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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第三章 無知なる罪
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三十一話 魔族の王

 左手で左目を押さえた。

 俯瞰する。

 大地を覆う雲はしかし大地を見下ろすこの目を遮ることはできない。

 川と川の間に広がる『血の平野』を、横断するように新しい血が流れている。

 鈍色を纏った男の周囲には八体の操られた『地均す甲竜』が控えている。

 そしてまだ五体が近くの地中に埋まっていて、その全てに禍々しい魔術の紋様が刻まれている。


 周囲に人間の姿はない。


「ソラ、もう少し、離れて」


 視界が流れていく、右手の中指の付け根に口付けた。

 『断罪』の魔術。


 あまりの眩しさに目を腕で覆う。

 地面から『地均す甲竜』から数十の光の柱が噴出し、それは周囲の魔素と『竜』の魔力を喰らいながら破壊力を増し、光を放ち続けた。

 ソラがさらに倍の退避距離を取り、直後熱風が追い抜いていった。


 低く垂れ込めていた雲が割れ、薄暗かった『血の平野』に、まばらに光が差した。

 幻想的な光景だけど、しかしその温かい光を浴びる生物は、どこにも存在しない。

 鈍色を纏った男と、身代わりの魔術を刻み込まれていた『地均す甲竜』は、跡形もなく消失していた。



「……ソラ、大丈夫?」


「はい」


 お姫様抱っこをされたまま、ソラの顔を見上げる。

 にへら、と笑ったソラの顔の柔らかさに何かが疼き、首に手を回した。

 顔を傾けたソラの唇に、唇を押し付けて……少しだけ魔力を吸収した。


「んぅ~……」


 使い切ったわけではないけど、魔力の残量はかなり少ない。

 急に眠気が襲ってきたということは、やっぱり睡眠は節約モードなのだろうか。


「ぷぁ……、ごちそうさま」


 返事代わりにぺろり、と鼻先を舐められ、周囲を見やる。

 歪なクレーター状に広がった『断罪』の跡からは、染み付いていた筈の魔力がごっそりと抜け落ちていた。

 どうやら『死んだ魔力』とやらも巻き込んで発動し続けたらしい。

 目を戻し、四肢に込めていた魔力も元に戻す。


「とりあえず、フィアたちと合流しよっか」


「そうですね」


 降ろされる気配がないので、ソラの身体に体重を預けた。


「……ふぅ」


 これで、彼らの目的を邪魔することはできたのだろうか。

 この場所自体をどうにかしないといけないのだとしたら、むしろここからが本番か。


 目を瞑り、ソラの呼吸に耳を傾ける。

 布一枚越しの柔らかな胸が腕に当たり、酷く心地良い。

 このまま眠ってしまいそう。


「……シエラちゃん」


 その緊迫した声に、目を切り替えた。

 『断罪』で使い切った周囲の魔素は既に満ち満ちているけど……上方に、ゆっくりと移動している?

