九話 冷たく暗く鈍く
見上げると、せり出した高すぎる崖が倒れてきそうな、そんな錯覚に目が眩む。
崖下にぽっかりと開いた口は、ちょうど馬車が一台通れる大きさ。
そこからちょうど、縄で繋がれ、兵士に引かれて並んで歩く裸の人間が……五人。
見るからに痩せ細り、恐らく老人だろう彼らの性別は、一目では判別できない。
その四肢にはとても小さな薄い結晶が……生えているというより、刺さっているように見える。
「彼らは……どこへ?」
「あー、土掘りじゃねぇかぁ?」
作業員、ということだろうか。
年老いた『木々を食むもの』、肉体労働には不向きなように見えるけど。
「ありゃあ末期の奴らだな。今の時期だと、六番畑の追加か。っと、隊長呼んでくらぁ。ちょっと待っててくれ」
「はい。……あれ、見てきてもいいですか?」
「ん? あぁ、別に構わんけど」
そう言ってコンサは、石造りの建物に入っていった。
それと入れ替わりで駆けていく兵士たちはどこか慌てた様子。
漏れ聞こえてきたのは、保管していた魔石がなくなったとかなんとか。
なんだか大変そうですね。
ソラはずっと静かにしている……周りに興味がないのか、たまに俺の手を握り直すだけ。
兵士に引かれていく枯れた彼らの後を追い、崖沿いを中層の方へ。
ところどころに頑丈そうな木の杭が地面に突き刺さっている他は、何も見当たらない殺風景な風景が続く。
しばらく歩くと一段高くなった、背の低い柵で囲まれたこれが恐らく畑だろう、武装した兵士がぐるりと取り囲んでいて、空気が重たく感じる。
こちらをちらりと見た兵士たちは話が通っているのか、それ以上の反応はなかった。
畑と呼ぶには畝もなく、雑草すらほとんど生えていない乾いた地面。
その区切られた空間の中には既に先客がいて、使い古しだろう歪んだスコップを手に地面を掘り返していた。
いつからいるのだろう、全身が土にまみれ、やはり小さな結晶が見える、息も絶え絶えな老いた彼ら。
連れてこられた『木々を食むもの』たちは両手を繋がれたまま、柵の中に入れられていく。
彼らの目に光はなく、動いているのが不思議に思えるほど……切り替えた目に映った魔力は、枯れ果てている。
ざく、ざく。
兵士があくびをしている。
老いた彼らの、地面を掘る速度はあまりに遅い。
併せて十一人の枯れた『木々を食むもの』は黙々と、穴を掘っている。
ざく、ざく。
「よーし、そんなもんだろ」
やる気のない兵士の一声で、彼らの手がようやく止まった。
広く浅く掘り返された『畑』の中で、倒れこむ者、うずくまる者、立ち尽くす者。
どうやら作業は終わったらしい、見ていて気持ちの良いものでもなかった。
「……戻ろ」
ソラの手を引き、振り返る。
少しだけ高いここから見渡す風景は、右手に圧迫感のある崖がそびえ立ち、窮屈感を覚える。
「んじゃ、埋めっか」
という兵士の声を耳にしながら、何歩か進んだところで、はたと足が止まった。
『畑』というくらいだから種でも蒔くのだろう、それにしては埋めなおすの早いな、なんて。
そんなことを思いながら、振り返った。
ごしゃ。ぐしゃ。
「?」
振り下ろされたスコップは鈍器。
乾いた土が砂が、美味しそうに血を吸っている。
誰からも声は上がらず、静かに淡々と命が叩き潰されていく。
「なに、して……?」
「あぁ、嬢ちゃんここにいたかぁ」
コンサの軽い声に振り返るも、咄嗟に言葉が出なかった。
ちらり、と『畑』の方を見たコンサは、しかしすぐに平然と言葉を続けた。
「別件でごたごたしててなぁ。中で合流することになったから、ついてきてくれ」
「……え? あ、え」
ごしゃ。ぐちゃ。
「ま、まって。あの、あれ。あ、あれ……っ」
何事もなかったかのように背を向け歩き出すコンサの腕を掴み、しかし上手く言葉が出ず、後ろを指差した。
コンサは僅かに首を傾げると、ああ、と呟いた。
「ん、嬢ちゃんの国じゃやってなかったのかぁ? 残りカスを埋めると、土壌が回復すんだ」
「は……、え……?」
うろたえ、情けない声を出しているのは俺だけだった。
隣のソラもその光景に関心を示さず、早く行きましょう、と目で訴えている。
目の前のコンサも、俺が何に動揺しているのか分からない、という表情を浮かべていた。
絶命した肉の塊の上に、掘り返された乾いた土が被せられていく。
彼らは、自分たちが埋められる穴を、掘らされていたのか。
墓穴……いや、墓なんて上等なものでもない、ただの……肥料を埋める為の穴だ。
「他にいい使い道あるなら、教えてくれな」
普段通りのコンサの声色が怖くて、上手く聞き取れない。
脚が小さく震えるのを止められそうにない。
