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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第四章 旧き竜の末裔
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五話 やせいのほんのう

「お待たせ、パパ」


 城の外では、レイグリッドとソラが並んで待っていた。

 話を聞くと、ソラは糧食とともに荷車で運ばれていき、その先でひと悶着あったらしい。


「酷いですよシエラちゃん」


 食べられなくて良かったですね。

 じっとりと睨みつけるソラは、しかし俺に抱きつくと、途端に耳と尻尾をピンと立たせて声を和らげた。


「すんすん……? シエラちゃん、すっごい良い匂いします」


「え、そう?」


 お風呂上りだからですかね。

 髪はまだ根元のほうが乾いていない。


「いえ、これは……ふうぅ。なんでしょう……すんすん、はぁ……」


 首筋に鼻を埋めるソラの髪を撫でつつ、レイグリッドを見やる。

 流石に待たせすぎた。


「すみませんお待たせして。何か用事ですか?」


「ああ、いや。その娘を送り届けにきただけだ」


 騎士団を率いる多忙であろう男が、わざわざ。


「それはなんというか……すみません、うちの子が」


 ほら、ソラも頭を下げなさい。

 深々と頭を下げる俺とソラを見守るレイグリッドは、完全にお父さんの顔だった。


「ついでだったからな。ああそれと、下層の馴染みの店でグレイスが待っているぞ。……では、な。」


「またね、シエラ」


 レイグリッドとニアリィは手を繋ぎ、並んで歩いていった。

 その心が温まる背を見送り、再び鼻を鳴らし始めたソラの耳をくにくにといじる。


「なに、そんなに匂う?」


「すごいです」


 即答だった。

 すごいか。そんなにか。


「すんすん、なんと言うか、いつもより甘いです……はあぁ……。これ、本当にやばいですよシエラちゃん」


「えぇ……?」


 引き剥がしたソラの頬がほんのりと紅く染まり、目が潤んでいる。

 酔ってんの?

 なんで?


「もっかいお風呂入ってこようかな……」


「それは意味がないと思います」


「……どういうこと?」


 お風呂に入っても取れない匂いってそれはもうバイオテロか何かでは?

 す、と音もなく目で追えない速さ(!)で俺の背後に回りこんだソラに後ろから抱き付かれ、うなじに鼻を押し付けられた。


「すんすん……、身体の内からですから……。はあぁ……なにこれ、すごい……ふあぁ……」


「分かった、分かったから、離して」


 見られてるから。

 お城を守る王さま直属の兵士さんたちに見られてるから!


「というか、お城のどこかからもっとすごいシエラちゃんの匂いがするんですよね」


 くんくん、と鼻を鳴らしながら俺の拘束を解いたソラは、ふらふらとお城の方へ足を向けた。


「待て待て」


 城の中は好きなように使っていいと言われたものの、流石に気が引ける。

 ソラの手を取り引き寄せ……られない。

 逆に、ずるずると、引き摺られていく。


「ちょ、ソラお前……!」


 四肢に魔力を込める。

 ぐ、と力が拮抗し、ようやくソラの歩みが止ま……らない!

 うっそだろ!?