 いや、違う。

 吸い上げられている。


「あれ……?」


 どこかで見たような、魔素が縒られてかたどられていくそれは、空を覆う巨大な魔法陣。

 既視感を覚えると同時に、背筋を這い上がる悪寒は先ほどの比ではない。

 その魔法陣の中心は……ほぼ、真上。


「酷く嫌な匂いです。何か見えますか?」


「……魔力が、吸い上げられてる」


 彼らが望んだ結果への帰結……大地に染み込んだそれも、流れたばかりのそれも、全てが巻き上げられていく。

 薄く淡い魔素と透明な光を内包する魔力が混じり、宙に展開した巨大な魔法陣が満たされていく。

 現実感を喪失しそうな光景に、ただ息を呑んだ。


 降ろされた地面は乾いていて、抜け殻のよう。

 握られたソラの手はしかし震えてはいない。


「……要は、あれを壊せばいいのかな」


 ざぁ、と雲が晴れ、久しぶりに大きな二つの月が顔を見せた。

 大きく脈動した魔法陣が解け、孕んだ魔力とともに中心に収縮し……ぐるぐると真っ黒な球体が編まれて、落ちた。

 それを受け止めるように地面には黒い沼が広がり、どぷん、と波打たせたその球体は、直立し、動かない。


 その脇に、沼から生えた人の形をした……鈍色のローブを纏った老人、キルケニス・オーグリア。

 縦に長い楕円形のその球体は、老人の倍の高さがある。


「至れり」


 二、三十メートルは離れているのに、はっきりと聞こえた。

 敵意も殺意も感じない、喜悦が滲むその声は年齢を感じさせず瑞々しい。


 ……わざわざ待つ必要はないだろう、二回目だけど、いけるかな。

 照準は左目で捉えている黒い、あまりに黒すぎて平面に見えるそれ。

 右手の中指の付け根を噛んだ。


 視界が明滅した。魔素を伝う落雷のような閃きは一瞬。

 足元が崩れたような感覚は、ただふらついただけだ。

 ソラに抱きとめられ、注視する……黒い球体がひび割れ、中から光の柱が何本も現出し、魔力を貪りながら純粋な破壊力が蹂躙する。

 光に巻き込まれすぐ近くにいた老人の上半身がじゅう、と蒸発し、残った下半身は足元の黒い沼に飲み込まれた。


「大丈夫ですか、シエラちゃん」


「ん。使い切ってない」


 約束したからね。


 卵の殻がぽろぽろと自壊する、そんな風に見えた。

 光の柱がぴたりと止み、真っ黒な小さな欠片が零れ落ち、黒い沼に飲み込まれていく。


「なんかヤバそうだったから撃っちゃったけど……」


「正解だったと思います」


 魔力の密度が凄かった、あれで破壊できないものなんてない筈。


 俺とソラが見ている前で、全てを飲み込んだ黒い沼は少しずつその面積を小さくしていき……ずるり、と立ち上がった。

 三メートルはありそうな……人の形をしているそれは、泥でできた人形のよう。


「……どう思う、あれ」


「気持ち悪いです」


 同感です。

 距離は充分にある、何か起きてもすぐに転移で逃げられるよう、ソラの手は握っておく。

 魔力を喰らい尽くし破壊で満たした筈なのに、この左目に映るどす黒い魔力……。


 そして、泥が、燃え上がった。

 青白い炎を上げ、最早爆発と言っていいほどの勢いで噴き上がった炎は、俺を恐怖させるには充分だった。


 歪に四肢が異様に太い、一見人間の形をしているそれ。

 しかし頭部には羊を思わせる巨大な角が生え、ああ、その背中には飛ぶには重そうな翼まで生えている。


「……なんていう魔獣ですか、ソラさん」


「分かりません」


 ……ですよね。

 魔獣と言うよりも、悪魔と形容すべき異形。

 見るからにヤバそうなそれは、しかし真っ黒な眼光に知性が宿っているように見える。


「至レリ」


 ぶしゅう、と魔素の色をした息を吐いたそいつの声色は、濁っていて上手く聞き取れなかった。

 だけど今は消えているあの黒い沼、えぇとつまり……どっちだろう。


「取り込んだのか、取り込まれたのか……」


 見える魔力もどす黒く濁っている。

 だらりと垂れ下がった太い尾や身体の各所に、『地均す甲竜』の特徴が見えるけれど。


 こちらに一歩踏み出したその足は雄雄しく、鉤爪のようなそれが地面を抉り、ただただ愚直に飛び出してきた。

 握っていたソラの手を持ち上げ、手の平を合わせる……そっと互いを押し合った。

 二人を分かつように突っ込んできたそいつは翼を広げて空中で勢いを殺すと、着地と同時に俺を追うように身体を反転させた。


 迫力は凄い、けれど……あんまり速くない?