「なん、……ひ、人を、あんな、ふ……殺しちゃ、だめ……ですよ……?」
頭の中がぐるぐるとして、口から漏れた言葉は掠れていた。
今にも泣き出しそうな少女の声が、他人のもののように聞こえる。
「あぁ大丈夫、あれ全部石だから」
石。
初めて会ったときから彼らは、『木々を食むもの』のことをそう呼んでいた。
俺はきっとどこかで、それはただの呼び名で、ただの蔑称だと思っていた。
……生き物としてすら、扱われていないなんて。
お腹の下で感情が……魔力が、どろどろとうごめいている。
腕に生えた魔石を折られて、あんな扱いを受けて尚、あの二人は三狂の魔女の邸宅に残る選択をした。
その理由が、やっと分かった。
あの場所は、この世界では、異常だったのだ。
魔術を追い求めるが故の、常識とはかけ離れた異界。
それも、ただ効率を最大限に求めた結果にすぎないけれど。
「……そう、ですね。……そうでした」
あは。
笑って誤魔化し、行きましょうかと促す。
それでも、これがこの世界の常識だとしても、扱う彼らが魔術師であるならば。
あの邸宅のように、なれはしないだろうか。
それがかりそめだとしても、あんな風に扱われるよりは……ずっとマシだと思う。
崖下にぽっかり開いた入り口、その前に立つ見張りの兵士は二人。
俺とソラを連れて歩くコンサはそこら辺の兵よりは偉いらしい、掛けられる挨拶を適当にあしらっている。
中は最低限の灯りしかなく、薄暗い。
急に空気が冷たくなった気がしてソラの手を……あぁ、気がつかない間にずっと、ソラの手を強く握り締めていた。
慌てて手を放す。
「ごめん。……痛かった?」
「いえ、平気ですよ」
その温かい手を取り、前を見据える。
暗く長い通路は奥まで見えず、どこまで続いているのか分からない。
右手、数メートル置きに斜め奥に向かって通路が伸びていて、第一印象は坑道のよう。
俯瞰すれば縦半分にした一本の羽、真っ直ぐ続く道が軸で、向かって右に枝が伸びていくイメージだろうか。
「こっちだ」
コンサはその一本目を曲がり、幅が狭くなった通路を奥へ歩いていく。
「……っ」
視界に飛び込んできたのは、木でできた格子組の柵。
その中には、外でも見た太い木の杭がむき出しの地面に何本か刺さっていて、そこに一人ずつ繋がれている……身体に魔力の結晶を宿した人々。
目に光はなく、結晶も薄く濁り、身体は汚れ痩せ細っている。
細い水路が通っている以外は、その牢としか表現できない中の空間には、何もない。
寝床も、着る物も、何もない。
生きているのか死んでいるのか、それすらもよく分からない。
「来たか」
三つ目の牢を過ぎたところで、グレイス・ガンウォードともう一人、額に包帯を巻いた初老の男が待っていた。
「コンサ、戻る前に五から八番通路の様子を見てきてくれ」
「了解」
グレイスの言葉を受けコンサは足早に通路を戻っていった。
狭く寒々しい、岩と土が混ざった壁と牢屋に挟まれた通路に、男の声が響いた。
「お会いできて光栄だ、白き魔女殿。私はケイブ・ナーカイブ。この貯蔵庫を任されている」
「……どうも」
差し出された手を握り返す。
手首にバングル、そして指輪が二つ。それぞれ紋様が刻まれている。
「いかがかな。ここまでの規模のものは、そうはあるまい?」
ケイブと名乗った初老の男の声は、自信に満ち溢れていた。
酷く、気分が悪い。
こんなものが、自慢なのか。
押し黙った俺を見て、グレイスが口を開いた。
「と言っても急造でな。アーティファクトの為に古い施設を流用したに過ぎん」
恐らくは罪人を入れておく場所だったのだろう、牢にしか見えないそれ。
彼らの扱いはそれ以下に見えるけれど。
ケイブの陽に焼けていない青白い手が、壁を撫でた。
「件のアーティファクトが排されたわけだが、この場所が用済みになるわけではない。
海を渡ってきたという白き魔女殿なら、より良い運用方法をご存知ではないかと」
運用方法、ね。
仮に、彼らのことを人間扱いしてくださいと言ったところで、素直に頷くとは思えない。
見たところプライドも高そうだ。
「……」
俺には関係のない話だ。
見なかったことにして立ち去れば、それだけで済む話。
この世界の常識を、当たり前のことを覆すなんて、俺にはできそうにない。
けれど。
暗闇の中で、食事もほとんど与えられていないのだろう、細い手足に歪に生える痩せた結晶が、薄く細く濁った光を湛えている。
彼らの姿に、あの二人の……テテとトトの姿が重なってしまう。
目の前の、興味と好奇の色を浮かべた自尊心の固まり、その奥底に隠れている僅かな恐怖を見つめる。
この国に伝わっているだろう『白き魔女』の噂を体現すべく……笑みを浮かべた。




