追う鉄鳥と、逃げる魔獣
覚悟と決意を改めたヒルデブレヒトは、両手の指を二、三度曲げ伸ばし、体の状態がほぼ回復したのを確かめる。
今ならば、効果の程は期待できないものの、鋼骸種へと死角から攻撃を仕掛けられる。
僅かでも有利な状況で戦いを再開すべく、まだ少し覚束ない足腰で腰を上げた彼は、ふと、どこからか自分の名前を呼ぶか細い声を耳に留める。見ると、開けっ放しとしていた出入り口の扉の隙間から、身を屈めて部屋の中を見る、メリッサの引きつった表情の顔が覗いていた。
「ああ、もう、やっと気付いた! ずっと呼んでたんだから、さっさとこっち見なさいっての!」
「君は……!? どうして、こんな所にいるんだ!? ここは危ないんだぞ!!」
「分かってるわよ! 私だって、あいつに無理強いされなきゃ、こんなとこ好き好んで来ないっての! ホンットあいつ、自分の主人をこんな地獄にお遣いさせるとか、下手な悪魔なんかより達が悪いっての―!?」
ヒルデブレヒトの忠告への苛立ちも顕わに、メリッサはさも憎々し気に、自分の相方を口汚く罵る。
彼とのやり取りを思い起こしてか、怒りの炎を燃やした目へと涙を溜めながら、メリッサは歯軋りをしながら地団太を踏む。感情を静かに爆発させる彼女へと、ヒルデブレヒトは広場の動向を気に掛けつつ、カイトから頼まれたという用件について口早に尋ねた。
「あいつ、あんたにあの鋼骸種を、港の灯台まで引き連れてきて欲しいそうよ。言っとくけど、理由は私も知らないから! こっちが訊く前に、あいつさっさとどこかに行っちゃったし!」
「ということは、彼は無事だったのかい? 動ける程には、大丈夫だったんだね?」
「心配したのが損だったくらいに、すぐに元気になってたわよ、まったく! とにかく、もう話も伝えたし、私は逃げるから! あんな鋼骸種がいる所でウロウロなんかしてたら、命が幾つあっても足りないっての……!」
そうして、有言実行とばかりに早々と退散しようとしたメリッサを、ヒルデブレヒトは慌てて抑えた声で呼び止めた。
「済まない、待ってくれ! 僕からもひとつ、頼みたいことがある!」
「何っに、よっ、もう、さっさと逃げろって言っときながら……港まであれを引き連れてくのが無理だって言われても、私は知らないわよ!?」
「別に、それは構わないよ。ただ、僕はこの街に来て日が浅くて、地理にあまり詳しくない。だから、そこへの行き方を、ここで教えてはくれないか?」
「はあっ!? もう、どうして、そんな事も先に調べとかないのよ、あんたは……ッ!!」
「まさか、そんな事を頼まれるとは思ってもなかったからね。大まかの方角と、簡単な道を教えてくれれば、それで良いから」
「ああっ、ったくもう……あそこには、この家の前の道を右に行ってから、突き当たりを左に折れて三つ目の角を―」
ヒルデブレヒトの頼みに愚痴を漏らしながらも、メリッサは律儀に港までの行程を口にする。
と、早口で捲し立てていた彼女だったが、説明の途中で唐突に話を切ってしまう。
口を半開きとしていた彼女は、同じように丸く見開いていた両目で、ヒルデブレヒトの斜め上を凝視している。
不吉な悪寒が背中に走ったヒルデブレヒトは、彼女の凍り付いた眼差しの先を顧みる。
そこには、小窓越しに部屋の中を窺う、鋼骸種の巨大な黒目が浮かんでいた。
遂に獲物を見つけ出した鋼骸種は、非生物的な金属質の雄叫びを轟かせる。
