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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第三章 無知なる罪
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二十六話 大人なので

「ママをかえして!」


 喉が破れそうなほど叫んだのに、この暗くて狭い部屋には、響かなかった。


「イイ子にしていれば、お母さんは無事でいられるよ」


 嘘だと思った。

 男の声は湿っていて、気持ち悪かった。

 だけど、動けなくて、ママは泣いていたから。


「そう、イイ子にしていれば、お母さんはずっと、無事でいられるよ」


 だから、私は頷いた。

 男の手はざらついていて、気持ち悪かった。

 だけど、動けなくて、ママは泣いていたから。


「イイ子だ。そう、それでいい。お母さんはずっと、無事でいられるよ」


 だから、私は受け入れた。

 男の目は濁っていて、気持ち悪かった。

 だけど。




「……あぁ」


 横向きに毛布に身体を預けていた俺の目の前には、ニアリィ・タージェスの寝顔があった。

 涙の跡が乾ききっておらず、枕が……枕じゃない、ソラの尻尾がしっとりと湿っている。

 首を廻らせようとしても動けそうにない……ニアリィが、まるで甘える子供のように俺の身体に抱きついていた。


 昨晩のことを思い出す。

 あの後は夜営の準備をして、何故かあねさん呼びしてくる三人と三匹が調理と見張りを買って出て。

 泣き腫らしたニアリィが戻ってきて一緒にご飯を食べて(美味かった)、スイッチが切れたように眠ってしまったから荷馬車に運んで。

 そうか、俺もそのまま釣られるように寝てしまったのか。


 荷台を覆う幌越しの陽の光は薄く柔らかい。

 まだ起こす必要はないか……ニアリィの寝顔は、憑き物が落ちたようにあどけない。

 なんだろう、ずっと見ていたくなるような。



 しばらくぼぉっとしながらニアリィの寝顔を眺めていると、荷馬車の外で何かが動く気配がした。

 恐らく一人と一匹の組み合わせだろう、『木転がし』の朝は早いと言っていた。


 名残惜しいけど、仕方ない。

 俺を拘束しているニアリィの手を優しく引き剥がす。


 それは、油断だった。

 多分、どちらにとっても。


「やだぁ……」


 慎重に手を除けたものの、ニアリィがむずかるように再び抱きつき、俺の薄い胸に顔を埋めた。


「ままぁ……」


「……っ!?」


 電撃のように背中を駆け上がった感情を、どう言い表せばいいのだろう。

 ……いや、違う。

 すぐに思い至った温かなそれを、言葉にしたくないだけだ。

 胸を一瞬締め付けた、柔らかく甘い、それ。


「ちがう……おれは、ちがう」


 小声で呟くも、その声は震えていて、そして少女のものでしかなかった。


 いや、多分、そう。

 昨日までのニアリィとのギャップに驚いただけだ。


「まま……ままぁ……」


「はぁう」


 やめてくれ。何かが目覚めそうになる。

 湧き上がる何かを必死に飲み下し、深呼吸して(いいにおいがして逆に危なかった)、声をかけた。


「……ニア。起きてください、ニア」


「ん、ぅ……? ま……、しえ、ら?」


「はい」


 今のは危なかったですねお互いに。

 鼻と鼻が触れ合う、お互いの吐息が撫で合う距離で、金の瞳の焦点が合うまでの時間は、とても長く感じられた。

 ニアリィの頬が紅く染まっていき、喉の奥から飛び出そうとした声はしかし、自分から抱きついていることに気がつき、口の形を歪ませただけ。


「お……っ、おはよ、う……」


「おはようございます」


 笑顔は、なんとか上手くいった。




あねさん! おはようございます!」


 くきゅるぅっ!


