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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第三章 無知なる罪
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二十四話 夕闇に浮かぶ青い炎

「これはきついですね。シエラちゃん、ちゅーしてください」


「そうだな……え、なんで?」


 そこそこ見晴らしの良い小高い丘の上。

 急激に魔素が濃くなってきたので辺りの様子を見ようと、ソラと二人で上ってきたのだけど。


「シエラちゃんので、いっぱいにして欲しいんです」


「言い方……」


 小さい丘のふもとでは夜営の準備が始まり、御者が馬に水を飲ませている。

 なんだかんだでここまで付いてきた魔獣を操る三人と『木転がし』も、仲良く何かをもぐもぐしている。

 ここまでにどれだけ飲んだのか、ルデラフィアが荷台から頭を押さえながらのっそりと這い出してくるのが見えた。


「そうすれば、余計なものが入らないですから」


「……そういうものなの?」


「はい」


 そういうものらしい。

 別に断る理由もないけど、見晴らしがいいから短い時間で済ませよう。

 期待に尻尾を揺らすソラを軽く引き寄せ、喜びを隠さず目を瞑ったその唇に、口付けた。


 魔力をゆっくりと流し込むと、ソラの喉奥からくぐもった声が漏れ、艶めかしい。

 首を傾け、薄く長い舌が俺の唇の間に割り込んでくる。

 調子に乗ったその舌を唇で挟み、お仕置き代わりに魔力を吸い出そうと……。


「……何してるの?」


 女の子同士で、と。心臓を突き刺すような冷ややかな声が耳に滑りこんできた。

 ……この身体に心臓はないけども。


 唇を離し、横目で声の主を見やる……ニアリィ・タージェスの目が、微妙に嫌悪の色に染まっていた。

 ソラの潤んだ青い瞳がちらり、と声の主を見やる。


「んふぁ……、寵愛ですよ、ちょうあい」


 ソラがぺろりと自分の唇を舐め、ごちそうさま、と囁いた。

 その言葉は色々と誤解を招きかねないので止めた方がいいと思います。


「寵愛……? そんなやり方、見たことも聞いたこともないけど」


 そうでしょうね。

 普通は手の平を合わせてやるんでしたっけ。

 下手に言い訳をしても仕方ないし、とりあえず順番に事実だけ伝えることにしよう。

 えぇと、口からしか魔力の供与ができないこと、それと転移魔術を使うときに……。


「疑うなら試してみればいいじゃないですか」


「……ソラさん?」


 頭の中で構築されようとしていた説明文が、がらがらと瓦解した。

 見てなかったのかさっきの剣呑な目つきを。

 相手は暗殺者ですよ。


「馬鹿じゃないの。そもそも私は『十席』の犬だよ。……恐れられ、蔑まされる、人を殺す為だけの道具」


 寵愛なんて、と呟くニアリィの声色は多分に自虐に満ちていて、冷たく、そして寂しい。

 ニアリィの手を握り返したときの表情が思い返された。

 笑っていたけれど……どこか、泣き出しそうだった。


 時折感情の色が消えるその金の瞳は、過去に何があったのか、分からないけど。


「あは。まぁ、見なかったことにしておくよ。邪魔してごめんね」


 色々な何かを諦めてきたのだろうその口調は、不自然なほどに自然だった。

 その態度に少しだけ……苛立ちに似た感情が浮かんだ。

 振り返るニアリィの背を見ながら、口を開いた。


「ソラ。……捕まえて」


「はい」


 ソラは……恐らく本当は、俺が他の人間に魔力を与えることを良しとしていない。

 わざわざ挑発するように言った言葉には、何か意味があるのだろう。

 ……多分。


 巻き上がる風だけを残してニアリィに一瞬で迫るソラ。

 気配を察知したのか、ニアリィは振り返りざまに身体を倒し、拳を振り下ろした。

 その拳はしかし空を切り、後ろを取ったソラはニアリィの身体を羽交い絞めにした。

