二十七話 ここに結実する
「姐さん! 橋の向こうに騎士団が展開してやす!」
砲弾のようにかっ飛んで戻ってきた『木転がし』を抱き止め、額を突き合わせて何をしていたかと思えば。
意思疎通可能らしい、彼らは意外と魔術師としての腕はいいのかもしれない。
「フィア、どうします?」
流石に今日は朝から酒を飲んでいない、何か考え事をしているルデラフィアに声をかけた。
黙ってればほんとに綺麗だなぁこの人。
「……解せねェな」
「?」
首を傾げる俺の頬を摘みながら、ルデラフィアは続けた。
ぷにぷに。
「ジジィは傍観、魔術都市の兵は引き上げ済み。……で、どうやって血を流す?」
「たしふぁひ」
確かに。
どうやって『血の平野』に騎士団を呼び寄せたのかは分からないけど、今までの情報からすれば、血が流れないことには彼ら……『使徒』の目的は達成されない筈だ。
見渡す限り、魔獣の姿もない。
「なんかこう……同士討ちさせる魔術とか」
「騎士団の連中にその手のは効かねェと思うけど」
思いつきで言ってはみたものの、そもそも専門家のルデラフィアが分からないのに、俺が分かるわけなかった。
よし、しばらく静かにしていよう。
小高い丘の上、遠く『血の平野』を見やる。
低く雲が垂れ込め、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様。
橋は……あれか、左手ずっと奥、遠くにそれらしいものが見える。
騎士団の姿はまだ見えない。
ここは随分と見通しが良い、幾度の戦いを経て視界を遮るものは全て、擦り切れてしまったのだろうか。
「様子見だな」
「そうですね」
ルデラフィアの声に頷き、ソラの髪を手櫛で整える。
気持ち良さそうに喉の奥で鳴らす変な声を聞きつつ、ふと湧いた疑問をルデラフィアにぶつける。
「あんな所に生身で進入して、大丈夫なんですか?」
左目で見たあの景色は、あまりに濃密すぎて見ていられないものだったのだけど。
「魔術師なら少しくらいは平気だろ」
逆に言えば、普通の人間が立ち入るような場所ではないということか。
『血の平野』で流れる血は魔術師のもの、必然、魔力はさらに濃密になっていく。
……よくできすぎている。最初から仕組まれていたと言われても、おかしくないくらいに。
ソラが時折、耳をぴくぴくと動かしては首を傾げる。
大体こういうときは、何かしらが迫っているときだけど。
「……何か聞こえる?」
「んん……分かりません」
「?」
珍しくはっきりしない答え。
ソラの耳は器用に色んな方向を向き、何かを探しているようにも見える。
……俺も目を切り替え、獣の耳を生やした。
目を瞑り、意識を集中する……ソラが分からないものが、俺に分かるとも思えないけど。
「んー……、鳴き声みたいなのが聞こえる?」
ちらり、と丘のふもとを見やる……『木転がし』のではなさそうだ。
彼らと御者たちは、ここで待機するようにルデラフィアに言われている。
「……シエラ」
おずおずといった様子で声をかけてきたニアリィの方に目を向けると、ぷいっと目を逸らされた。
えぇ……?
