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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第四章 旧き竜の末裔
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四話 ながいよる

 この世界の『お友達』の定義ってなんだろう。

 俺は今、そんなことを考えている。


 小さな城の中には湯浴みできる場所もあり、思う存分湯に浸かった。

 やはりお風呂は素晴らしい。

 心も身体もふやけた俺は、有り体に言えば、理解していなかった。

 この世界の、いや、王族の常識を。


 『お友達』ってどういう意味なんだろう。

 俺は今、そんなことを考えている。


 薄い、肌触りの良いバスローブ一枚だけを纏った俺は、寝室に案内されていた。

 城塞を統べる若き王の寝室に。


「やはり、美しい。触れれば消えてしまいそうな危うさがある」


 立派な天蓋付きのベッドに腰掛けたサルファン・ヴァン・レグリシアはそう呟くと、ぶどう酒の入ったグラスを傍らのテーブルに置いた。

 俺が考えていた『お友達』の概念は、一つの国を背負う男の中には存在しない。

 当たり前だけど俺は知らなかったし、気づいていなかった。

 『王』たる男が、女という生き物に何を求めているか、なんて。


 広い部屋の入り口で、足が固まった。

 ……いざとなれば、転移の魔術で逃げよう。そう心に決め、足を踏み出す。


 迎えて立ち上がるサルファンは半裸で、飾りだけの王ではないようだ、筋肉の陰影が蝋燭の火ではっきりと分かる。

 何故だろう、目の前に立つ男の身体が随分と大きく見える。

 今まで何人も見上げる度に、この身体の小ささを思い知らされて、それでもまぁ仕方ないと割り切ってきたけど。

 思わず俯いた、小さな白い足は震えている。


「竜をも統べた魔女が、何故震えているのだ」


 ……なんででしょうね。

 俺にも分からない。

 俺の顎に触れたその手は酷く優しく、しかしそれが、たまらなく怖い。


「……何故泣く」


「ぇ」


 俺は今、泣いていたらしい。

 指で拭われ、しかし自覚してしまい、ぽろぽろとこぼれ落ちる涙が止まらない。

 薄暗い部屋の中で、少女のか細い嗚咽だけが響く。


 ああ、そうか。

 俺は今、一人の女の子として、恐怖しているのだ。



 若き王サルファンは紳士だった。

 ようやく泣き止んだ俺は、差し出されたぶどう酒の注がれたグラスを受け取り、ちびりと飲み下した。

 なんだこれすっごい美味い。


「落ち着いたか」


「……はい」


 ベッドに腰掛けたサルファンに目で隣に座れと促され、一瞬だけ迷い、おずおずと座った。

 手触りの良いシーツだ、流石に良い物を使っているらしい。


「余も性急であった。許せ」


「……いえ、そんな」


 若き王サルファンに抱かれたいという女性は文字通り五万といる。

 見初められ、寝室にまで招かれて泣き出した女は初めてだと、サルファンは静かに笑った。


 それはそうだろう。

 一国の頂点、しかも顔立ちも性格も良く、欠点らしきものが見つからない。

 男から見ても憧れる存在だ。

 普通の女性なら、喜んで共にするだろう。


 だけど、俺は……俺には。

 この勇気ある男の期待には、応えられない。


 小さく深呼吸してから立ち上がり、サルファン王の前に立つ。

 ……酷く落胆させてしまった筈だ。

 話しているだけでは分からない、けれどこの目には微細な感情の揺れが……この男の優しさが、見えている。

 だから。


「サルファン様、お願いがあります」


「聞こう」


 男は寛容だった。

 本当に素晴らしい人物だと思う。

 ここに居るのが俺じゃなければ、良かったのに。


「……皆が笑顔で暮らせる国を作ってください。

 小さな子供が、お腹いっぱい、食べられる国を。それが叶った、その時は……」


 男の大きな手を取り、その甲に口付けた。


「私も、覚悟を決めましょう」




 あんなこと言っといてなんだけど、この身体はそういう機能あるんだよな……?

 別室に案内された俺は一人、素っ裸で大きな姿見の前に立っている。


 白い肌、慎ましやかな胸、なだらかな曲線は女性というより女の子のそれ。

 作り物だとあの女に言われていたから、そしてそもそもあまり考えないようにしていたから、この身体を人間の女の子としてちゃんと認識できていなかった気がする。

 そもそも心臓ないしなぁ……。


 湖近くの村跡の天幕の中でこの身体を確かめてみたときは、魔力の感覚を掴むのに精一杯で、身体自体の機能にはあまり触れなかったし。

 ソラにご褒美をあげたときは魔力供与に集中していたし。

 ヴィオーネに襲われたときは……一応、検診だったんだよな、あれ。

 あのときは恐怖と逃げ出したい気持ちでいっぱいだったし。


 さてさて。

 一人な上にしっかりした部屋だ。

 せっかくだし(?)色々と確かめてみますか。




 二十分ほど経ち。


「はぁ、はぁ……。……ふぅ」


 なるほど、なるほどね。

 うんうん、こいつぁすげぇや。

 濡れた指先を舐めつつ、胸に手を当てる。やはり脈はない。


「……」


 神さまを殺すって目的の為だけなら、この気持ちイイ機能いらなくない……?