部屋を激震させる程の凄まじい絶叫に、メリッサも負けじと甲高い悲鳴を迸らせる。
半狂乱となって声を限りに叫ぶ彼女を、壁を蹴って跳び出したヒルデブレヒトは、擦れ違い様に腰へと腕を回して抱え上げる。直後、彼の背後では鋼骸種が頭を家へと突っ込み、壁へと大穴を開け、部屋を家財道具一式ごと叩き潰した。
強烈な頭突きによる破片を浴びながら、ヒルデブレヒトはメリッサを持ち上げていたのとは逆の手で、鋭く指笛を鳴らす。そのまま階段の手摺りを滑り下りた彼は、行く手にあった玄関を蹴り開けて外へ跳び出した。
路地へと降り立ったヒルデブレヒトは、メリッサを小脇に抱えたまま、道の先へと駆ける。荷物のように運ばれていた彼女は、激しい上下運動に頭を揺られながら、傍らにある彼の背中へと抗議の叫びをぶつけた。
「ちょっ、放して、降ろしなさいって! 私も巻き添えになるじゃないのッ!」
「君を残していったら、そっちの方が更に危険だ。こうなったからには、一緒に行動した方が安全なはずだ。心配はしなくていい、君は僕が絶対に守ってみせるから」
「いやいや安心できないっての、こんなの! ていうか、あんたこのまま港まで走っていくなんて、そんなこと無理に決まってってわああああああ来たきたきたキタキタキターーーっ!!」
メリッサの絶叫に後ろを振り返ったヒルデブレヒトは、広場を囲う家々の塀を越え、路地の上へと移動する鋼骸種の姿を認めた。
頭突きをした家の屋根辺りに浮かんでいたそれは、離れた場所を逃げていた二人を発見し、羽根の無い翼を傾けて姿勢を変える。徐々に加速を付け、ものの数秒で距離を詰めてくる脅威に、メリッサは無為に手足をばたつかせて暴れる。
「来たって、やばいって、マズイって、早く早くあんた、どうにかしなさいよおおおぉぉ!!」
「そうだな……やっと、来てくれた!」
悲痛な響きの叫びを上げるメリッサに対し、ヒルデブレヒトは微かな安堵を滲ませた笑みを浮かべる。彼の場違いに過ぎる反応に怒号を返そうとした彼女は、鋼骸種を後方から追い越し、猛スピードで路地を駆けてくる黒い影に、そこで初めて気が付いた。
空を飛ぶ鋼骸種を凌駕する俊足で、高らかな蹄鉄の音と共にヒルデブレヒトの横へと付いたのは、彼の愛馬である黒燕号だった。
突如として並走を始める、見栄える程の黒曜色の毛並みをした、立派な象牙質の一本角を生やした駿馬に、メリッサは思わず恐怖を忘れて息を呑む。
「えっ、これって、もしかして一角獣……って、うひゃわあっ!?」
戸惑うメリッサには一切構わず、ヒルデブレヒトは彼女を小さく振り被り、勢いを付けて黒燕号の鞍の上へと乗せる。続けて、タイミングを合わせて鐙に足を掛け、馬上のメリッサの後ろへと跳び乗った彼は、鬣に乗せられていた手綱を流れるように取った。
瞬く間に騎乗を果たしたヒルデブレヒトは、軽く目を回していた同乗者を、背後から抱きすくめる格好で支える。どうにか平静を取り戻したメリッサは、息の掛かる位置にあった彼の横顔を、動揺の滲んだ瞳できっと睨み付けた。
「あん、た、ちょっと、乱暴過ぎ! いきなり過ぎて、心臓、止まるかと思ったわよ!」
「済まない、時間がなかったからね。悪いけど、このまま道案内を頼むよ」
「もう、どうして私がこんな、最悪な目に……て、わっわっ、そこを左! 左に曲がってッ!」
メリッサの指示に従って道を折れたヒルデブレヒトは、その後も彼女の案内に従って、ブルトロットの街中を全速で早駆けしていった。