「ちょっとお話、しよ」
まだ時間はあるだろう、小さく頷いた。
『十席』直属の魔術師は、程度の差はあるものの基本的には主の命令なしで自由に動くことはできない。
ニアリィ・タージェスの場合、その身に刻まれた『鎖と罰』という魔術は、意思や意識を制限するものではない。
彼女を縛っていたのは『大賢者』の支配下にいる母親の存在だったが、それももう数年前になくなった。
だから、彼女は生き永らえた。
薄っぺらい笑みを貼り付け、牙を磨き続け、いつか来る筈の好機を待ち続けた。
『大賢者』を殺し得る、最大の好機を。
『鎖と罰』を刻まれた人間に、術者を打倒する術はない。
術者の痛みは全て、身代わりが負う……術者を殺せば身代わりが、自分が死ぬ。
しかし『鎖と罰』は決して万能ではない。
術者と身代わりが近くに居ないと発動しないから、『大賢者』は常に複数の従順な身代わりの少女を侍らせていた。
今回の任務は、少しだけ心境の変化をもたらした。
相手はあの『断罪』を使った『白き魔女』、そして捕縛が第一目標なんて、滅多にあることではない。
疑わしき者は殺す。秘密を知ろうとする者は殺す。秘密主義の『十席』の意見が分かれた、珍しい案件。
何かが起きると思ったのだ。
思い出のケープを纏った白く美しい少女はそれほどまでに、それこそ『大賢者』すら比較にならない程の、魔力を秘めていたから。
だから、必死に取り入ろうとした。
その結果は……。
「あは。散々だったけど」
手ごろな岩に腰掛け、ソラに髪を結われているニアリィは、背中を丸めて小さく笑った。
ニアリィの前に屈みこむと、やはりぷいっと目を逸らされた……けれどそっと手に指を絡めると諦めたように嘆息し、目を合わせてくれた。
「……これから、どうしよ」
少女は突然降って湧いた自由を持て余しているようだった。
「ニア、それなら」
縛るものがないのなら、好きにすればいい。
良かれと思うことを、心から欲するものを、為せばいい。
「会いに行きましょう、お父さんに」
「……あは。……そう、だね」
絡めた指を離した。
金色の瞳が揺れ、涙を滲ませたから。
「そっか。会っていいんだ。……あは。会えるんだ、パパに」
「はぁ、女の子泣かせですね」
言い方……。
ソラは溜め息をつきながら、しかしニアリィの髪を優しく撫で、器用に纏め上げていく。
上手いものですね。
ルデラフィアの纏う気配が変わったのを感じた。
立ち上がり振り返る、向かって左の遠く、立派な橋を渡る集団が見える。
城塞都市レグルスに所属している騎士団。
朝の陽を浴びて時折光を反射する鋼の甲冑、鎧を纏った馬の姿も見える。
「団体さんのご到着だな」
手をかざし笑みを浮かべるルデラフィアは、これから何が起こるか、期待で目が輝いている。
紫の瞳の中に燃えるような赤。
しばらく動いてないからだろうか、色々と溜まってそうで怖い。
ぴくり、と。
最初に反応したのはソラの耳だった。
「そういうことですか。シエラちゃん、懐かしいですね」
「……あぁ」
橋を渡りきった二千を超えそうな騎士団、それを取り囲むように地中から次々と生えてくるそれは。
魔力をたっぷりと蓄えて、いや、あんなに大きかったっけ……?
「『地均す甲竜』、か」
にぃとルデラフィアの口角が上がり、犬歯がちらりと覗く。
全力を出しても壊れない玩具がいっぱいだ、とか思ってそう……。
ああ、どうりでこの左目でも見えなかったわけだ。
見渡す限りの魔力の海、その中に埋没していたなんて。
そして思い至る、ルッツ・アルフェインの実験……あれはもしかして、この為か。
「パパがいる」
城塞都市には幾つかの騎士団が存在していると聞く……その中の一つ、レイグリッド・トルーガが率いる彼らか。
見える筈のない距離だけど、きっと分かるのだろう。
「……退却しませんね」
「できない理由があんだろ。……アレは撃つなよ。巻き込むぞ」
「はい」
中指の付け根を撫でる。
ルデラフィアの声は、こんなときだからこそ明るい。
「放っておけば壊滅だな」
幸いにも渡ってきた橋への退路は塞がっていない。
……やることは、決まってる。
「行きましょう」
背中からソラに抱きつかれ、左手をルデラフィアに掴まれた。
右手をニアリィに差し出す……柔らかく握り返されたその手ごと持ち上げて。
先頭集団を睨みつける。
転移の魔術を発動した。




