二十話 人狩りの飼い犬
「じゃあ、私からかいつまんで話すね」
ニアリィ・タージェスはそう言うと、テラスの手すりに軽く跳んで腰掛けた。
俺はあまり目立ちたくない、ニアリィから二人分の余裕を取って座っているソラの、脚の間に寄りかかった。
ソラの手が俺の髪を撫で、すくい纏め、また撫でる。
それを気にする風でもなく、ニアリィは語り出した。
今ここに至る、経緯を。
「私の元に、二つの真偽不明の情報が届いてね」
さかのぼること、三週間と少し前。
ニアリィの元に届いたのは、父であるレイグリッド・トルーガ勾留の報だった。
任務の失敗及びアーティファクトを強奪した白き魔女を手引きした疑い。
「私は最初、パパが白き魔女に利用されたのだと思った」
しかし旅の商人や情報屋の話では、どうも違うらしい。
強奪の現場に居合わせた兵士の被害はゼロだったというし、白き魔女と呼ばれる魔術師は、まだ幼い少女だと。
「騎士という生き方を体現していたあの人が、国を裏切るようなことをする筈がない。何かの罠だとすぐ分かった」
そしてニアリィは、白き魔女にまつわる噂を集め始めた。
個人的な興味もあったけれど、仕える『十席』からの命令でもあった。
美しく白い髪の少女の姿であること。
傍らに獣の特徴を有する少女がいること。
首に多額の賞金が掛かっていること。
『地均す甲竜』を撃退したこと。
「『十席』っていうのは、魔術都市を統治運営管理する十人の高位魔術師のことね」
興味深かったのは、城塞都市レグルスからの追っ手が一枚岩ではなかったということだった。
若き王サルファン直属の騎士団と、王に仕える側近直属の兵たち。
「パパはサルファン王に剣を教えていたこともあったから」
サルファン王の戦力、そして発言力を奪う為の勾留措置だったことは明白で。
裏で糸を引いているのはその側近だろうと、目星はついた。
情報収集は続いた。
港湾都市リフォレでの白き魔女の行動の数々。
そして。
「きっかけは、あの『断罪』だよ」
まるで城塞都市レグルスと魔術都市ソムリアの領土を分かつように立ち昇った、或いは降り注いだ光の柱は、見た者全ての胸の中に畏怖の念を刻み込んだ。
『十席』、彼らの意見は分かれた。
争点はただ一つ。
魔術都市ソムリアが厳重に封印している魔術書『断罪』、その在り処を知るものは『十席』のみだということ。
「可及的速やかに殺害する」が三票。
「『十席』に迎え入れるべく招待する」が三票。
「捕縛し情報を自白させた上で処分を検討する」が三票。
残りの一票は、空席の為除外。
そう、現状『十席』は、九席しか埋まっていない。
彼ら『十席』の意見が分かれた場合、国内の事案に関しては再度綿密な話し合いが行われるが、国外の問題に関しては、その限りではない。
各々の裁量で、各々が善かれと思うことを為す。
「私に下された命令は」
ニアリィは少しだけ声色を落として、呟くように言葉を吐いた。
「『白き魔女』を捕縛せよ。不可能ならば殺害もやむを得ないものとする」
それは冷たく、氷のよう。
「と、いうわけで」
ニアリィは声色を戻して、手すりから飛び降りた。
「私がここに来たってわけ」
恐らく、彼女の名は有名なのだろう。
ダルセイたちのあの態度は畏敬の念というより、恐怖の色に染まっていた。
「本当は静かに潜入して、さくっと捕まえて帰る予定だったんだけど……」
会ってみたかったんだ、淡々と語るその言葉に、しかし感情の色はない。
「あは。似合ってるね」
「?」
ニアリィが懐から取り出した小さな手鏡、手渡されたそれを覗き込む。
いつの間にか、髪が上のほうでゆるいお団子風に纏められている……。
鏡越しのソラは満足そうなドヤ顔をしていた。
ソラさん、いつの間にこんな技術を?
「私もやってほしいな。えぇと……」
「ソラです」
「ソラちゃん、素敵な名前だね。お願いしていい?」
「ふふん。いいですよ」
何故か得意気なソラの声を聞きつつ、ニアリィと立ち位置を交換する。
ソラが取り出したその細いリボンには見覚えがある、コリンから貰ったのだろうか。
ニアリィはソラの脚元に身体を預け、一息ついた。
「シエラ、って呼んでいい?」
「……いいですけど」
手鏡を返しながら答える……ニアリィは人懐っこい笑顔を浮かべてはいるものの、やはりその目は笑っていない。
なんというかずっと、ちぐはぐな感じがする。
「ん。私はニアでいいよ」
随分とぐいぐいくるな。まるで距離感の分からない子供のように。
ほんの少し警戒心が湧くけど、悪い子ではなさそう。
「それじゃあ次は、シエラの番ね」
「……はい」
名前のこととか、何故家族と離れているのかとか、気になる点はいっぱいあるけれど。
話をしたいと言った理由もまだ分からないし……とりあえず様子見だな。
さて、どこから話すか……どこまで話すか。
ニアリィの話はけっこう端折っていたし、彼女が集めた情報、噂を補完する形でいいだろう。
「えぇと、じゃあ……レイグリッドさんと初めて会ったところから」
「似合ってますよ」
一通り話し終えた頃には、ニアリィの後頭部にもゆるふわなお団子(少し小さめ)が完成していた。
「ありがと」
ニアリィは手鏡を見ながら、満更でもない様子。
お揃いですね。
「あは。……何してるんだろ、私」
ニアリィが自嘲めいた呟きを漏らしながら差し出した手を、軽く握る。
信用の証、だっけ。
「ケープ、大事にしてね」
「……はい」
その手は離されず、ゆるりと引かれ、優しく抱き締められた。
んん?
