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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第四章 旧き竜の末裔
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十四話 その足は重く

 そこは、暗くて明るい、不思議な場所だった。

 黒い髪の女は不吉を纏っていて、破滅を予感させたけれど、目を逸らせなかった。

 私は、私自身のことはもう、どうでもよかった。

 けれど、泣き虫な姉と泣き虫な妹に、これ以上泣いてほしくなかったから。


 私は、頷いた。

 身体の中に入り込んでくるそれは、真っ黒で、真っ暗で、私の中の何かを侵食していった。

 それはとても大切にしなくちゃいけないものだったのだけど、濁流に飲み込まれる小さな葉っぱみたいに、どうしようもなかった。

 それに、二人の涙を止めてくれるなら、その何かすらも、ちっぽけなものに思えたから。


 私は、手放した。

 或いは、捧げた。


 女は満足そうに笑っていた。

 その笑みはとても不吉で、黒く滲んでいた。




 ちゅんちゅん。

 どこからか、小鳥のさえずりが聞こえる。

 柔らかな陽射しが小さな窓から差し込んでいて、部屋の中を薄明かりで満たしていた。


 なんで俺、素っ裸なんだ……?

 俺の二の腕にはニャンベルの頭が乗っていて、小さく寝息を立てている。

 あどけない寝顔は可愛らしく、ずっと見ていたくなる誘惑に駆られるけど。


「ニャンベルさん、起きてください」


 軽く身体を揺するも、反応なし。

 なんでこの人も一糸纏わぬ姿なんですかね……。


「……ベル、起きて」


「んぃぅ……」


 謎の言葉を喉の奥から発したニャンベルは、しかしまだ目を覚まさない。

 仕方ない。

 ニャンベルの身体に一度覆い被さり、両手で頬をつまむ。

 ぷに。


「にぅ」


 眉根を寄せ、いやいやと首を振るニャンベル……あれ?

 以前ニャンベルの部屋で一緒に寝たとき、その無防備さは何か魔術によって守られているからだと思っていたんだけど。

 ……目を切り替えた。


 思えばニャンベル・エクスフレアの身体を、こうしてこの左目で見るのは初めてかもしれない。

 身体の中心に毛糸の玉のような魔力の塊があり、そこから糸が解けるように全身に魔力が廻っている。

 似ている、と思った。

 しかしそれが何に似ているのかは、すぐに思い至らなかった。


 こん、こん。

 ドアが控えめに鳴り、返事を待たずに開け放たれた。

 隙間を滑り込むようにぼさぼさな黒灰色の長い髪が現れ、部屋を覗き込む。

 その目が、眠るニャンベル(裸)とその小さな身体に覆い被さる俺(裸)を捉え、喜色に歪んだ。


「いや、違いますからね」


 何か言われる前にそう言い放つも、猫背の女は音もなくその姿をドアの向こうに隠し、ゆっくりとドアを閉めた。

 怪しげな笑みを残して。

 ……絶対何か勘違いされている。


「ニャンベル、起きてぇ」


 ぷにぷにぷに。

 無防備なほっぺを押して引っ張って撫で回しても、まったく起きる気配がない。

 というか、目覚めに抵抗でもするように、硬く目を瞑っているような。


「……」


 ゆっくり顔を近づける。

 何かを待ち望んでいるような、柔らかな唇に触れる寸前で……止めた。


 数秒の静寂。

 ちら、とニャンベルが薄めを開け、俺の顔を覗いた。

 やっぱり狸寝入りだった……。


「ニャンベルさん」


「うぅ~ん、むにゃ、むにゃ」


 きゅ、と目を瞑ったニャンベルは、わざとらしい寝言を呟く。

 まさか、バレてないとでも……?


「……はぁ」


 わざとらしく溜め息をつき、ニャンベルの小さな身体に体重を預ける。

 ふわっふわな髪、その後頭部に手を回し、四肢に魔力を廻らせる。

 何を期待しているのか知らないけど、それなら俺も本気を出させてもらおうか……。


 俺がこの世界にきて何人の唇を奪い(!)、技術を磨いてきた(?)のか……その絶技、味わうといい。




「今朝はお楽しみでしたね」


「あ、はい」


 背中に引っ付いたニャンベルと階段を下りていくと、カウンターにだらりと身体を預けた猫背の女に笑顔で出迎えられた。

 掠れた声は相変わらずだけど、心なしか顔色がいい。


「何か飲まれますか」


「……水で」


 カウンター席によじ登り、出されたそれをごきゅごきゅと飲み下す。

 半分ほど減ったところで後ろから伸びてきた小さな手に奪い取られた。


 一息ついたところで、話を切り出す。

 せめて身体の前側にきて欲しいけど、まぁいいや。


「ベル」


「なに」


 後ろを見ようとすると、こつんと頭がぶつかった。


「やり残したことがあるので、ちょっとだけ待っててもらえますか?」


「いいよ」


 ああ、会話ができるってすばらしい。

 むなしい感動を覚えつつ、それじゃあと立ち上がる。

 しかしニャンベルは、俺の背から降りようとしない。


「あの」


「手伝って、あげる」


 おや。

 嬉しい申し出だけど……。


「……私の魔力はおいしいですか」


「うん」


 隠そうともしない!

