壁の裏側 ★篠咲まこと視点
部活紹介本番を終えた帰り道。
桜の見頃も終わりを迎えて、だいぶ緑が目立ってきた。
暖かな陽気。静かな住宅街。のどかな鳥の声。
あたしは今、胸がいっぱいだった。
全校生徒から贈られた拍手の音が未だに耳から離れない。
顔、ニヤけてるなぁ~絶対。
「ありがとね」
もう何度目だろう。隣を歩く一ノ瀬くんにお礼を言う。
何度も何度も言ったけど、いくら言っても言い足りない。だから言う。
「ありがとう」
「俺がイケメンの天才で良かったな」
本番直後だっていうのに興奮した様子もなく、普段通りな彼の様子に思わず笑いがこぼれてしまう。
「そうだね」
実際彼はカッコイイと思う。お芝居も上手いし、要領もよくて、……おまけに優しい。
圭ちゃんにはよく意地悪を言ったりしてるけど仲の良さの裏返しだし、それに今だって、さりげなく車道側を歩いてくれている。
だぼっと緩く着こなした制服はモデルのように様になっている。うん。俳優さんっていうよりモデルさんって感じだ。背も高いしね。
そんな彼がなんであたしなんかと付き合おうと思ったのかは未だに分からない。
あたしも一生懸命“イイカノジョ”であろうと努力しているつもりなんだけど、実際こんな感じでいいのかよく分かっていない。
“カレシカノジョ”というのは分からないことだらけなのだ。
半年前。
付き合い始めたばかりの頃は、手を繋ぐべきなのか、なにか特別な呼び方をすべきなのか、週末にはデートに行くべきなのか、おうちにご挨拶に行くべきなのか、他にもいろいろと、毎日がパニックでとにかく大変だった。
でも、女の子に慣れているであろう一ノ瀬くん――告白されただの元カノがどうのだの噂が絶えない――は、ちっともあたしとの距離を詰めようとしてこないので拍子抜けしてしまった。
奥手、というわけではないと思う。
彼女いない歴=年齢の圭ちゃんのことを散々からかってるし、きっと今までにも色んな女の子と……。
うわぁぁ何野暮なこと考えてるんだろうね、あたし。
あたしにとって身近な男の子は昔から圭ちゃんだけだったから、他の男の子の考えることはよく分からない。
圭ちゃんといえば――
「圭ちゃん、大号泣だったね」
「あれはねーわ。シャツ染みになるっつーの」
「あはは、それは部員全員にごめんねだね。圭ちゃん、演劇のことになると周りが見えなくなっちゃうから」
「あいつの制服もビショビショになってたな」
「うん、タオル貸してあげようと思ってもすぐ袖で拭っちゃうから、もう後半なんて拭いてるはずなのに濡れていくっていうよく分かんない状態になってたよね。かろうじてティッシュは使ってもらえたけど」
「俺らはあいつのタオルかよっていうんだよな」
圭ちゃんにお疲れさまを言おうとしたら、いきなり手を握られた。両手でぎゅううっとすごい力で挟まれて、「ありがとうありがとう」って感極まった様子だった。涙が止まらないからってメガネを外してたのが新鮮だったなぁ。圭ちゃん、小学生の時からずっとメガネだったから。
「まこちゃんが劇部を愛してくれてることは、よぉぉく伝わってるから! まこちゃんのお陰で俺は作演出に集中できてるんだよ!」
そう言って抱きしめられた。
小さい頃からよく知ってるとはいえ、大きくなってからはなかなかハグなんてしなかったから驚いちゃったけど、圭ちゃんに下心がないことは分かってるから嫌ではなかった。むしろ懐かしいような落ち着く感じがした。
他の女の子たちも、貰い泣きして抱き返してたり、困ったような顔をしつつも背中をさすって落ち着かせようとしたりしていて、みんな受け入れていた。
「いつもは女子の手すら握れないクセにな。今夜あたり我に返って転げ回るに違いないな」
「ふふ、演劇スイッチが入るとどうしてもね」
圭ちゃんはみんなから愛されている。
男子も女子も分け隔てなく接してくれることがあるけど、何より演劇バカっぷりが突き抜けているのが一番の理由だろう。あたしもそんな圭ちゃんが大好きだ。そんな圭ちゃんが作る戯曲が大好きなのだ。そんな圭ちゃんだから支えたいって思えるのだ。
ふふ、今日だって上演後のあたしのアナウンスなんて何も聞こえてなかったんだろうな。少しだけ「ちぇっ」と思うけど、それよりも彼らしいなっていう微笑ましさの方が勝っている。
「実田ママに突撃していった時はどうしようかと思ったよ」
「あー、ゲネの時な」
「うん。あの時こそ完全に自分の世界に入ってたよね」
「やっぱゲネやろう!」
テクリハが一段落ついた頃。
圭ちゃんは突然立ち上がった。
「え? ちょ、圭ちゃん!?」
あたしの声なんて届いていないのだろう。
圭ちゃんは一直線に実田ママの元へと駆けていった。
もう吹奏楽部のリハを終えたら部活紹介全体リハの時間は終わりだ。その後にゲネをやると言ってもお許しが出るはずがない。そもそも5分枠なのに上演するなんて方がイレギュラーなのだ。
あたしも慌てて圭ちゃんの後を追う。
「通しがやりたいので時間をください!」
吹部のチューニングの音に紛れてド直球な嘆願が聞こえた。聞こえた周りの生徒たちがざわつく。
ま、まずいよ圭ちゃん!
