二話 駆け巡り肥大する
騎士団とおまけの一行は、道中何事もなく城塞都市レグルスに辿り着いた。
こうして入り口から見るのは初めてだ、峻厳な山岳を背に街自体も高いところに作られていて、見上げていると首が痛くなる。
確かにこれは、外から攻略するのは難しそうだ。
だからこそ彼らは中から崩したのだろう。
俺も三姉妹も、また同様に。
道の真ん中を堂々と往く人と馬の群れは、城塞都市が誇る騎士団たち。
人々は道の端に押し込まれ、なんだなんだと騒がしくしている。
全然情報が行き届いてない気がするんですけど……。
いや、そうか。
下層は城塞都市の一部というより、外部との緩衝地帯のような役割を果たしているのだ、様々な人間が往来している。
しかしそれでも、噂というものの足は速いようで。
「あれがサルファン王が一目惚れしたっていう」
「しろきまじょだ!」
「魔族を追い払ったって聞いたぞ」
「わあ、お人形さんみたい!」
「ほう、あれが騎士団か」
救国のなんとかは何処にいった……。
駆り出されてきた兵士たちが押し止めている人々の中からは僅かだけど、不穏な視線も感じる。
この国でも俺の首にかかった賞金は撤廃されると聞いたんだけど。
他に俺を狙っているものと言えば……。
「お姫さまだ!」
ざわり、と。また別の小さな喧騒の種が芽生えた。
声の発生源は、兵士の脇をするりと抜けた小汚い男の子。
兵士の男は槍の石突きで男の子の頭を殴りつけ、出てくるんじゃないと追いやろうとする。
思わず人差し指の付け根を噛んだ。
左手で槍を押さえ、右手で倒れこむ少年の痩せ細った腕を支える。
喧騒が一瞬でかき消えた。
そして、偉そうに口を開く。裸足のお姫様、だっけ。
「久しぶりだね、少年」
汚れと脂でベタつく男の子は一瞬ふらついた後、はっとこちらに向き直り、にかっと笑顔を見せた。
「危ないから、端っこにいなさい」
「は、はい」
頭を撫でると男の子は素直に頷いたけれど、しかし人々の群れに戻ろうとはしなかった。
「お、おひめさま。あのぅ」
「ん?」
周りが少しずつ騒がしくなってきた。
姫? お姫様? どういうこと? と、単語が一人歩きし始めている。
ヤバそう。
けれど、そんなことはすぐに、耳に入らなくなった。
「たべものが、ほしいです」
ぽろ、と涙をこぼしながらの……恐らくそのことに自分でも気付いていないのだろう小さな声に、息が詰まった。
掴んだ腕は、あまりに細くて軽かった。
あの時と同じ擦り切れたボロ布を着た男の子は汚れていて、そしてそれ以上に、お腹を空かせていた。
「お戻りください、シエラ様」
兵の声も、やけに遠く聞こえる。
見れば人々の隙間、建物の隙間、その暗い陰から、真っ白な少女を見る目がいくつも。
その目はほとんどが枯れているか、まだ小さいものばかりで、胸が苦しくなる。
この歪みも、鈍色が推し進めたという魔力偏重のしわ寄せなのだろうか。
それとももうずっと昔から、そしてこれからも、この光景が当たり前のまま続いていくのだろうか。
「……ごめん、ね」
同情などするべきではない。
けれど、何かないか……ポケットから、瑞々しく咲いたままの小さな黄色い花を取り出そうとして……止めた。
未だ魔力で満たされているそれは、幸運の花と呼ばれているらしいけど……お腹を満たしてはくれない。
足を止めた騎士団の中、馬から颯爽と飛び降りて歩み寄る何者かは、俺の後ろで立ち止まり、声を上げた。
「姫。余った糧食を下層退区で配らせようと思いますが、よろしいですか」
レイグリッドの声だった。
悪ノリだった。
「……任せる」
「ハッ」
後ろで命令が飛び交う中、ぽかんとそのやり取りを見ていた男の子の頭を撫で、精一杯微笑む。
「兵士さんが、食べ物くれるってさ」
「……っ!」
ぴたりと泣き止んだ男の子はすぐに駆け出し、しかしすぐに足を止めて振り返った。
