十五話 王に至る道
結局あちらから来てはくれないらしい。
どうせ罠なのだろうけど、これ以上周りを巻き込みたくはない。
上層では夜通し瓦礫や土砂の撤去作業が行われていたようで、昨日より少しだけ歩きやすくなっていた。
途中、目を切り替えてぐるりと見回したけれど……やはり生きている魔力は、見えなかった。
王さまは、まだ見つかっていない。
普段は直属の兵が見張りに立っているというその入り口には灯りがなく、中は真っ暗だった。
先導するニアリィは灯りを点けずに進んでいく。
俺は目を切り替え、ソラは見えているのだろう、無言で付いていく。
長い、ただひたすらに長い、上へ上へ続く細い階段。
足音も響かない、暗く静かで、しかし微かに香る鉄のような匂いが道しるべになっている。
「ここはね、王族と限られた上級騎士しか入れない場所なんだよ」
ぽつりと、前を行くニアリィが独り言のように呟いた。
情報屋ウルフレッド・カーヴィンも確か、そんなことを言っていたっけ。
そんな場所に誰にも見咎められることなく入れたのは、城塞都市の上層を襲った崩落が原因なのは明白だった。
「この奥に行きたいから、崖を崩したんだね」
一度もこちらを振り向かない少女の声に感情の色はない。
ただ淡々と、揺るがない事実と整理された情報を突きつけてくる。
「そんなことの、為に」
思わず呟いた俺の言葉に、ニアリィの背がぴくりと震えた。
立ち止まったその足は、しかし何も言わず再び動き出した。
視界に映る薄い魔素は、上に進むにつれ少しずつ濃くなっていく。
「この先には『王の試練』で使う祭壇があって」
少女の声は先ほどと変わらない。
平坦で、抑揚がない。
「そこも併せて『王に至る道』って呼ばれてる」
この長い、恐らく崖の上に出るのだろう長い階段と、その先にあるという祭壇。
言伝の内容は、さらにその先で待つ、ということだったけど。
……王に至る、か。
「城塞都市に住む人はこの山を『神聖なる山』って呼んでたんだけど」
恐らくこの国の発足当時から、その背を守り続けてきたのだろう。
人の手では到底届き得ないその雄大な自然の有り様は、畏敬の念を抱かせるに足る迫力がある。
「これからは、なんて呼ばれるんだろうね」
吐き捨てるように言った言葉を最後に、先を歩く少女は口を開かなくなった。
月が近い。
ぐるりと遠く、雪を被った尾根が澄んだ空気の向こうに広がっている。
……空気が冷たい。
細い道が真っ直ぐ伸びていて、周りには薄く雪化粧した背の低い草木がまばらに生い茂っている。
うう、と目を押さえるソラの気持ちは分かる。
真っ暗な階段を上り続け、抜け出した先は無慈悲に光を反射させる真っ白な景色だったのだから。
戦闘の跡だろう赤が白に滲んでいる。
そして見えるだけで三人、雪で覆われてはいない重装備の兵士が倒れている。
後ろを振り返っても街並みは全く見えず、密度それ自体は薄い木々と薄い霧に視界は阻まれている……かなり奥まった位置に出てきたようだ。
随分と魔素が濃いのは標高の高さのせいなのか、それともこの場所自体に要因があるのか。
初めて訪れる地、そしてこの世界で初めて見る雪に少しだけ舞い上がっている俺には分かりそうもない。
ちらり、と横目で俺とソラを見たニアリィは、無言のまま歩を進めた。
その寂しい背中を追いかけ、ソラの手を取る。
ソラの柔らかな耳が時折ぴくりと動き、周囲の警戒をしている。
俺の目には生きている魔力は草木の淡いものしか映っていない……恐らく掃除は終わっているのだろう。
寒さに弱いのか、ソラの距離が近い。
単純に歩きづらいけど、その温かさは何よりも心地良い。
ソラと寄り添いながら進むこと二十分ほど。
見えてきた石造りのこじんまりとした建物は白く染まり、風景と同化しているようだった。
その建物へは小さな橋を渡らなければならないようで……ああなるほど、湖の中に小さな島が浮いているのか。
その小さな島に建つ豆腐みたいな建物の中に、さっき言っていた祭壇とやらがあるのだろうか。
先導する少女は橋の手前で足を止め、ようやくこちらを振り返った。
「ここは、城塞都市の歴代の王が眠るお墓。……今は関係ないね」
その目にはやはり光が宿っていない。
「この先は、人間が立ち入れない場所なんだけど」
片付いてるよねきっと。そう呟いたニアリィは目を背け、橋を渡らずに湖を迂回する道へ歩を進めた。
……この建物が『王に至る道』の途中なのか最後なのか、俺には分からない。
どちらにせよ関係のない場所だ、黙って付いていく。
湖には薄く氷が張り、水の中には魚が泳いでいるのも見える。
この世界に来て初めて見たあの大きな湖よりは遥かに小さい、十分もすれば反対側に着くだろう。
さくさくと乾いた雪を踏みしめる音だけが薄氷の上を滑っていく。
俺の腕にしがみ付くソラの鼻は少し赤い。
そういえばこいつ、ローブの中は裸だったな……。
「小さいときに一度だけ、パパに聞いたことあるんだ」
よく見れば辛うじて道だと分かるそれは、さらに奥へと続いている。
ニアリィには目的地が分かっているのだろうか。
「この山脈のどこかに、『竜』が棲んでるって」
「『竜』……ですか」
もしかしてルデラフィアが言っていた『雲隠れ』だろうか。
なんとなく寒いところにいそうな、そんな勝手なイメージを抱いていた。
俺の声に反応はない……ニアリィの歩みは、一切緩まない。
「うぅ、シエラちゃん、さむいです」
腕にまとわりつくソラの身体がぷるぷると震えている。
耳もぺたんとしていて、見るからに元気がない。
「ソラ、元の姿になったほうが」
「うう」
いやいやと首を横に振るソラ。
何故そこでかたくなになる……。
「ニア、ちょっと待ってください」
ニアリィは振り返らず、横目でこちらをちらりと見て……良かった、足を止めてくれた。
……仕方ない。
俺は小さく溜め息をつき、服を脱いだ。
この身体は気温の変化に強いのかそれとも鈍感なだけなのか、肌寒く感じはするけれど震えるほどではない。
「はい」
脱いだワンピースドレスを差し出すと、ソラは両手で受け取り、鼻を埋めた。
「すんすん……はあぁ」
「嗅ぐな。早く着なさい」
いそいそと着替えを始めたソラを見つつ、お腹の『竜の心臓』に手を当てる。
服を再構成し……魔力の量もうん、問題はなさそう。
ソラも着替え終わり、ローブを羽織りなおした。
「んふー」
サイズはちょっとだけ小さそうだったけど、大丈夫そうだな。
もう少し手馴れてくれば自在にあらゆるものを生み出せるのかもしれない。
満足そうなソラの頬を撫でてから、手を取る。
「お待たせしました」
歩み寄り声をかけると、ニアリィはこちらを一瞥し、再び歩き出した。
その態度にソラは何も感じていないのか、ここまで一度も言及していない。
俺は……どうだろう。
怒りなんて勿論湧かない。ただ少しだけ、寂しい。