 いや分かってたけど。

 この子、身体のどこかがくっついてる間、ずっと魔力ちゅうちゅうしてたし。

 今も現在進行形で。

 凄い技術なんだろうけどやめて?


 おや、と見上げる。

 二階の手すり越しにこちらを見下ろすソラの目が若干以上に険しい。

 そして獣の少女は溜め息をつき、呟いた。


「シエラちゃんがまた浮気してる」


「いや違うから」


 またってなんだよ。

 すと、と隣に静かに降り立ったソラは、俺の背中に引っ付いているニャンベルを睨み、口を開いた。


「自分の足で歩けないんですか、人間の癖に」


「獣、なら、手ついて、歩けば?」


 ピリ、と空気が凍りついた。

 カウンター越しの猫背の女はしかし笑みを浮かべている。

 おいおい下手したらこの宿吹っ飛ぶぞ。


「二本足で立てる分、妹の方がまだマシですね」


「人間の、振りしてる、獣に、言われたく、ない」


 冷や汗が止まらない。

 今こうなってる原因はなんだ。いや分かってる、俺だ。


 ぴく、と二人の手が動いた瞬間、右手の人差し指の付け根を噛み、ニャンベルの身体の後ろに現出した。


「わ」


 ソラが僅かに目を見開き、ニャンベルの口から小さく驚きの声が漏れた。

 宙に浮いたその小さな身体に手を添え、床にそっと降ろす。

 こちらを振り向き、むぅ、と頬を膨らませたニャンベルと微妙にドヤ顔になったソラ、その間に入り、二人の顎に手を添えた。


「仲良くしないと、もうちゅーしてあげないからな」


 何故か上から目線だった。

 そもそもなんで女の子が女の子を取り合ってるんですかね……。


 眉根を寄せて不満顔なニャンベルと、しゅん、と耳をしおれさせたソラ。


「これがお嬢様たちをめろめろにしたシエラ様の手管ですか」


「言い方ぁ……」


 猫背の女はカウンターに寄りかかり、薄く笑いながら言葉を続けた。


「ベルお嬢様。シエラ様は大事なお仕事があるそうですから、ここでお待ちになられてはいかがでしょう」


「やだ」


 かたくな。

 かと言って連れて行くのも……。

 これから俺がやろうとしていることは血生臭い、ただの暴力だ。

 戦力としては頼もしいけれど、正直なところ巻き込みたくはない。


「素直な良い子には、後でご褒美があるそうですよ?」


 ぱちり、と猫背の女の目配せを受け、こちらを期待の目で見つめるニャンベルの頭を撫でる。


「むぅ。……分かった」


 勝手に何か約束させられたけど、納得してくれたみたいだしまぁいいや。

 そしてニャンベルはソラを見やり、呟いた。


「シエラを、ちゃんと、守ってね。……、ソラ」


「……勿論です、ベルちゃん」


 どうやら仲直りしたらしい、庇護の対象として見られていることに少しだけ泣きたくなったけど。

 よきかな。


「すぐ片付けて戻ってくるので」


 そう言い残し、色々な種類の視線を背中に浴びつつ外へ出た。




「あは。おはよう、シエラ」


 外に出た俺を待っていたのは、血のように赤い外套を纏った、ニアリィ・タージェス。

 その顔には笑みが浮かんでいるけれど、目元は笑っていない。

 そして少女の足元には、ぼろきれになった鈍色のローブの男がうずくまっている。


「……おはよう、ございます」


 俺の声を受け、ニアリィは足元の男の髪をぐい、と乱暴に引っ張り上げた。

 ぐぅ、と呻き声を上げたその男の顔は、腫れ上がっていて痛々しい。


「シエラを狙ってたみたいだから」


「そう、ですか」


 男のローブには血が滲み、目の焦点が揺れている。

 口の端からは唾液と血が混じった液体がだらだらと垂れている。


「ほら、伝言役なんでしょ? 手間取らせないでよ」


 ニアリィの空いた手にいつの間にか短剣が握られ、男の頬を抉った。

 その容赦のなさに肌がざわつく。


「あ、が……、お、『王に至る道』、その先で……、主様、がお待ち、で、あ」


 言い終わる前に男の眼球がひっくり返った。

 ズ、と首の後ろに深々と刺さったそれで、男の言葉と生が途切れた。

 顔面から崩れ落ちた男に見向きもせず、ニアリィは短剣に付いた血を丁寧に拭う。


「だってさ。行くんでしょ?」


「……はい」


 その声はいつも通りだけど、金の瞳は暗く、冷たい光を湛えている。

 有無を言わさぬ迫力が滲み出ている。


「ニア、私に用があったんじゃ」


「ああ、うん」


 薄く笑みを浮かべ、後ろに手を組んだニアリィは、右足を少しだけ浮かせた。


「お礼、言ってなかったから。綺麗に治ったよ。ありがとう」


「……良かった」


 物理的に精神的に少しだけ距離を感じる。

 初めてこの少女に会ったときと同じ、不自然な笑みがその顔に張り付いている。


「上層の一番奥に入り口があるから」


 歩き出したその背には近寄りがたい……拒絶的な意思を感じる。

 誰でもない、恐らくは、全てから。

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