「お姫さま、ありがとございます!」
溜め息をつきつつ、手を振る。
白い髪をしたどこぞのお姫様が施しをするという噂が広がっていく。
それはもう、止められそうになかった。
「……でも、一時しのぎにもならないですよね」
呟いた声に、レイグリッドの手が差し出された。
「いや。アーティファクト関連の予算が浮くだろうからな。これからはもう少し……まともになるだろう」
レイグリッドの声は少し疲れていて、しかし希望の色が滲んでいた。
きっと彼も歯がゆく思っていたのだろう。この国の歪んだ状況を。
……それはそれとして。
「どうするんですか、これ」
名も顔も広く知られている騎士団の団長レイグリッド・トルーガが『姫』と発言したことにより、ただの噂が真実味を帯び、人々の間を駆け巡っていった。
凱旋した騎士団を取り囲む人々から上がる声は、突如現れた『お姫様』の話題で持ちきりになっていた。
「ハッハ。海を渡って来たんだろう? 適当にでっち上げればいい」
適当だなぁ。
見れば、馬上でレイグリッドを待っていたニアリィがにやり、と笑みを浮かべた。
さっきの茶番の黒幕を見つけましたよ。
どこぞのお姫様がグレイスに引き上げられ、一行は再び城塞都市レグルスの大通りを往く。
噂は錯綜し、お姫様と魔女と魔族と騎士団とがごちゃ混ぜになっている。
その混沌とした有り様が、この下層を如実に表していて……少しだけ、面白いと思った。
「シエルァッちゃあァァァァンッッ!!」
「ひっ!?」
中層と下層を隔てる壁が近づいてきた、そのときだった。
空気がびりびりと震えた。
ルデラフィアの爆炎の魔術が炸裂したような衝撃、ああ馬がみんな暴れだして大変なことに……。
「ルーザーか……」
グレイスが俺の頭の上で溜め息混じりに呟いた。
人ごみの中でも頭一つ以上抜きん出て一目で分かるその大男は、白い歯が輝かせとても良い笑顔で手をぶんぶん振っている。
すっごい恥ずかしい……。
「シエラァちゃああアアアアァァァンヌッッ!!」
「……シエラ、反応してやれ。叫び続けるぞ」
けれどお世話になったし、むしろ人間的に嫌いではない……身体を起こし、手を振る。
その俺の腰を支えるグレイスの手に、ルーザー・メロロウは過敏に反応した。
「グレイスッ! てめぇッ!!」
「!?」
鬼のような形相を浮かべたルーザーが、人ごみをかき分けてずんずんとこちらに近づいてくる。
あれは兵士さんでも止められそうにないですよどうするんですか。
「なんとかしろ、シエラ」
「えぇ……?」
丸投げされた。
思わず『吸血鬼』に手が伸びた、いやいや流石に切るわけにはいかない。
ぐ、と歯を食いしばって……転移の魔術を発動させた。
「るーちゃん!」
ルーザーの前方、空中に現出し、手を広げる。
俺の声に進撃の足を止めた大男は、両手で俺を優しく掴み……上で掲げたまま、ニカッと笑った。
たかいたかい。
「おかえりなさい、シエラちゃん。噂は聞いてたわよ」
「た、ただいまです……」
軽々と持ち上げられていると、この身体の小ささ軽さを否が応でも認識させられてしまう。
っていうか降ろして? ぱんつ見えるから。
「あなたの為に色々作っていたのよ。後で取りにいらっしゃいね」
「あ、ありがとうございます」
それは素直に嬉しい。
この男とヒューリック・サンが手がけた靴は、本当に素晴らしいものだった。
それはそうと、早く降ろして? ぱんつ見えるから!
「お代はあの野郎に付けておくから心配しないでいいわよ」
ようやく地面に足をつけた俺の周り、大通りの真ん中へ向けて、人々がざぁっと避けて道を作った。
その光景はちょっと気持ち良かったけど、反応が過剰じゃないですかね……?
混沌とした噂の中に、あのヤバい店主を一瞬で静めた、という尾ひれまで加わり、ますます噂は膨らみ捻れていく。
どう収拾つけるつもりなんだろう、これ。




