契約 もしくは、約束
生みの親を吸収した光体は、それを養分としたかのように、みるみる内に膨れ上がっていく。
並行して、それは加速度的に強い引力をもち始め、周囲の物を次々と吸い込んでいった。
小規模の超高密度天体を思わせる光点は、間を置かず、凄まじい嵐を倉庫内へと巻き起こす。
不可視の手に見境なく捕えられた数々の装置は、いずれも捻じれ、あるいは縮み、もしくは歪に輪郭を崩して、圧倒的な光の渦の中へと溶け込んでいった。
荒れ狂う時空間転移の余波は、いち早く脱出を試みていたカイトも逃しはしなかった。
全身へと掛かる進行方向とは逆の力に、少しずつ彼は押され、後方へと下がっていく。
やがて、力負けしたカイトの義身が、僅かに宙に浮きかけた時。傍らを滑っていく古風な剣を見付けた彼は、咄嗟に掴んだそれを床へと突き立て、即席の固定具として流用した。
支えを手に入れた彼の義身は、どうにかその場へと踏み止まることが出来た。
それでも、カイトが拾った剣へと取り縋っている間も、確実に光と引力は強まってきていた。
更なる騒音と暴威に支配されていく周囲の光景に、カイトはこの苦境から脱する手段へと、急ぎ考えを巡らせる。
瞬間、彼は自身と同じくこの部屋に残されていた、もう一人の生存者のことを電撃的に思い出した。
彼は剣の柄へと胸を押し当て、慌てて後ろを振り返る。そこには、横方向の重力に為されるがまま、床の上をうつ伏せとなって引き摺られるメリッサの姿があった。
気を失った状態で流されていく彼女へと、カイトは通り過ぎ様に右腕を伸ばす。
差し出された彼の手は、相手の左の手首を掴み取る。辛うじてメリッサを繋ぎ止めた右腕は、しかし、カイトの意志に反して、彼女を引き寄せようとはしなかった。
ルチア製の彼の右腕は、D・ウォルトとの戦闘によって、激しい損傷を負っていた。
結果、動作にも不具合の生じていたそれは、カイト自身の出力低下も相まって、彼女の腕を握り続ける事しか叶わなくなっていた。
次第に、虚脱したメリッサを捉えた指も、力を失って肌の上を上滑りしていく。
思い通りに動かない腕と、すぐそこへと差し迫る危機に、カイトは苦悶の呻きを上げる。
その悲痛な叫びに応えるように、周囲の轟々とした風音や、耳障な破砕音を掻き分け、弱々しい声が彼の耳へと届いた。
「……ったく、何やってんのよ、あんた……。グダグダやってないで、さっさと、離しなさいよね…………」
聴覚ユニットが検出した女性の声に、カイトは驚きに打たれて顔を上げる。
そこでは、いつの間にか目を覚ましていたメリッサが、非難の眼差しをカイトの方へと向けていた。
「さっきから痛いし、冷たいのよ、これ……。いい加減にしないと、本気で、怒るわよ……」
彼女は糸目の中の双眸を小刻みに震わせ、自身の左手首を締め上げる、鉄の右手を睨む。
予想だにしないその言動に、カイトは唖然とし、相手が錯乱しているのではと疑った。
「お前、自分が言っている意味を分かってるのか!? あれに呑まれたら、どこに飛ばされるかも、どうなるかも分からない! 死ぬよりも、怖ろしい目に遭うかも、しれないんだぞ!!」
「そっちだって、分かってんの……? 私を助けようなんてしてたら、あんただって巻き添えを食らって、それを使って元の世界に帰ることが、出来なくなるんじゃないの……?」
そう言うとメリッサは、瞳を小さく横へと動かす。
そこには、床に刺さった剣へと回したカイトの左腕と、その手にある彼自身の右腕が映されていた。
確信を突いた思わぬ指摘へと絶句するカイトに、彼女は薄く乾いた笑みを頬へと刻む。
「私は、鋼骸種の親玉も恐れ戦く、大魔術師よ……。そんなの、黙ってたって、全部お見通しなんだから……。でも、ホント……こんな、いかにもな真似なんかして……あんた、自分が人間だって、アピールしたい訳……? 業とらしい……ホンット、気持ち悪い……」
絶え絶えとなった息を縫い、メリッサは嘲りの文句を止めどなくカイトへとぶつけていく。
固い面持ちのまま言葉を失う彼に、最後に彼女は気怠そうに溜息を零すと、嫌悪と敵意の混ざった鋭利な眼光を差し向けた。
「私だって、死ぬのは嫌よ……。だけど、人の皮を被った鋼骸種なんかと、こんなカビ臭い所で心中するのは、もっとごめんだわ……。だから、さっさと、この気味の悪い手を放しなさいよね……。じゃないと、この腕、吹き飛ばすわよ―」