 野太い勇ましい声と、巨大げっ歯類の甲高い声が『血の平野』から僅か南、小高い丘のふもとに響き渡る。

 二つの川に挟まれたここは、もう少し南に下ると大きな森が広がり、魔獣がひしめき合っているという。

 緩衝地帯とも激戦区とも呼ばれるこの辺り、『血の平野』から少し外れれば驚く程自然が豊かで陽射しも暖かく、ピクニックにでも来ているよう。


「朝食を準備中です! もうしばらくお待ちください!」


「はぁい」


 朝から元気がいいなぁ。

 彼らが言うには、魔獣を使役する魔術師の中には序列があるらしく、『空駆ける爪』を従えていると思われている俺は、その中でもかなりの上位に位置づけられるらしい。

 そして道中で面白がったルデラフィアが言い放った、


「こいつ巷では『竜を統べる者』って呼ばれてるぞ」


 という一言が、彼らを震撼させた。

 魔獣を使役する魔術師、その全ての憧れであり伝説とも呼べる存在……それが『竜』であり、ドラゴンマスターなのだ……!



 その竜をも統べる白き魔女たる俺は、今……。


「はいよー!」


 ふぐるるぅ!


 丸っこい大きなねずみに跨り、大地を駆け回っていた。

 いや、ご飯ができるまで暇だったので……ソラも起きてこないし。


 しかしこいつ、まじで乗りづらいな。

 そこまで大きくないのと、体躯が丸々としすぎていて、跨るというより……しがみつくという感じ。

 端から見れば不恰好なことこの上ない。

 俺より遥かにでかい身体の彼らはよく乗りこなせていたなと感心する。

 ……いや、逆に抱え上げていたっけ?


 その後、起きてきたソラの鋭く冷たい視線に遠くから射抜かれ、とぼとぼと帰還することになった。


 ふるるぅ……。

 小さく鳴く『木転がし』の背、硬い体毛を撫でる。

 魔獣の中での序列も、絶対的なものらしい。




「あは。おはよう、シエラ」


 『木転がし』に乗って(しがみついて)戻ってきた俺は、着替えを終えすっかり元通りになったニアリィに出迎えられた。

 うん、朝のはきっと幻覚だったのだろう。

 丸々ねずみから飛び降り、駆け寄る。


「おはようござ、いま……」


 すすす、と。

 近づいた分だけ、遠ざかるニアリィ。

 蜃気楼かな?


 固まった笑顔のまま距離を取るニアリィは、しかし丁度起きてきたルデラフィアに背中からぶつかり、捕まった。


「よォ、危ねェぞ」


「るっ、デラフィア様……おはようございます」


 あン? と訝しげな顔をしながらニアリィの肩を掴んだままのルデラフィア、当然俺はその間に距離を詰める。


「わ、ああ、離して下さい、ルデラフィア様!」


 パ、と解放されたニアリィは魔力を一瞬で廻らせ(!)身体を反転、しかしその眼前に、俺は転移の魔術で現出した。

 ……にこっ。


「……あは」


 ずい、と近づき、僅かに持ち上げられたニアリィのさ迷う両の手に、指を絡めた。


「ニア、おはようございます」


「ぁ……う、……っ」


 この反応、もしかして。

 不幸にも朝のアレを認識してしまっている……?

 昨日までとは違い、表情にその態度に余裕が一切感じられない。

 目は泳ぎ、頬は紅く染まり、今にも泣き出しそう。


 いかん、また何かが刺激されそうになる。


「……ニア、大丈夫ですよ」


「なに、が」


「こう見えて私は、けっこう年上です」


 これフォローになってるのかなぁ、と言った直後に自信がなくなった。

 背の高さ的に微妙に見上げながらだから、説得力も何もない。


「……あは。……え、ほんと?」


「えぇ。大人ですよ、私は。だから」


 手を離し、背伸びをして、ニアリィの背中に手を回した。


「甘えてもいいですよ」


 ままって呼ぶのは勘弁してほしいけど。

 ニアリィの身体が一度硬く緊張してから、ゆるりと弛緩した。


「……あ、は。……、ありがと」


 小さく呟いたニアリィの髪を撫でる。

 視界の端でソラが盛大に溜め息をついているけど、怒ってはいなさそうで少しだけ安心した。


「じゃあ、ご飯にしましょうか」

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