 ……速すぎてほとんど見えなかった。


「何、を」


 ニアリィの四肢に廻る魔力は、追っ手と対峙した時とは比べ物にならないほど。

 それでもソラの拘束を解くことはできないようだ。

 二人とも動きがガチすぎてちょっと引く……。


「ニア」


 絡まる二人に歩み寄り、なるべく声色を柔らかく。

 びくり、と大げさなまでに身体を震わせこちらを向いたニアリィの顔は、眉根を寄せ困惑の色に染まっている。


「……あは。その、邪魔したのは、謝るよ」


 ニアリィは言葉を紡ぎながらも、身体の中の魔力の流動は淀みなく、本気で脱出を図っている。

 恐怖も怯えもなく、動けないこと、ただそれだけが耐えられないとでもいうように。


 その頬に触れた。

 ぴく、と強張った顔に浮かんだ表情は複雑で、一言で言い表すことは難しい。


「シエラ。冗談は、やめてよ。……怒るよ」


 その声は震えている。

 泳ぐ目は泣きそうで、しかし四肢への魔力の供給は止まらない。

 悪あがきというよりも、これは……。


「ニア。私は、あなたのお父さんとお爺ちゃんに、助けられました」


 頬を撫でる。

 ニアリィの、硬く握り締めていた拳の力が少しだけ緩んだ。

 きっとこの女の子は、あの二人が俺を信用してくれたから、こうして付いてきてくれた。

 恐らくは何かを、見極めるために。


「私は、あの二人を信頼しています」


「……私だって」


 きっとそれは、俺の比なんかではないだろう。

 だから、続ける。


「それと同じくらい私は、あなたのことを信じています」


 ソラの拘束が緩んだ。

 けれどニアリィはその場に、俺の前に立ったまま、目を覗きこんでいる。

 子供のように。


「……どうして? 私は人を殺す為、の……待って、しえ、ぁ……っ」


 その、自身を罰するかのような声を、唇で塞いだ。

 潤んだ金の瞳が見開かれ、頬が僅かに紅く染まる。

 抵抗は驚くほど弱い。


 行き場がなく固く握られたニアリィの手に触れ、指を絡めると、小さく震え強張った唇が、弛緩した。


「ん、はぁ……、私、こんな……んぅっ……!」


 金の瞳が潤み、まなじりから涙がこぼれた。

 ……なんかすっごい悪いことしてる気がしてきたけど、大丈夫かなこれ。

 そして、魔力供与のことをすっかり忘れていたことに気がついた。


 ゆっくりと魔力を流しこむと、絡めた指が、ぎゅ、と握られた。

 これほどまでに卓越した魔術師なのに、その反応はやけに初々しい。

 こくん、と何かを嚥下したニアリィは、熱い吐息を漏らした。


「ぁ、はぁ……っ、しえら、待って……こわい、の」


 『十席』がそれぞれ抱える刺客、その中でも筆頭の実力を持つというニアリィの口が小さく、弱音を漏らした。


「こんな、の……っ、私、は……っはじめて、なの……んぅっ」


 色々な誤解を招きかねない言葉を、もう一度唇で押し込めた。

 ソラはもう完全に身体を離し……ニアリィの背中を凝視している。

 おや、と思った瞬間、ニアリィの背から服を通し、淡く青白い光が漏れた。


 唇を離し、呆けた顔の目の前の少女に声をかける。


「……ニア。その、背中……」


「……え」


 その表情は、何を言っているのか分からない、という顔ではなく。

 どうしてそのことを知っているのか、という困惑と疑念の表情だった。


 先の戦闘で傷でも負っていたのだろうか。

 ただニアリィの顔に浮かんだ表情は、もっと別の……おや。

 夢中になっていて気がつかなかった、丘のふもとからいつの間にか、ルデラフィアが上ってきていた。


「見ていいか?」


 ルデラフィアの短い問いに、僅かに逡巡したニアリィは小さく頷いた。

 ああ、寵愛のことではないんですね、勘違いするところでした。


 暖かな陽は追いやられ、大きな二つの月が空を占有しつつある見晴らしの良い小さな丘の上。

 少女が震える手で一つずつボタンを外していく。


 うずくまり、さらけ出された背中には紋様が刻まれ、その表面を薄く青白い火が舐めている。