 しかも魔力で動いてるだろうこの身体、恐らくなんだけど……身体の中にある二つのどす黒い塊を魔力が循環しながら、魔力を生み出している。

 ソラも言っていた……勝手に生き返った、と。

 つまり。


「ずっと、やりほーだい……?」


 ぞくり、と。

 何かが背中を撫でた気がした。

 睡眠をすら必要としないこの身体で、それこそ永遠の時を過ごせるだろうこの身体で。


「……いやいや、流石に、ね」


 ベッドにぐったりと横たわった状態で言うのもどうかと思うけど。

 どう考えてもこの『魂の器』とやらは調整不足だと思いますよ、ヒイラギさん。


 まぁ俺はこう見えて、分をわきまえた男ですし。大人ですし。

 そんな浅ましい欲求にまみれたりはしませんけども。




 こん、こん。

 どこかから、何かを叩く音が、獣の耳にするりと飛び込んできた。

 だけど、それに反応する余裕がない。

 頭の中はふわふわとしていて、お腹の下がどろどろと熱く、背中をずっとぞわぞわと小さな電気が走り続けている。

 少女の切ない喘ぎ声が部屋の中を震わせているのを、他人事のように聞いている。

 シーツに獣の尻尾を擦りつけるだけで太ももの内側がぞくぞくとして、腰が勝手にかくかくと動く。


 こん、こん。


「……ら。……け…るよ……」


 控えめな無機質な音とそれに付随する声のようなものが、少女の荒い息を上書きするように響き渡る。

 だけど、それに反応する余裕がない。

 背筋から昇ってくるぴりぴりした何かと、お腹の下に溜まる熱い何かが溶け合うような感覚。

 これで何回目だったか、昇る、昇る、落ちる、視界が弾ける。


 カチャリ。


「ん゛っ、ん゛ぐうぅ~~……っ!!」


 絶叫しないように枕を噛み、跳ねた腰は反り返り、太ももから脚先までガクガクと震えた。

 魔力が身体の中を激しく廻り、御しきれなかったものがシーツを濡らし、視界がぱちぱちと明滅する。

 お腹の下、『竜の心臓』の奥の甘い何かがぎゅう、と収縮して、柔らかく溶けていく。


「ふーっ、ふー……っ」


 息が熱い。頭の奥が痺れ、涙が勝手に流れている。手足が気だるい。

 どこからかひんやりとした空気が、甘ったるい密室に流れ込み、身体を撫でた。

 ああ、すずしくてきもちいい。


 よし、魔力を制御してもう一回……。


「ふぅー……、……ぅ?」


 灯りを全て落とした部屋に、光が差し込んでいた。

 ドアがいつの間にか開いている。

 逆光に立つ人間は小柄な体格をしていて、どうやら固まっているらしい。


 そこまで理解して、ようやく、ほうけていた頭が覚醒していく。


「んな、あ、……にあ、りぃ……?」


 ニアリィ・タージェス。

 レイグリッド・トルーガの娘で、『十席』に仕える暗殺者だった、少女。

 なるほど、どうやらなかなか起きてこない俺をわざわざ起こしに来てくれたらしい。

 その顔は真っ赤に染まっていて……目が泳いでいる。


「あー……おは、よう?」


 ベッドの上で身体を起こし、にこやかに声をかけてみる。

 魔力の流れが穏やかになるにつれ、頭の中がすっきりしていく。


「え、あ……。おはよう、シエラ……」


 ニアリィは自身の身体を抱き、目を逸らしながら続けた。


「あの、……パパと、迎えに来た、んだけど……」


 そうですか、もうそんな時間だったんですね。

 時間の感覚が絶望的に欠落しているのは何でだろう。

 見ればベッドの上のシーツは、なんかもう溢れんばかりの魔力で満たされていて、輝いてすらいる。

 大丈夫なのかこれ。

 いや、大丈夫じゃないのは俺か。


「……ちょっと待っててくれますか。すぐ支度するので」


 汗なのか魔力なのかそれとも別の何かなのか、全身が濡れていて気持ちが悪かった。

 静かに閉められたドアを見やり……頭を抱えた。


「えぇー……?」


 ……どこから見られていた?

 途中、獣の耳が何か異音を感知していた気がするけれど、ああ駄目だ思い出せそうにない。

 冴えていく頭の中、この夜のことを思い出す。


「一晩中……? うっそだろ」


 残念ながら、嘘ではなかった。

 ……いや、俺は悪くない。

 悪いのは無尽蔵に魔力が湧き出るこの身体と、頑丈というか底なしの体力を持つこの身体が悪い。

 そしてとめどなく敏感になっていくこの身体が悪い。

 つまりは、あの女……ヒイラギが全て悪い。


「そう。そうだ……あいつのせいだ」


 全ての責任を黒き魔女になすりつけ、立ち上がる。

 ふらり、と身体が泳ぐも、落ち着けばどうだろう、身体はやけに軽くすっきりしていた。

 ただ室内の空気がやけに重い。

 肌に馴染むこの感じ……俺の魔力が、気化しているのだろうか。


 不意にヴィオーネ・エクスフレアの部屋を思い出した。

 もしかしたら身体に良くないやつかもしれない。


 あまり待たせても悪いし、ぱぱっと身支度を整えて外へ。

 がちゃり。


「う、お? ……これ、どうしたのニアリィ」


 窓から差し込む柔らかな朝日がやけに眩しく感じる。

 部屋の外、ドアの脇には見張りか護衛か分からないが、兵士が壁にもたれ、崩れ落ちていた。

 窓側の少し離れたところで待っていたニアリィは、どうやら落ち着いた口調。


「……その兵士さんの仕事は、そこで一晩中微動だにせず、その部屋を守ることだと思うけど?」


 ……一晩中、ね。

 口の端から一筋、血の垂れた跡が残ってるけど大丈夫なのかな。

 死んではいないようだ、安らかな顔をしている。

 放っておこう。


「じゃあ、行こうか」


「うん……でもその前に、シエラ」


 ニアリィは俺が差し出した手から逃げるように、言った。


「お風呂入ってきて」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 何か急に気持ち悪い話になったなぁ
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