七話 記憶の在り処
黒い原木で組み上げられた店構えは異様に目立つ。
店先で、二メートルはあろうかという大男が汗を光らせ、イイ笑顔で革をなめしている。
ルーザー・メロロウ。焼けた肌が眩しい。
「……なんですか、あれ」
ソラの声が恐怖に震え、俺の手をぎゅう、と強く握った。
人間に対して怯えるソラの姿はなかなかに珍しい。
「……るーちゃん」
意を決して声をかける。
手を止め、ふしゅう、と息を吐いた大男はゆっくりと振り返り……笑顔を咲かせた。
隣でソラが小さく、ひぃ、と声を漏らす。
「シエラちゃん、待ってたわよ」
「遅くなってごめんなさい」
固まったソラを引き摺りながら歩み寄ると、陽射しが隠れてその大きさが一層際立った。
初めて見たときよりは……いや、やっぱり圧がすごい。
「いいのよ、忙しかったんでしょう?」
「えぇと、はい」
目の前に屈んだルーザーは俺の頭に手を乗せると、子供をあやすように優しく髪を撫でた。
ううん、この男も撫でるの上手いんだよなぁ。
「シエラちゃん、そちらの可愛い子は?」
ぴく、とソラの耳と尻尾が警戒の形に尖った。
逃がさんぞ、という意思を込めて手を強く握る。
「えっと、この子はソラです。私の……」
「伴侶です」
そうですか。そうでしたね。
ずい、と覚悟を決めた顔で一歩を踏み出したソラを見て、しかしルーザーはにっこりと微笑んだ。
「ふふ、お似合いだと思うわよ」
「見る目がありますね、るーちゃんとやら」
怖いもの知らずにも程がある……。
恐らく本気で受け取ってはいないだろうルーザーは、ソラの頭の上にもその大きな手を置き、撫で回した。
ソラも満更ではなさそう。
「ソラちゃん、あなたにも似合いそうなのがあるわ。お時間あるなら、どう?」
「仕方ないですね」
何故か上から目線のソラは、店内へ入っていくルーザーを追いかけていった。
なんでだろう、微妙に重くなった足を踏み出し、店の中へ。
奥の作業台では、線の細い中性的な雰囲気の優男が難しい顔をして作業に没頭していた。
「ヒューリック」
ルーザーが声をかけると、呼ばれたヒューリック・サンはゆるりと振り返り、俺の姿を認めると……柔らかな笑みを浮かべた。
「おや、これはこれは。お久しぶりですね、可憐なお嬢さん」
相変わらず優しげな物腰だった。
線の細さはしかしその中性的な顔立ちのおかげで様になっている……さぞかしおモテになるんでしょうね。
と、挨拶を返そうとした瞬間、ルーザーの言葉が割って入った。
「この子たちが例のお客さんよ。あの部屋、準備して頂戴」
「はい、お師匠様」
会釈をして二階へ上がっていくヒューリックの背を見つめるルーザーの顔はなぜか険しい。
「……シエラちゃん、ちょっといいかしら」
どうしたんだろう、急に声色が変わったけど。
俺は手近な椅子に腰掛け、ふらふらと店内をさ迷うソラを見やる。
そしてルーザーは、似合わない沈痛な面持ちで口を開いた。
サン家と言えば代々騎士を排出している名門の一族で、城塞都市レグルスに根を下ろす者の中に知らない者はいない。
上層の一等地に二つの立派な邸宅を保有し、王からの信頼も厚い。
長男として生まれたヒューリック・サンも例に漏れず幼い頃から勉学と訓練に励み、立派な騎士へと成長した。
若い頃から次代の騎士団長と目される程の剣の腕、広い視野を持ち、人一倍の優しさと勇気を兼ね備え、そして凛々しい美貌。
逸材だった。
「『災厄』のときに、彼は頭に深い傷を負ってね」
城塞都市レグルスの、外界と下層とを隔てる最も長大な壁は、今も修復作業を続けている。
動けるものは皆駆り出されたというその戦いは、壮絶を極めたという。
その中でヒューリックは仲間を庇い負傷した。
それはしかし普通の傷ではなく、ある種の……『呪い』染みていた。
「彼は今、新しく生き物を記憶することが、ほとんどできないの」
『災厄』の日以降、特に人間の顔、名前、性別、外見の情報が長くても二日で抜け落ちてしまうという。
