三十二話 器
なんだか時間が経つにつれ、戦い方がこなれてきているような気がする。
再生していくその姿に危機感を覚える。
注視すると身体の真ん中にある、酷く濃密な魔力の塊……俺の頭と身体にあるそれに似た。
恐らくあれが心臓……若しくは核なのだろう。
直接『断罪』を発動させるには魔力の量が心許ない。
かと言って『吸血鬼』を利用した低出力な方では再生されてしまう。
一撃で、そしてまばたきの間に消し去らなければいけない……そんな気がする。
ソラの体内を廻る魔力は潤沢だけど、魔獣の生命力は人間のそれとは違い、魔力の量に直結している。
できればソラからは魔力を貰いたくないんだけど……。
「……大丈夫なの?」
「はい」
ソラが手を広げ、早く来いと促していた。
あれをどうにかする手段が限られていることを、ソラも分かっているのだろう。
苦笑しつつ身体を引き寄せ、口付ける。
吸い取るときは多分身体の何処でもいいんだけど、今更か。
ソラの喉の奥から漏れる艶めかしい声を聞きつつ、あまり吸いすぎないように。
「……ぷは。……平気?」
「これくらいなら」
余裕です、というソラの言葉を聞きながら、視界の端で捩れた魔素を『吸血鬼』で切り払った。
あっぶねぇ。
見れば再生が終わり、そいつの身体中を這うように刻まれた紋様が脈動している。
右腕が持ち上げられた、その瞬間に魔術の起こりが、こちらに向けられた手の平から放射状に広がり。
ソラの手を取った。
そいつのすぐ真横に転移で現出、獣の耳が数瞬前までいた場所で起きた盛大な爆発音で麻痺した。
『吸血鬼』を持ち直して突きこむ、硬くしかし驚くほどしなやかな尾に横合いから殴りつけられ、吹っ飛ばされた。
ソラは身を屈めて避けたらしい。
体勢を立て直す、既に放たれていた、目の前に飛来する、巨大な炎の塊は槍のよう。
『吸血鬼』を握る左手も、魔術の鍵が刻まれている右手も間に合わない、視界が閃光に包まれた。
「……っ、……?」
衝撃はない。痛みもなく、熱さもない。
ただ風だけが一陣、過ぎ去っていった。
誰かに引き寄せられ、柔らかな何かに顔が埋もれた。
この感触、この匂いには覚えがある。
「あたしも混ぜてもらおうか」
反射的に閉じてしまっていた目を開いた。
にぃ、と不敵に笑ったルデラフィア・エクスフレアが炎の塊を、それを遥かに上回る……剣をかたどった眩い炎で、焼き切っていた。
「……遅いですよ、お姉ちゃん」
「悪ィ悪ィ、向こうは向こうで大変だったんだ」
後で聞かせてやるよ、と俺の頭にぽんと手を置き、ルデラフィアの燃えるような瞳がそいつを見た。
その眼光は鋭いが、やはりどこか……楽しみを押さえられない、そんな感情が見え隠れしている。
「あれが『魔族の王』か? 思ったよりしょぼいな」
そうですかしょぼいですか、けっこう苦戦してるんですけど。
近くでやり合っていたソラがルデラフィアに気づき、距離を取った。
『魔族の王』、その身体のそこかしこが青白い炎で覆われている、対してソラは無傷。
やはりあの速さ、俺との手合わせのときは半分もその力を出していなかったのだろう。
大胆にそして無警戒に距離を詰めるルデラフィアの周囲の魔素が捩れた。
それは誰にも視認できない、魔術が起こる前兆。
「フィ……っ!」
ルデラフィアの周囲で炎の槍が現象として現れ、殺到した。
が、それらは全てルデラフィアの身体に辿り着く前に、爆発し、炎を上げて……消失した。
「あ……?」
結界の魔術ではない、そもそもルデラフィアが魔術を行使するそぶりがなかった。
いや、魔力は流れ込んでいる……四肢に、そして紋様が刻まれた指輪にも。
ルデラフィアの左腕が差し出され、『魔族の王』から爆炎が立ち上る。
再生の青白い炎と混じり、それは美しい光景ですらあった。
再びルデラフィアの周りに魔術の気配がするも、起きた現象は直後に全て爆発して塵すら残らない。
圧倒的だった。
これが、戦闘ただ一点を究めた魔術師の最高峰……ルデラフィア・エクスフレアの本気か。
