十九話 孫の手
ソラに肩車されたコリンとともにクリシュ邸に着くと、ダルセイの従者である魔術師の女性に出迎えられた。
ソラとコリンはいつの間にこんなに仲良くなったんですかね。
自室に戻っていくコリンはちょっと不満気な表情。
万が一があるといけないから、と言った従者の女の声は、少しだけ緊張しているよう。
そこまで警戒しなければならない誰かが来ている、ということか。
……まぁ、ソラがいるし大丈夫だろう。
ソラの手を握り、客室の扉をノックする……その前に、目を切り替えた。
なるほど、奥に見えるのがダルセイ・クリシュだろう、もう一人はこれまた濃密な魔力を宿している。
ソラがすんすんと鼻を鳴らし、首を傾げた。
視界の端、従者の女は俺に対し深々と頭を下げている。
目を戻し、さて。鬼が出るか蛇が出るか。
扉を押し開いた先、微妙に憔悴したようなダルセイの姿と、もう一人……少女が座っている。
赤い、ともすれば血で染めたようにも見える薄い外套を畳んで膝の上に置く、焦げた茶色の髪は癖もなく艶やかだ。
金の瞳がこちらを見やり、僅かに目を見開いた。
服装はなんというか、お固そうな軍服のようなそれで、短いスカートなのに肌の露出がほとんどない。
薄手のタイツ? 暖かそうでいいな、あれ。
「シエラ殿。よく来てくれました」
ダルセイが立ち上がり、さぁこちらへ、と座るように促す……こちらを不思議そうな目で見つめる、少女の対面に。
だけど足を踏み出す前に、フードを被ったままの俺とソラは固まった。
「ふ、くく、あは、ははっあははは……っ」
耐え切れず噴き出してしまった、そんな印象を受ける笑い声。
ダルセイはその少女の姿を見て、目を丸くして驚いている。
勿論俺とソラは状況どころか誰かも分かっていないので、頭の上に疑問符が浮かんでいる。
「あはは、はぁー……いや、参ったなぁ」
まなじりに涙を浮かべた少女は、それを取り出したハンカチで上品に拭ってから立ち上がった。
来て良かった、そう小さく呟いたその声が、やけに耳に残る。
「ごめんなさい、白き魔女殿。その……お爺ちゃんは元気にしてた?」
「???」
どういうこと? とソラを横目でちらりと見る。
ソラは首を傾げてから鼻を鳴らし、ああ、と呟いた。
「シエラちゃん、多分」
ソラは自分の首に巻いてあるチョーカーを指でくいっと持ち上げた。
ああ。
「……『地均す甲竜』に一撃、ぶちかましてましたよ」
「あは、変わってないなぁ」
この少女は、そうか。
ディアーノ・トルーガの孫娘。
ってことは……レイグリッドの、娘?
年は恐らくスティアラ・ニスティより少し下の少女は、まだ立ったままの俺の前まで歩み寄り、
「私はニアリィ・タージェス。……いえ、あなたにはニアリィ・トルーガと名乗ったほうがいいかな? パパとお爺ちゃんが、お世話になったみたいで」
と、手を差し出してきた。
ダルセイはまだ、信じられないようなものを見る目で、口を半開きにしている。
この少女が名を名乗ったこと、その事実に対して驚いているような。
よく分からないけどフードを取ってから、差し出された手を握った。
「シエラ・ルァク・トゥアノです。こちらこそ、お世話に」
背はソラよりも少しだけ高い、ニアリィと名乗った少女は微笑みを絶やさないが、目は……その金の瞳は、ずっと笑っていない。
ニアリィはパッと手を離すと、ダルセイの方をくるりと振り返った。
「ダルセイ殿、先ほどの話はなかったことに。それと、今のも聞かなかったことに」
「……えぇ、はい。それで良いのなら、こちらは構いませんが」
立ち上がり、神妙な顔つきで頷くダルセイの顔が、ようやく僅かに綻んだ。
何の話だろう、と首を傾げると、ニアリィは俺の手を取り、再び口を開いた。
「テラスをお借りしても?」
「えぇどうぞ。ご自由にお使いください」
ダルセイの言葉を受け、ありがとう、と答えたニアリィは、俺の目を見やり笑みを浮かべた。
「時間はあるかな? お話を聞かせて欲しいの」
よく分からないけど、断る理由もない。
小さく頷き、手を引かれるままテラスへ出た。
ダルセイ・クリシュが畏まり応対していたこのニアリィという少女は、何者なのだろう。
「どこから話そうかな」
ニアリィは一度『リフォレの大樹』を眩しそうに眺めてからこちらに向き直り……金の瞳が俺の目をじぃっと見つめる。
その両の目からは感情の色が読み取れない。
「私は、あなたを誘拐しに来たんだけどね」
手すりに腰掛けたソラの纏う気配が、僅かに重くなる。
微笑みながら物騒な言葉を紡ぐこの少女の目は、冗談を言っているようには見えない。
「魔術都市ソムリア『十席』の一、『大賢者』直属、『狩人』のニアリィ……あは、聞いたことないか」
「……えぇと」
ないです、すみません。
また知らない言葉がぽんぽん出てきたけど、なんというか穏やかな感じではなさそうですね。
「ごめんごめん。私がここに来た理由はさっき言った通りなんだけど、もう、無しになったからさ。
だからそっちの子も、あんまり睨まないでよ」
ダルセイに言っていた、先ほどの話、というやつだろうか。
いやその前に、なんでソムリアの魔術師からも狙われてるんだろう。
……何かしたっけ。
ずっと手を握ったままのニアリィが、空いているもう片方の手で、やはり空いている俺の手に触れた。
手の平を合わせるように、指が絡まる。
「ね?」
「……?」
ね、と言われても。
ゆっくりと持ち上げられた両手は互いに組み合っていて、このまま押し合いに発展は……しないだろうけど。
んん、どういうこと?
訝しむような俺の表情に、おや、という顔をしたニアリィは言葉を続けた。
「あれ、知らない? 魔術師同士の、信用の証」
そう言いながらニアリィは、にぎにぎと絡めた指を動かした。
……その指が少しだけ震えているのは、気のせいだろうか。
「すみません、初めて知りました」
「そっかぁ、北の方だけなのかな? 手の平を晒して合わせるのは、私はあなたを攻撃しませんよ、って意味なんだよ」
なるほど、そういうものなのか。
「……握手でいいのでは?」
「あは、その通り。だからこれは、もう一つ上の信頼の証だよ。今私が考えた」
そうですかなるほど、知ってるわけないだろ。
にへら、と笑うニアリィの焦げ茶色の髪が揺れ、年相応の柔らかさが垣間見えた。
けれどその笑みはどこか、不自然で。
「パパを陥れ、『竜』を殺し、あの『断罪』を使った魔女っていうから、身構えてきたんだけど」
「……?」
「あは。やっぱり自分の目で見ないと、分からないものだよね」
なんだかとんでもない評価を下されていた気がする。
ほんの少し汗ばむ両の手は離されず、視線はずっと俺の目を覗き込んでいる。
その奥底を、見通すように。




