彼の窮地と、彼女の逆鱗
「よう、まだギリギリ生きてるみたいだな、アビゲイル。しっかし、こうも簡単にくたばっちまうとは、らしくねぇじゃねぇか。まあ、魔女の魂が早く手に入るのは、俺にとっては喜ばしくはあるんだがな」
軽い物言いの割には、どこか沈んだ調子の彼に微苦笑を漏らしつつ、アビゲイルは時間切れかと問い掛ける。
「ああ、いや……だが、そいつと話があるなら、もう少し待っても良いぞ。俺も、人間のクセになかなか手強い奴との勝負を放り出してきたからな。向こうに行くのは、そいつと決着を付けてきてからでも遅くはないが―」
悪魔らしからぬ配慮をみせる彼に、あっさりとアビゲイルはその申し出を断る。
メリッサへと伝えることは、既に無い。
死ぬまでの僅かな時間を、照れ臭く気まずい空気の中で過ごすくらいであれば、早々にこの場から退散した方が、ずっと気は楽だった。
「そうかよ……。じゃあ、さっさと逝くとするか。なぁに、そんなに長くはない旅路だ。焦らず、ゆっくりと行こうぜ」
そう告げたギスティアの体は、黒い霞となって霧散し、座り込むアビゲイルを包み込む。
(待って…………待って……! まだ、あんたに言ってないことも…………してあげてないことも…………たくさん……たくさんあるのに…………!)
正に現世を離れようとする相手を、メリッサは懸命に呼び止める。
そんな彼女の静かな横顔を、次第に垂れこめる黒の帳越しに眺めながら、アビゲイルは最後の吐息を鼻から漏らして嘲笑った。
群を抜いた力を持つ魔女は、決して平穏無事な生涯を全う出来はしない。
それを知った上で魔女になると宣言した、その舌の根も乾かない内に甘えを見せるなど、偉大な大魔術師どころか、その師匠にさえも追い付けるはずはない。
(なるわ……なって、みせるから……! 私は、必ず……あんたみたいな偉大な魔女に…………なってみせるから…………!)
それなら、私はその無謀なまでの夢物語の行く末を、地獄の底から見守っていよう。
改めて決意を叫ぶメリッサに、胸中でそう別れの言葉を呟き、アビゲイルは眠るように瞼を降ろす。
絶息した彼女の体からは、黒い煙へと誘われるように、魂が音も無く抜ける。
そして、文字通りの抜け殻となった肉体は、瞬時に広がった黒い焔に焼かれ、乾いた灰へと還って崩れ落ちた。
気配と存在を完全に消した相手に、覚醒したメリッサは、ゆっくりと両目を開く。
彼女は残り火の燻る、かつての師匠の残骸を目に留める。続けて、その滲んだ視界には、水槽の外で大笑しながら暴れ回る『禿の鋼骸種』と、それが振り回す腕に殴打され、突き飛ばされ、床や壁へと叩き付けられるカイトの姿が映った。
自分を好き勝手に弄び、アビゲイルを殺した、憎むべき異界の男。
そんな正真正銘の怪物が、自分の相棒までも手に掛けようとしている。
鉛の詰まった重たい頭で、その事実を理解したメリッサは、胸へと溜まった水が熱く煮え滾り始めるのを感じた。
これ以上、相手の思い通りにはさせない。もう、私の大切な人を、死なせはしない。
怒りの込められた強い願いに応じて、体の芯へと湧き起こっていた熱が、瞬く間にメリッサの全身へと行き渡る。体中を駆け巡る灼熱の激流が、手足の隅々までを焼き尽くした瞬間、彼女の目は、白の炎によって閉ざされた。
「ほらほらぁ、どうしたカイトぉ!? 私を倒すのではないのか、世界を救うのではないのか!? もっと頑張らないと、愛しの彼女は助けるどころではなくなるぞぉ!!」
両の腕を間断なく振り回しながら、D・ウォルトは殴打を加える的へと叫び掛ける。
余裕と嘲りに満ちた彼の挑発を、カイトは同じ相手から浴びせられる拳の雨と合わせて、黙して耐え凌ぐしかできなかった。
既に汚染度が臨界を越えた彼の義身は、著しい機能低下に見舞われ始めていた、
平衡感覚は狂い、両手両足の反応速度も、極端に低下している。
そうした状況下で、回避どころか移動もままならないカイトは、ただの案山子となって無慈悲なまでの暴力を振るわれ続けていた。
やがて、激しい連撃と、次第に増していく自重に、構えていた彼の両腕は下がっていく。
徐々に体勢を崩す相手に、D・ウォルトは両の拳を同時に振りかぶり、それらを並行して叩き付ける。強引に防御を破られ、敵の攻撃をまともに受けたカイトは、その勢いのままに背中側へと弾き飛ばされた。
くの字に折り曲げられ、直線的な軌道を描いて滑空した彼の義身は、部屋の中央付近へと滑るように墜落する。
激しく床と擦れた左半身に熱を感じつつ、カイトは追撃に備えて立ち上がろうとする。
しかし、機能不全へと陥っていた彼の手足は、追い打ちでの衝撃の影響から、不恰好に蠢くだけで命令に応えようとはしなかった。
自由にならない肉体へと悪態を吐き、カイトは渾身の力を込めて立膝を突く。
ゆっくりと、少しずつ持ち上がっていった彼の震える背は、直後に真上から降り立った巨大な鉄の足に、あえなく元の位置へと戻されてしまった。
苦悶の声を上げるカイトに、D・ウォルトは愉しそうにせせら笑いながら、その腰上へと乗せた右足へと更に体重を乗せる。
「ああ、もうお終いか? もう少し、この機体の性能も試したくはあったが、そろそろ潮時か。酩酊し、骨抜きになった貴様など、演習用の仮想敵にも及ばぬ。もう、用済みだ」
背中を踏みにじりながら、興醒めした口調でそう宣告する相手から、カイトはどうにか逃れようと全身全霊で足掻く。
と、決死の抵抗を続けていた彼は、鋭い金属音に合わせ、左頬へと熱い空気がぶつかるのを感じ取る。視線を向けたそこには、刃の部分が赤々と焼けた、大振りの高振動溶断刀の刀身が、彼の耳へと添うようにして差し伸べられていた。
「さぁて、問題だカイト。私は、貴様の左腕が欲しいと言った。であるが、ついでに貴重なサイボーグの胴体部も、手に入れておこうと思う。そこで、私は貴様の左腕と、余計な附属物である頭部の、どちらを先に切断するだろうか?」
嗜虐的な問いを投げつつ、D・ウォルトは股下の相手へと突き付けていた近接武器を、じりじりと引き上げる。
視覚の外へと消えていく断頭台の刃に、カイトは擦れた絶叫を漏らし、無慈悲な処刑から逃れようと暴れ狂う。だが、最後の力を振り絞っての反抗も、余力と地力で勝る捕獲者の前には、何の意味も為さなかった。
最期まで反撃を諦めようとしない獲物に、D・ウォルトはやれやれと溜息を零す。
彼は掲げた高振動溶断刀の切っ先を、靴底の下で悶えるカイトへと定める。
そして、返答を行わない相手へと、問いの答えを行動で示そうとした刹那。倉庫内の緑黄色をした薄明かりを、突然に部屋へと満ちた、圧倒的な白い陽光が吹き散らした。