爆発反応装甲みたいなそれを突破できないと判断したのか、『魔族の王』は炎を纏わせながら一歩を踏み出した。
さらに速くなっている、その重さ、質量、破壊力はどれほどか。
しかし。
「遅ェよ」
どこかで聞いた、絶望を告げるその言葉とともに、『炎剣』が振り下ろされた。
そいつの周囲に張られた結界ごと焼き切り、轟音と熱風が乾いた大地に吹き荒れた。
交錯した右腕、右半身が炭化し、ぼろぼろと崩れている。
その表面を青白い炎が舐めているが、再生は遅々として進まない。
「拍子抜けだな」
『炎剣』を消し、熱風を辺りに撒き散らしたルデラフィアは嘆息し、動かない『魔族の王』の目の前に立った。
その背に近づき、万が一に備えてルデラフィアの手をそっと握る。
「……ジジィ、いるんだろ」
ルデラフィアの呟くような声は、何故か悲しいものに聞こえた。
ずる、と焼け焦げた半身から黒い泥が零れ、人間の形を作り出していく。
空っぽになった『魔族の王』の再生の炎が消え、魔素の色をした粒子になって宙に消えていった。
「あんたが造りたかったのは、こんなもんなのか」
その声に応えるように、老人の掠れた声が響く。
「『大賢者』如きが核では、この程度じゃな」
泥が捏ねられ出来上がった老人の姿は、以前見たそれより二回りも小さく、子供のよう。
人間じゃないよな、どう考えても。
その落ち窪んだ目がじろり、と周囲を睨みつけた。
「『場』も弱すぎた」
その目は俺の顔を射抜いて、止まった。
重々しい声に見上げられる感覚は、少しだけ気持ちが悪い。
ルデラフィアは一度溜め息をつくと、とてとてと近づいてきたまだ警戒心をむき出しにするソラの頭を撫でた。
「異邦の者よ」
老人はそう口火を切ると、俺の返事を待たずに続けた。
「あの者は最期になんと言った」
「……息災で、と」
「そうか」
一度大きく頷いた老人の、ところどころで泥が剥がれ落ち、朽ちていく。
目に映る魔力の量は、吹けば飛ぶようにか細い。
「その言葉は、お主に言ったのでは、ないな」
喉で小さく笑った老人の言葉は、この場において何よりも暗く重い、泥のよう。
「……どういう、意味ですか」
「くく。自身の存在理由すら知らされぬまま、放り出されたか。……正しく、『器』じゃな」
老人の声に悪意はない。
ただ淡々と紡ぎ出す呪いのような言葉は一体、誰の為なのだろうか。
「何も知らぬ者同士。お似合いよの」
吐き捨てたそれは、俺とルデラフィアに向けての言葉だった。
そして老人は崩れ落ち……小さな泥溜まりは、乾いた地面に吸い込まれていった。
「……」
空は再び、低い雲に覆われ始めていた。
黒き魔女……ヒイラギは、元の世界に帰る為には、この世界の神さまを殺すしかないと言っていた。
その為に、この身体を……頑丈な魂の容れ物を作ったと。
老人が消えたのを見届け、ルデラフィアは口を開いた。
「大丈夫か、シエラ」
よっぽど酷い顔をしていたのだろう、ルデラフィアの手が俺の髪を撫で、その声色はいつもより優しい。
「……あの老人は、何者なんですか」
「なりそこないだよ。妄執に取り付かれた」
と、ルデラフィアは俺の頬をぷにぷにと摘みながら、視線を横に逸らした。
「よう、遅ェぞ」
そこでようやく、馬の蹄の音に気がついた。
まだ目は切り替えたままで、獣の耳もしっかりと生えているのに。
動揺、だろうか。
胸の内に渦巻くものの正体を、上手く言葉にできそうにない。
ソラに後ろから抱き締められ、耳元で囁かれた。
「シエラちゃん。……私は、ずっと傍にいますよ」
どんなことになっても。そう呟いたお姉さんぶったその声はしかし、痛いくらいに胸に響いた。
続々と駆けつける生き残った騎士団に囲まれ、歓喜と賞賛の声が方々から上がった。
無事を祝い、死んだ者を弔う騒がしい時間の中で、この小さな身体の中の二つの核が、ただ静かに魔力を生み出し続けていた。
第三章終わりです。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次章からキツい描写が増えますのでお気をつけください。