「それ以前の人たちのことは覚えているんだけどね。
それで昔の伝手もあって、今はここで働いてもらってるんだけど」
何をやらせても優秀で逆に困っちゃうわね、と笑ったルーザーの顔は、しかし辛そうなものだった。
「でも、私のことは覚えてましたよ?」
「そうなのよ。……どういうことなのかしら」
ルーザーの表情は、冗談を言っているようには見えない。
「回復の兆しなら、いいんだけど」
それじゃあ準備が出来たら呼びに来るわね、と言い、ルーザーも二階に上がっていった。
……あんなに大きい山のような背中が、酷く寂しく小さく見えた。
ふらり、とソラが戻ってきた。
どうやらここはソラには匂いがきつすぎるらしい、鼻をぐしぐし擦りながら抱き着いてきた。
「……どういうことだろ」
「さあ」
元いた世界でも聞いたことがある……記憶の障害。
脳へのダメージで引き起こされるそれの、治す方法は明確ではなかった。
「シエラちゃんのことを覚えているなら、別に問題ないのでは」
「まぁ、そうだけど」
部外者がとやかく言う問題でもないだろう。
俺に何かできるのなら、そのときは全力で協力しよう。
ヒューリック・サンはとても優しい、尊敬できる人間だ。
初対面のおチビちゃんに礼節を尽くしてくれたことは忘れていない。
店の二階、一番手前の部屋の中には不思議な光景が広がっていた。
木製のマネキンだろうか、子供の体格に見えるそれが並べられ、様々な小物で飾られている。
「るーちゃん、あの……靴なんですけど」
早々に失くしてしまったことを素直に伝えると、ルーザーはしかし怒らず、にやりと笑った。
「大丈夫よシエラちゃん。既にあれを上回るものが出来ているわ」
あれを、上回る……だと。
履き心地といい歩きやすさといい、あれ以上のものなど到底望み得ないと思っていたのだけど。
「さあ試してごらんなさい。きっと満足してくれる筈よ」
ブーツを脱ぎ、手渡された薄手の靴下、それを手で広げて観察して……返す。
首を傾げたルーザーに笑みを返しつつ……昨日から身体の中の魔力の廻りが良い、いける気がする。
「……ふぅ」
お腹に……『竜の心臓』に手を当て、ワンピースドレスと同様、魔力の構成を試す。
足元から青白い炎がぽわっと浮かび、しかしそこで留まらず……股下まで燃え上がった。
「あわわわ」
幸いにも延焼はしなかった。
熱さを感じない炎はすぐに消え、狙い通り俺の素足は。
「……」
白く薄い生地で包まれていた。
く、靴下じゃない……!
「……素晴らしい。素晴らしいわ、シエラちゃん」
「なるほど、これはまた意欲が湧きますね」
絶賛だった。
露出が一気に減ったのはいいものの……あれ、でもこの包まれる感覚は悪くないぞ……?
おもむろにスカートを捲くる。
確かニアリィも、黒っぽい同じようなのを穿いていたなと思い出す。
「タイツだこれ」
「こら。はしたないわよシエラちゃん」
あ、はい。
渡された新作の靴は、以前のものと見た目はあまり変わらない、しかし。
履いてみて分かった、けれどこの凄さを表現する言葉が、出てこない。
「ああ、ああ。やはり素晴らしいですね」
ヒューリックの目にはどう映ったのだろうか、とても満足そうに頷いてくれている。
「シエラちゃん可愛いです。にゃーんしたらもっと可愛いですよ」
「やらん」
そんなぁ、と耳をぺたりと伏せるソラは、直後にルーザーに捕まり身体を検分され始めた。
その場でくるくると回る俺を恨めしげに見るソラだけど、そこまで嫌がっているわけでもなさそう。
「このチョーカーなかなかの出来ね。どこのかしら」
「ディアーノおじいちゃんです」
あら、と呟いたルーザーは続けて、懐かしいわね、と独りごちてソラの身体に手を這わせていく。
曰く、彼は触るだけでその人のありとあらゆるサイズが分かるらしい。
「たすけてくださいしえらちゃん」
「がんばれ」
そして三時間に及ぶ、悪夢のファッションショーが始まったのだった。




