髪を撫でる。

 俺を見上げる柔らかくなった顔色、期待に潤む瞳に苦笑しつつ、力の抜けた唇に、唇で触れた。


「ぁ……ん、はぁ……」


 少しだけ魔力を流し込み、こくんと小さく喉を鳴らすのを見て、離れた。

 名残惜しそうに見つめるニアリィの表情は子供のようにあどけない。

 冷たい暗殺者の顔との落差に、酔いそうになる。


 手を差し出すとすぐに握り返され、立ち上がった少女の顔は、明るい。


「……シエラ」


「はい?」


「ありがと」


 不意打ちの言葉と唇の柔らかさに驚き、固まってしまった。

 すぐに離れたニアリィの顔に咲いた笑顔は、真っ白な世界の中でただただ柔らかく、温かい。

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