今にも消え入りそうな小さな声には、しかし、強い意志と固い決意の響きがあった。
彼女の真意を知ったカイトは、震える息を殺し、静かに思考を巡らせる。
やがて、覚悟を決め、苦渋の決断を下した彼は、限界を迎えつつあった右腕の先で揺れるメリッサへと、沈痛な面持ちから迷いを断ち切った眼差しを向けた。
「分かった……お前の気持ちは、良く分かったよ…………済まない、メリッサ」
その謝罪の言葉を口にした直後、カイトはゆっくりと指先から力を抜いた。
支点を失い、宙へと投げ出された獲物を、強力で貪欲な引力は即座に捕える。
無慈悲な魔手へと絡め取られたそれは、そのまま凶暴な極光の輝きに呑まれ、包まれ、潰され、無惨に引き裂かれて、消えていった。
自身の片腕の最期を見守ったカイトは、開放された左手を右の手へと重ねる。
外れかけていたメリッサの腕を、しっかりと掴み直した彼は、そのまま彼女を一気に自分の方へと引き寄せた。
カイトは抱き寄せた相手の腰へと右腕を回し、再び飛ばされないように固定する。
支柱代わりの剣越しに、強く自分を抱き締める彼を、メリッサは愕然として見上げた。
「あ、んた……何、してんのよ!? 何で、あれを、捨てちゃってんのよ!?」
「何でって、そりゃあ、お前を捕まえるのに邪魔だったからに、決まってんだろ。お前、泣く子も黙る大魔術師のくせに、そんなことも分からねぇのかよ?」
「馬ッ……鹿じゃ、ないの!? あんた、自分の世界に、帰りたくないの!? こんな所で、野垂れ死にしたい訳!? ホンッットに、マジで、頭おかしいんじゃないの!?」
「確かに、元の世界に戻りたいし、まだ生きてもいたいさ。だけど、それ以上に、お前を守りたいって、そう思っちまったんだよなぁ……」
苦笑交じりに零される呟きに、メリッサは怒りの声を上げていた喉を詰め、絶句する。
至近距離から向けられる熱視線に、カイトは部屋の中央を睨みつつ、決まり悪そうな苦笑を浮かべた。
「俺は、この世界の事を教えてもらう代わりに、お前を守ると、そう約束した。だけど、俺はまだ君達の世界について、ほとんど何も知らない。だから、俺は契約に従って主を守る、それだけだ。悪いね。俺は、お前の考えている以上に、融通の利かない機械的な奴なんだ」
自嘲混じりの彼の言葉に、メリッサは険しい表情から口を開く。
しかし、返す言葉を見付けられなかった彼女は、震える声で悪態を囁きながら、吹き荒ぶ暴風に再び攫われないよう、カイトの胸へと強く身を寄せた。
彼女を剣の腹越しに抱擁しながら、カイトは密かに、苦り切った微笑に頬を引きつらせる。
気障っぽく格好の良い科白を吐いたものの、それを実行するための具体的な方法を、彼は全く思い付いてはいなかった。
凄まじい引力の嵐の前に、疲弊し切ったカイトは、身動きさえも取れはしない。
一方、その発生源である光の球は、徐々に規模を拡大し、輝きと力を増大させていた。
このままでは、遅かれ早かれ二人とも、同じ末路を辿ることになってしまう。
打つ手の無い絶望的な状況に、カイトは口惜しさから鈍い歯軋りの音を漏らす。その時、暴力的な騒音に嬲られていた彼の聴覚ユニットへと、彼の名前の響きを帯びた音が届いた。
風音や器物の衝突音とは明らかに異なるそれに、カイトは驚きに打たれて顔を上げる。
直後、彼の視界には部屋の壁際をこちらへと向け、猛烈な勢いで突き進んでくる黒燕号と、その背に跨ったヒルデブレヒトの姿が映った。
光体を可能な限り迂回して駆ける黒燕号は、猛烈な横方向への力に体勢を崩しながらも、確実にカイト達の元へと距離を詰めていく。
そして、その鞍の上で電磁結界を展開し、飛び交う瓦礫や装置の破片を防いでいたヒルデブレヒトは、前方に見えたカイトへと、もう片方の腕を差し伸べて叫んだ。
「掴まれっ、カイトォッ!!」
絶体絶命の場面へと駆け付けた、黒い一角獣に乗った白馬の騎士。
そんな異様で異質な救世主に、カイトはメリッサを更に強く抱き留め、右腕を伸ばす。
有らん限りの力で掲げられた、既に全壊寸前の鉄の右手を、ヒルデブレヒトは擦れ違い様に掴み取る。刹那、前触れもなく急激に膨れ上がった光体の、全てを白に染め上げる閃光の爆発に、彼らは鮮烈な輝きの銀世界へと包み込まれていった。