 振り上げられた、俺の身体よりも太く荒々しい腕、魔術が使われている気配はない。

 振り下ろされる前に一歩踏み出し、脇を抜ける、『吸血鬼』の刀身を現出させながら。


「お、わ」


 撫で切りながら魔力を吸収しようと思ったけど、振り抜けなかった。

 魔力の密度のせいだろうか、引きずられる前に慌てて刀身を消し、地面を蹴り飛ばして脱出。

 そいつの追撃は早かった。

 足の鉤爪を使っての急制動か、こちらへ突っ込んでくるその振り降ろされた腕に合わせ、再度『吸血鬼』に魔力を流し込み、振り上げた。


「く、うぉ……っ」


 重い。

 単純な膂力は相手の方が上、勿論体重もだろう。

 そして身体を廻る魔力の量も。


 俺を押し潰さんとするその腕から、青みがかった血が舞い散った。

 切断とまではいかなかったものの、ソラの爪がそいつの身体の至るところを削ぎとっていく。

 ソラに気を取られたか、力が緩んだ隙に距離を取る。


 動きが違いすぎる、いつも通り俺の出番はもうないかもしれない……そう思ったときだった。

 そいつの四肢に薄っすらと紋様が浮かび上がり、魔力が瞬時に流れ込んだ。

 嫌な予感がする。


 ソラも何か気配を感じ取ったのだろう飛び退き、ちょうどそいつを中心に反対側、俺と挟み込むような位置で腰を低くして警戒態勢。

 空気が、震えた。


「……っ!」


 咄嗟に『吸血鬼』を振り上げた、その刀身に伝わる衝撃は腕を痺れさせ、体重の軽さが功を奏した……真っ直ぐ振り抜かれた拳に、軽々と吹っ飛ばされた。

 さっきより、遥かに速い!


 ブーツの踵が乾いた地面を削り、砂埃が舞い上がる。

 追撃はこない……風を纏った青い眼光が、その丈の倍以上もある悪魔のような異形のそいつに飛び掛かり、翻弄していた。

 それはまるで踊っているように。


 打ち合う度に少しずつ吸収した魔力は、驚く程この身体に馴染んでいる。

 振り払われた腕を避けたソラを視界内に置き、そいつの後頭部に転移、『吸血鬼』を振り下ろす。

 ず、と僅かに食い込んだ揺らめく刀身越しにさらに魔力を吸い取り、伸びてきた腕に掴まる前に飛び退く……変質させた刀身、その結晶を残して。


「ソラ!」


 俺の声を受けて素早く退避したソラを見やりつつ、『断罪』を発動。

 そいつの頭部から光の柱が立ち上り……うわ、グロい。

 頭の上半分が、吹き飛んだ。


 サク、と飛んできたご立派な角が足元に突き刺さり、少しだけひやりとした。

 それは見る間に青白い粒子になって、辺りに漂う薄くなった魔素へ同化していった。

 見慣れた光景……煙草に似たあれが散り散りになるときと、似ている。


「……まだ動くのか」


 吹き飛ばした頭部がやはり青白い炎に包まれ、再生していく。

 棒立ちになった再生中のそいつを待つ義理はない、俺とソラは同時に足を踏み出していた。

 先に仕掛けたのはソラで、無防備な脚を鋭利な爪で引き裂いていく。

 反撃もせず、がくん、とバランスを崩したそいつの燃え上がる頭部に、再び『吸血鬼』を振り下ろした。


 その切っ先は、ミシ、という音を立てて遮られた。

 見ればそいつを半球状に覆う、これは結界の魔術か。

 それに弾き飛ばされる形になったソラの隣に、転移で逃げた。


「ふぅ……、魔獣って魔術使えるの?」


「いえ。……あれは、魔獣じゃないですね」


「ってことは」


「魔族です」


 人間に近しい姿をした、しかしその身体に異形を内包するという、『災厄』をもたらした元凶。

 それの……王か。

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