十三話 早すぎる迎え
ぎぃ、と両開きの重い扉を押し開くと、がらんごろんと鈍い音が店内に鳴り響いた。
中は薄暗く、周囲からの視線は相変わらず排他的。
正面のカウンターでは、ぼさぼさの黒灰色の長い髪の女が、にたり、と笑って出迎えてくれた。
「お久しぶりですね、シエラ様」
「こんばんは」
掠れたその声も以前と変わらず。
長身だが酷い猫背の女は、俺が来ることを見越していたのか、俺とソラが背の高い椅子によじ登るように座ると、目の前にジョッキ大の木のカップを滑らせるように置いた。
覗き込むと……あれですね、甘いけど強い例のお酒ですね。
ソラの方も似たような色をしているけど、鼻を鳴らしたソラが嫌な顔をしていない……こっちはお酒ではなさそう。
って、ちょっと待って。
「……すみません、今お金持ってないんですけど」
ごきゅ、と隣でソラが喉を鳴らした。
そして目をぱぁっと輝かせ、ごっきゅごっきゅとすごい勢いで飲み下していく。
待って! ソラさん待って!
「構いませんよ、シエラ様。お代は……」
「……?」
その言葉に首を傾げると、猫背の女は僅かに目を伏せた。
その瞬間、背中にふに、と柔らかい感触が降りてきて、首に腕が回された。
なんで毎回この子は俺の背中に登場するんだろう。
「ぷふぁ」
ソラはあの量を一気に飲み干したらしく、カップをカウンターに置いてからこちらをちらりと見た。
そして特に気にする風でもなく、カップを猫背の女の方へすすす、と押しやった。
しれっとお代わりを催促してる……。
俺の背から音を立てずに床に降り立った重さを感じさせない少女は、俺の隣の椅子によじ登り、一息ついた。
カウンターの上に分厚い魔術書を雑に置き、俺の目の前にあったそれを両手で掴み。
ごきゅ、ごきゅ。
赤金色のふわふわした髪を今日は後ろで一つに纏めている……ニャンベル・エクスフレア。
あの、それ、お酒……。
「けぷ。……はぁー」
エクスフレア邸でニャンベルがぶどう酒を飲んでいるところを見たことがないけど、大丈夫なのかな。
……大丈夫じゃなさそうですね、顔がどんどん赤くなってますね。
「あの、ニャンベルさん」
「遅い、から。っぷ……迎えに、きた」
そうですかありがとうございます。
なんでお代わりを要求してるんですか大丈夫ですか。
「ベルお嬢様はこちらです」
猫背の女が奥から持ってきたのは、お高そうなグラスになみなみと注がれた透明な液体。
むぅ、と小さく唸ったニャンベルはそれを受け取り、ちびりと口に含んだ。
ほんのりと湯気が立っているそれはそれでおいしそう。
「えぇと、ニャンベルさん」
「……なにぃ」
駄目だこの子すでに眠そう。
俺がここに来たのは、用事が長引きそうだからもう少し時間かかりそうです、って三姉妹に伝えてもらう為だったんだけど。
来てくれたのなら手間が省けた。
「もうちょっと待っててもらえますか」
「やだ」
やだて。
分かったぞこいつもう酔ってるな?
ソラの方からはまた勇ましくすごい勢いで何かを飲み干していく音が聞こえる。
ニャンベルは一度椅子から飛び降りると、むにゃむにゃ言いながら俺の身体によじよじと登ってきた。
自由すぎる……!
前にもこんな体勢で話したな、と思い返しつつ、ニャンベルの髪を撫でる。
ちらりと横目でソラの様子を窺うと、ちょうどカウンターに頭突きをぶちかましているところだった。
ごつん、といい音が鳴り……ソラは寝息を立て始めた。
えっ……何か盛られたの?
俺に真正面から抱きつくように座ったニャンベルは、俺の耳たぶから魔力をちゅうちゅうと吸収している。
もうやだこの子たち……。
あらあらまぁまぁみたいな笑みを浮かべる猫背の女を見やりつつ、口を開く。
「ニャンベルさん、あの」
「やだ」
「えぇ……?」
取り付く島もないとはこのことか。
どうしようかなと半ば諦めていると、カウンター越しの猫背の女がちょいちょいと俺を呼んでいる。
いや動けないんですけど。
カウンターの上に乗り出した猫背の女、ああこの人着やせするタイプですね、柔らかに形を変えるそれを注視しつつ、首を傾ける。
「ベル、と呼んであげてください」
と、俺の耳元で囁いた女は、怪しげな笑みを浮かべて身体を戻した。
……愛称、だよなぁ。
小さく溜め息をつき、ニャンベルの小さな耳に唇を近づける。
「……べる?」
「んっ」
悩ましげな声を出すんじゃない。
離さんぞ、とばかりに俺の身体に抱きついていた力が緩み、ニャンベルは小首を傾げて俺の顔を覗き込んだ。
薄く淡いラベンダー色の瞳に、白い髪の少女が映りこんでいる。
……店内に潜む、エクスフレア家に従う協力者たちの視線をひしひしと感じる。
「……えぇと、その」
距離が近い。その目はほとんど閉じている。
「シエラ」
「はい?」
囁くような声、その吐息が唇を撫で、少しだけくすぐったい。
アルコールの香りと、甘い何か。
「フィアと、ヴィオ姉と、えっちした、でしょ」
「してねぇよ」
思わず素で突っ込んでしまった。
ガタッ! とけたたましい音が店内のいたる所から鳴り、猫背の女が隠そうともせず鼻息を荒くしている。
ソラは突っ伏して寝ているようだ。
一服盛られた説が濃厚になってきた。
「私とも、しよ」
「しないし! してないし! したことないし!」
ガタタッ! と先ほどとは別の意味で店内にけたたましい音が鳴り響いた。
あら、と口元を押さえにやつく猫背の女。
何かやらかした気がするけど、それよりも情報の出どころの方が気になる。
「どうして?」
「どうしても何も、いや、まず落ち着こうか」
生きている心地がしない。
どうどう、とニャンベルの背中をぽんぽんと叩く。
するとニャンベルは俺の肩に頭を預け、すぐに小さな寝息を立て始めた。
「お見事ですね、シエラ様」
「なにが……?」
俺のその声には答えず、猫背の女は部屋に案内します、とだけ言い、背を向けた。
ベルお嬢様を運べってことですね、分かりました。
「ソラ、起きて」
「むにゅむにゃ」
駄目そう。
二階への階段を上がり、ニャンベルを抱きかかえたまま先導する女についていく。
以前ルデラフィアと通された部屋ではなく、一番奥のドアが開かれた。
「お連れの方はこちらで介抱させていただきます。……朝まで、ごゆっくり」
その意味深な笑顔をやめろ。何もしないからな。
なるほど部屋の中には大きなベッドが一つ。
お客様用、というよりはお嬢様用、か。
コアラみたいに抱きついたままのニャンベルの靴を脱がせベッドに降ろそうとするも、手が離れない。
「……ベル、寝るならベッドで」
反応なし。
仕方なくベッドに腰を下ろし、眠るニャンベルの背中を撫でる。
中身が空っぽなんじゃないか、なんて思ってしまうほど軽い少女は、しかし安らかな寝息を立てている。
子供のような小さい体躯に、濃密な魔力。
……何歳なんだろう。
そのまま後ろに倒れ、ニャンベルを乗せたまま目を瞑る。
……少しずつ魔力吸われてるんだけど、朝までもつかなぁ、これ。




