20、覚醒
「好きなように、と申されましてもなぁ……」
源二郎はため息交じりにそう言った。そして魔法使いのもっとも弱い武器である(それはもちろん、全ての武器の中でも最弱であるが)杖を右手で握りしめ、左の手のひらに二度三度軽く打ち付ける。茜もまた明らかに困惑しており、手にした杖を構えて戦闘の体勢は取っているものの、次の一手を考えあぐねているようであった。
やがて、茜の真正面に立った村長夫人は血糊のついた短刀を取り出し、言った。
「あなた、おいくつなのかしら。まだ結婚してないわよね? だめなのよ、生娘でないと」
「えっ……?」
「いままでの生け贄よりは若くないけれど、いいわ。あなたで我慢してあげる。で? どうなの?」
「あの……、その……」
質問の意味はわかっていると思うのだが、仲間の前では答えづらいのか、はたまた、混乱しているためか、茜は青い顔をして動揺している。
「早く答えなさいっ!」「きゃあっ!」
急に張り上げられた大声に、茜は肩を震わせた。
「……仕方ないわね。答えられないのなら、殺すしかないわ。効果がなかったら、予定通りマリアを殺せば良いのだし」
そう言って、短刀を振り上げる。
「危ないっ!」
冬雪は切っ先の折れた剣を放り投げて村長夫人に飛び掛かった。後ろから羽交い絞めにするが、女性とは思えないほどの力で何度も振り落とされそうになる。
「岳さん! 茜を護れ!」「お、おう!」
岳雪が茜の前に仁王立ちしたところで、ほんの少し安堵する。しかし、この状態で良いわけがない。いまは手出ししてこないものの、いつ村長が夫人に加勢するかわからないし、その場合、こちらに勝ち目はない。
村長夫人は冬雪を背負った状態でも茜を仕留めようと、何度も短刀を振り下ろすが、さすがに自由には動かず、さらに岳雪の妨害にもあってうまくいかない。一見小柄な女性なのに、一体どこにそんな力があるというのだろう。
「岳さん! 絶対に茜を護れ!」
「そっ、んなのわかってらぁ! でもよぉっ、どうすんだよ、このっ、状況っ!」
それはたしかにそうだ。冬雪は夫人を抑え込むのに必死で、岳雪もまた防戦一方である。唯一手が空いている源二郎は己の無力さを熟知してか、ただこちらを見守るのみだ。
「源じい……! 何かないのかよ……! あんた、俺のじいちゃんだろ……? いつだって俺のこと助けてくれたじゃねぇかよ」
「冬雪殿……?」
「俺が勝手に裏庭に入って迷子になった時も……助けに来てくれたし、俺が足骨折した時だって……おぶって病院まで連れてってくれたじゃねぇか。あん時の俺、中学生だぜ……?」
「冬雪殿、何を……?」
「なぁ……、じいちゃんは俺にはいつだって何でも出来るスーパーマンなんだよ……。ちょっとやそっとのことで諦めたりなんかしねぇんだ。ただ俺の指示を待ってぼーっとしてるようなじいちゃんじゃねぇんだ!」
「お、おい、冬雪? どうしちまったんだよ、お前!」
短刀を避け続けるのはキリがないと判断した岳雪は夫人の両手をつかみ、力比べの体勢を取っている。
「岳さんだってそうだ。俺の父さんだろ? 自分の妻くらいしっかり護れよ! 世界中を旅する冒険家なんだろ? これより厳しい状況だってあっただろ!」
「おい、冬雪……! いかれちまったのかよ、お前……!」
「わしの孫を愚弄することは息子であっても容赦せんぞ」
村長夫人の肩越しにまっすぐ冬雪を見据え、源二郎はそう言った。先ほどまでの不安そうな表情は消え失せ、眉間に深く刻まれたしわの下には鋭い眼光がある。
「冬雪、待たせたなぁ」
源二郎はニヤリと笑うと、ボロボロの杖を高く振り上げ、声を張り上げた。
「岳雪! 手を離せ! 『上級氷魔法 万年氷河』!」
杖の先からほとばしる猛烈な冷気と氷の粒はあっという間に夫人を取り囲み、1本の巨大な氷柱になった。彼女は一言も発することなく氷のオブジェとなり、やがて命の灯も消えたと見えて、その氷柱もろとも一瞬にしてさらさらとした砂に変わる。
「すっ……げぇ……。何だよ、源じい……」
すんでのところで手を離し、凍傷を免れた岳雪は口をあんぐりと開けて呆然としている。
「馬鹿者! 戦闘中に腑抜けとる場合か! まだもう1匹残ってるじゃろう!」
年不相応と言いたいほど、張りのある声だった。
そうだ、俺はこの声で何度も叱られたんだ。懐かしさに涙が込み上げてくる。でもいまはそんな感情に浸りきっている場合ではない。
伴侶を失った村長は怒りでその身を震わせている。お互いに打算的な夫婦生活だったようだが、やはりそれなりに愛情はあったらしい。