「ふー……、ふー……っ」


 獣染みた鼻息を上げ、全力の俺を引き摺りソラがずんずんとお城の中へ入っていく。

 兵士たちはそれを遠巻きに眺め、誰一人近づこうとはしない。

 これはもう駄目かもしれない、いっそのこと、あの部屋にソラを閉じ込めたほうが早そうだ。



 そして。


 ドアの横には崩れ落ち、安らかに眠る兵士が放置されていた。

 誰か運んであげて……。


「あふ、ここ、ここですね、はあぁ……、すご……っ」


 ソラはドアを乱暴に足で開けると、俺の手を引いて部屋に乗り込んだ。

 うわ、一瞬身体が宙に浮きましたよ、やば、逃げ──。

 ばたむ。


 この日、この部屋のドアが開くことはもう、なかった。




 部屋に入った途端に、がくがくと身体を小刻みに震わせたソラは、ぺたんと床にへたり込んだ。

 纏った黒いローブがさらさらと青い炎に細かく崩れ落ち、酷く警戒しているときでもこうはならないだろう、ふわふわな尻尾が天に向かって張り詰めている。


 うわ言のように何かを呟き、自身の身体をぎゅうと抱き締めたソラは、どう見ても正常ではない。

 自由になった俺は、部屋から脱出する前にソラのその姿が心配になり、尻尾に触れた。

 さわり。


「に゛ゃうんっ」


「っ!?」


 聞いたことのない、嬌声。

 甘く媚びたようなそれは、不意打ちだったのもあり、俺の思考を一気に混乱の渦に叩き込んだ。


「あ、あ、はあぁ……、ふうぅ……」


 ソラはしんどそうに呼吸をしながら、ベッドまで這っていく。

 その姿は少女の形をしているが、獣のそれ。


「ちょっと……ソラ、大丈夫なの、まじで」


 恐る恐る声をかけると、ソラの首がぐりんとこちらを向いた。

 切れ長の青い瞳が爛々と輝いていて、整った可愛らしい鼻からは、血が垂れている。


「はふ……だ、だいじょぶ……っ、ですよぅ」


 ぺろり、と鼻血を舐めたソラはベッドによじ登り、突っ伏すと……ぴくりとも動かなくなった。

 どう見ても大丈夫じゃなさそうなんだけど……。


 ベッドの上で、膝立ちでうつ伏せ姿のソラは、尻尾が反り返っているせいで色々丸見えだった。

 顔がシーツに埋もれている……息してるのかな、不安になってきた。

 恐る恐る近づくと、ソラの身体が小刻みに震えているのが分かる。


「……ほっ」


 ソラの身体を横に転がすと、ころんと一切の抵抗もなく倒れこみ……ぐったりと弛緩させた無防備な姿で仰向けになった。

 肌には汗が浮かび、口の端からよだれを垂らし、上気した頬は染まり、目には涙が溜まっている。

 その呼吸は苦しそうで、流石にまじで心配になってきた。


「ソラ、どうした? ……何が起きてる?」


 何かの魔術だろうか、もしかしたら気が付かない間に攻撃を受けたのかもしれない。

 残党、いやそれとも俺を狙っている刺客……混乱した頭の中を必死に整理する。


「はっ、はぁっ……、しえら、ちゃ……」


 せつない声を上げ伸ばされたソラの手を握る。

 と、物凄い力で引き寄せられ、ぐるりと世界が回る……あっという間に、ベッドに押し倒されている……?