 魔術の紋様にしては……禍々しい。


「チッ……これだから『十席』のジジィどもは」


 ルデラフィアは吐き捨てるようにそう言うと、俺をちらりと見てから続けた。


「『鎖と罰』の魔術。いや、『呪い』って言ったほうが分かりやすいか?」


 どっちも分からないけど……そんなものが、何故この少女の背中に。

 眉根を寄せた俺に、しかしルデラフィアの声色は明るい。


「『大賢者』が刻んだ『呪い』をバラせるとはな。おねえちゃんは鼻が高いぜ」


 この人まだ言ってる……。

 しかし、俺の体内を廻る魔力に傷を修復する要素が備わっていることは分かっていたけど、これは。

 刻まれているのは傷ではなく、魔術の紋様だよな。

 ……どういうことだろう。


「……傷だよ。身体じゃねェ、魂のだ」


「たましい、ですか」


 ソレには私の魂を植え付けるつもりでいた、あの女はそう言っていたっけ。


 曰くその魔術は、対象に行動の制限や制約を課し、術者に降りかかる痛みや損傷を肩代わりさせる。

 つまりは身代わり……スケープゴート。

 何かに怯えるように肩を震わせるニアリィに、ルデラフィアは手を添えた。

 その手は似つかわしくない……傷物に触れるように、優しい。


「詮索するつもりはねェが……運が良かったな」


 そう言ってルデラフィアは一度俺を見やると、ソラをちょいちょいと指で呼んだ。

 今の目配せは……後は任せる、だろうか。


 ニアリィの背中は小さく、肌を舐める青白い炎はいっそ幻想的ですらある。

 その傷の深さはどれほどなのだろう。

 魔力を見通す俺の目は、だけど少女に刻まれたその痛みを見ることはできない。


「……ニア」


 伏せた睫毛が小さく震え、濡れた金の瞳が俺を見上げた。

 人殺しの道具。身代わり。

 騎士の家に生まれた筈の少女が、何故魔術都市でそんな目に遭っていたのかなんて、分からないけど。

 また涙をこぼしたニアリィの唇が、声を漏らした。


「……やさしく、しないで」


 信用と信頼。

 そう言いながら俺の手を取った少女の手は、最初からずっと震えていた。


「あなたは……綺麗すぎて、こわいよ……」


 呟く少女の声を獣の耳がかろうじて拾い上げた。

 ……目を戻した。

 明るい口調も、わざとらしい笑みも、全てがちぐはぐな少女の頬に、手を添えた。


「……っ」


 優しくしないなんて、冗談じゃない。

 女の子が泣いているのに、手を差し伸べない男なんていないだろう。

 ……泣かせたのは俺だった気がするけど、棚に上げておこう。


 ぎゅう、と目を瞑った拍子に、ニアリィの頬に涙が伝った。

 それが地面に落ちる前に、強張った唇に、唇を押し付けた。

 魔力を流し込むと、しかしニアリィの喉は素直に小さく上下する。

 外気に晒された背中の青白い炎が密度を増し、月の光よりも明るく辺りを照らし出す。


「んぅ……、うぅ……っ」


 焦げた茶色の癖のない髪を撫でる。

 力のない、抵抗すらしなくなったニアリィの背に、そっと触れた。

 ぴく、と身体が強張った瞬間に、また魔力を流し込む。

 口の端からよだれが垂れ、喘ぐようなニアリィの吐息はひんやりとした空気の中で、ただただ熱い。


 青白い炎に炙られる俺の小さな手は、死人のように白い。


「シエラ、来るぞ」


 ルデラフィアの声で唇が分かたれ、惜しむようにニアリィが喉の奥を小さく鳴らした。


「……何が?」


 その緊迫した声色に立ち上がり、目を切り替えた。

 ずっと奥、『血の平野』はあまりに魔力で染まっていて、頭が痛くなる。

 ソラは少し離れた位置で、耳を小刻みに動かしていた。


「そりゃ決まってるだろ」


 ルデラフィアの四肢に魔力が廻る。

 美しく、洗練された魔力の流動に見惚れそうになる。

 その指が、ニアリィを指差した。


「そいつのご主人様だよ」

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