「ごめんね。他の奴らも来たみたい」
「えぇと……?」
うわぁいいにおい。
なんだろう、さわやかなかんじ。
ふと上を見ると、ソラが明後日の方を向き、フードの下で小刻みに耳を動かしていた。
「私の獲物だ。その無様な索敵を引っ込めろ」
……びっくりした。
突然耳元で発せられたニアリィの声は冷たく、静かな殺気を孕んでいた。
遠話の魔術か、恐る恐るニアリィの顔を横目で盗み見ると……すぐに金の瞳と目が合い、微笑まれた。
こわい。
「お前たちが束になった所で敵う相手か。先に狩られたくなければ引っ込め。二度は言わせるな」
この変わりよう、笑みを浮かべながらのドスの聞いた声は迫力がある。
一息で言い切ったニアリィは、一度小さく溜め息をついた。
「あは、ごめんね」
遠話を切ったのだろう、また声色が変わる。
……どっちが素なんだろう。
片方の手を握ったまま身体を離したニアリィは、ばつの悪そうな顔をして……手を離した。
もしかして俺は今、守られたのだろうか。
「……いえ。その……ありがとうございます」
俺の礼の言葉にニアリィはきょとんとしてから、口元にだけ柔らかい笑みを浮かべた。
「ううん。聞いての通り『魔女狩り』と称して……『十席』からの刺客があなたを狙ってる」
私を含めてね、と。
するり、と俺の脇を抜けたニアリィは、遠く海の方へ視線を向けて言葉を続ける。
「黒き魔女との関係は、あんまり公言しないほうがいいかもね」
どうやら心配されているらしい、彼女の立場からすれば有り得ない筈の言葉。
敵意なんて勿論感じない、それならこの会話の着地点はどこにあるのだろう。
「さっき言ってた鈍色の……『使徒』に関しては、『十席』も噛んでると思う」
「そう、ですか」
まぁどこも一枚岩じゃないけど、と呟いたニアリィの目には、何が映っているのだろう。
何故か見ていて酷く不安になる。
「私としては、シエラには逃げられたってことにしておきたいんだけど……」
俺を、白き魔女を狩る為にやって来た筈の『狩人』と名乗った少女は、しかし俺を逃がすという。
ありがたい話だけど、素直に受け取っていいのか悩む。
目を合わせていても、どこか空っぽな……ふわふわしていて掴めない雲みたいな印象が、この少女には重なってしまう。
そしてその中に潜む、冷たい氷のような刃も。
だから、その手を握った。
びくん、と身体ごと震わせたニアリィに、俺も驚いた。
なんでそんな過敏な反応を……さっきまで何度も手を触れていたのに。
「どう、したの?」
ニアリィの声は驚くほど弱々しい。
何かに怯えているような、寒さに震えているような。
両の手に指を絡め、指をにぎにぎする。
「えっと……信頼の証、ですけど」
さっき自分で言ってただろ、と言外に込める。
目が見開かれ、金の瞳が揺れた。
「……あは」
事情は知らないけど、ディアーノじいちゃんには世話になったし。
わざわざ刺客とやらを追い払ってくれたのだ、悪い子ではないだろう。
握り返された手に力はなく、まるで何かを諦めたようだった。
「……そっか。……うん、決めた」
何かしらの決断、同時に浮かんだ笑みは、ようやく自然なものに見えた。
年相応に、可愛らしい。
「『血の平野』まで、私も付いてくよ」
「それは、えぇと……構いませんけど」
意外な一言だった。
てっきり、それじゃあ気をつけてね、で話が終わると思っていたのに。
「手ぶらでは戻れないからね。何か釣れるかもしれないし」
「?」
追求してもはぐらかされるだけかな。
鈍色の集団のことも気にしていたみたいだし、恐らく『白き魔女』のこと意外にも色々と抱えているのだろう。
若しくは……見極めるためか。
「それに……城塞都市でも、『魔女狩り』の部隊を編成したって聞いたから」
「……へぇ」
魔女狩り、という不穏な言葉に背筋が寒くなる。
そういえば港湾都市リフォレの出入り口に張っていたレグルスの兵たちは、『断罪』の光が立ち昇った二日後に撤収していったと聞いたけど。
城塞都市……『魔女殺し』と呼ばれているというあの男は、今何をしているのだろうか。