 え、何その早業。


 俺の身体に馬乗りになったソラの目はより一層輝いて見えた。

 舌なめずりをするその姿は正しく捕食者のそれで、さっきまで本気で心配してたんだけど、どうやら元気そうですね……。


 四肢に魔力を廻らせ、ソラを押しのけようと手を伸ばす、その手首が掴まれ、ベッドに押し付けられた。

 みし、と俺の腕から嫌な音が鳴った。


「はふぅ……。シエラちゃん、この部屋で、何をしたんですか」


「……」


 なんで、それを、聞くんですかね。

 ソラがこうなっている理由と何か関係があるのだろうか、いやないと思いたい。


「あなたの匂いが、充満していて……はあぁ。……頭が、おかしくなりそうです」


 関係ありそうだった。

 匂い……いや、俺にはまったく分からないんだけど。

 自分の体臭は自分では気が付かないというのと同じ話だろうか。


「シエラちゃんの、せいで……はぁあ。……『きて』しまいました」


「……なにが」


 聞き返さなければ良かったと、直後に思った。

 にぃ、と笑ったソラの鋭利すぎる牙が、近づいてくる。


「発情期」


 かぷり、と俺の肩にソラの牙が突き立てられ、目の端に青白い炎が小さく揺れた。


「それ、俺の、せい……?」


「……はい」


 痛みよりも、混乱の方が大きかった。

 そして、この少女が人間ではなく、人から恐れられる魔獣だということを、今更ながら思い知らされていた。


「はふ……こんな、甘い女の子の匂いを、出せるなんて……シエラちゃんぅ」


 折れるんじゃないかと思うくらいの力で腕を掴まれ、動けそうにない。

 甘い匂い……室内に漂う、俺の魔力なのだろうか。

 それが、ソラを発情させているのか。

 ……いや、何その効果……。


「シエラ、ちゃん」


「……なに」


「ごめんなさい」


 目に涙を滲ませながらの声に、反応ができなかった。

 押し付けられた唇、魔力を奪おうと思えば簡単にできたけれど、どうしてかする気にはなれなかった。

 ソラの薄くて長い舌が口の中を這いまわり、熱い息が頬を撫でる。


「ごめ、なさぃ……しえら、ちゃ……っ、ごめ……にゃひゃぃ……っ」


 泣きながら、謝りながら、俺の口腔を舐るソラは何かに追い立てられているように見える。

 息継ぎをした瞬間に、また垂れてきていた鼻血を舐めると、ソラの喉の奥から変な声が漏れ、再び唇が押し付けられた。


「はぁ、ぁ、しえらちゃん、しえら、ちゃん……はぁ、っふ、しえ、らちゃ……っ」


 ビキ、と致命的な音が俺の手首から鳴り、俺の意思とは無関係に魔力が流れ込んだ。


「い゛っ、……っ!」


 身体の中で破断したそれが、元に戻っていくのを薄っすらと感じる……。

 ……折れましたね、今。


「ぇ、あ、あぅ……」


 ソラの喉から、声にならない声が漏れた。

 俺を拘束していた手が緩み、すぅ、とソラの揺れる青い瞳に白い少女の顔が映った。

 身体を起こし、馬乗りになっていたソラを抱き締め髪を撫でる。

 もう俺の手には僅かな痺れしか残っていない。


「……大丈夫だから、落ち着いて」


「うぅ、ふうぅ……、しえらちゃん……ううぅ」


 確かソラは後天の魔獣で、元は狼だと言っていたか。

 狼の生態……よく知らないけど、犬と同じようなものだろうか。

 ソラの尻尾の付け根をそっと撫でると、身体をぴくんと震わせ、甘い声が漏れた。


「はぉ……っ、そこ、……ふぁ……っ、あぁぁ……」


 身体から力が抜け、完全に俺に体重を預けたソラは、うっとりとした表情でよだれを垂らしている。

 俺の脚に擦りつけるようにソラの腰が揺れ、甘い水音が耳にへばりつく。

 俺の肩、さっきと同じ場所にソラの牙が突き立てられた。


「んぅ~……っ、ふぅ、……んっ、んっうぅ~……っ」


 さっきよりも強い、深々と刺さった牙、肩から聞いたことのない音が低く響く。

 ソラの爪が俺の背中を薄く裂き、薄暗い部屋の中がさらに青く染まる。

 ただ、これでも何かを我慢しているのだろう、辛そうに涙を流すソラに止めろとは言えそうにない。


 これまで何度も、本当に何度も助けられてきたのだ。

 一度くらい……好きにさせてあげよう。


「ソラ」


「んぅ……しえら、ちゃん……?」


 微笑む。

 可愛らしく笑えているだろうか。


「好きにしていいよ」


 ぱたり、と。

 抱き締めていた手を離し、ベッドに身体を横たえた。

 ソラの身体がぞくり、と震え、湧き上がる激しい欲望とそれを押さえつける僅かな理性で、瞳が揺れている。


「ふっ、うぅ……っ、でも、……しえらちゃ……っ」


 目を切り替えた。

 俺の頭の上に獣の耳がぴょこんと現出し……ソラの理性が決壊した音が聞こえた。

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