交渉するにしても他の部活に角が立たないようにするには目立っちゃダメ!!
今の圭ちゃんは完全に演劇スイッチが入って盲目になっている。あれでは説得できるものもできなくなってしまう。
交渉事は部長のあたしの仕事だから! 圭ちゃんが望むのなら、あたしはもう一度立ち上がるから!
「ちょっと待って、待ちなさい!」
実田ママの静止の声が、演奏の合間に響いた。
放送委員や他の部活の面々が一斉にこちらを向く。
うわぁぁーこれで完全に気付かれたよー!
「なんだなんだ」
「実田ママと男子が揉めてる?」
「あれ確か演劇部だよ」
速攻バレてるぅぅ―――っ!!!
着いたもののどうしたものかと悩んでいる間にも2人の話は進んでいく。いや、進んでいるというか停滞しているというか……。
あ、そんな軽はずみに家庭科部のこと持ち出しちゃ――
「贔屓です! 不公平です!」
「まぁ!?」
圭ちゃぁぁぁ――――んッッ!!!
「時間増やせって文句つけてるっぽい」
「マジかよ自分勝手じゃね?」
「つーか吹部の演奏聴こえないんだけど」
「空気読めよなんなんだよアイツ」
ま、まずい、まずいよ圭ちゃん。
作らなくていい敵が着実に増えていってるよ。
無理矢理にでも2人の間に割り込めば良かったと後悔する。
凍りついたアウェーの空気の中、そっと圭ちゃんの肩を叩く。
「け、圭ちゃん、落ち着いて? みんな見てるから――」
「何故俺たちの部はやる気がないと判断されるのですか!」
あたしは止めるのを躊躇した。
あたし達は本気だ。去年までの演劇部とは違う。そこを理解して欲しいという思いはあたしも同じであり、そして部員全員の総意だった。
実田ママの方を伺う。
「私、毎年の発表を観ているけどね? 華やかな衣装を着ているだけで満足しているような……言葉は悪いけど、おままごとの延長のような印象があるの」
胸がズキンと痛んだ。
違う。違うんです、先生。それは圭ちゃんの作った舞台じゃない。先輩たちに土足で踏み荒らされた結果の……!
「それは去年までの劇部だ!」
みんなの想いをのせて、圭ちゃんが吠えた。
「今年の劇部は本気なんだ! 完成した俺たちの舞台を観たら分かりますッ!!」
瞳に灯がともっている。
薄暗い講堂を強く照らしているように見えた。
実田ママの顔が、圭ちゃんの灯に揺らいでいる。
吹部の演奏がもう終わる。
「5分だけ。時間をください」
返事も待たずに圭ちゃんは駆け出そうとした。
やはりというかなんというか、真後ろにいたあたしの存在を認識していなかったようでぶつかってしまった。
「わ、ごめんまこちゃん! 気付かなかった!」
咄嗟に体を支えられる。
圭ちゃんに包み込まれてる感覚。昂っているせいかとても熱い。
きっと無意識なのだと思うけど、優しく体勢を戻してくれた。
「この後すぐゲネやるから! みんなに声かけて!!」
「あ、うん」
ぼーっとして返事をしてしまったけど、違う違う!
「待って圭ちゃん! まだ正式な許可は下りてないよ!」
……遅かった。
もう圭ちゃんは舞台へ向かって駆け出していた。
ああなった圭ちゃんはもう誰にも止められない。
実田ママを見る。
すぐに目が合う。実田ママは呆れた様子で肩をすくめた。
「も、申し訳ありません! 物を頼む態度じゃありませんでした。部長として私からお詫びを――」
「良い部活ね」
「――え?」
てっきりチクチク言われると思い身構えていたあたしは拍子抜けしてしまった。
圭ちゃんの去った方を見て目を細めている。
「私ね。学生時代はお勉強一筋で、帰宅部だったのよ。部活動とお勉強を器用に両立させられれば良かったんだけど、それが出来なくてね」
羨ましかった、と呟く。
「だから教師になって、今度こそ部活で青春できたらなって思ったの。ふふ。不純な動機だって思ったでしょ」
「い、いえ!」
慌てて首を横に振る。
「彼も、あなたも。演劇部が大好きなのね」
「はい」
心の底から肯定した。
あたしの瞳にも灯はともっているだろうか。
見定めるように実田ママが見つめてくる。
「……良いでしょう。今から本番の時間を拡大することは出来ませんが、ステージ練習時間を追加することを許可します」
心がフワッと浮き上がる感覚がした。
「ありがとうございます!!」
それからすぐに部員たちに事情を説明し、ゲネプロに漕ぎつけたのだった。
「あの行動力というか、火事場の馬鹿力というか、……逆境に立たされると強いよね。圭ちゃん」
あの時はあたしが交渉する必要なかったもん。実田ママの心を動かしたのは圭ちゃんの熱意だ。
「脚本だって、散々苦労して書き上げたはずなのに、朝登校した瞬間に没にさせられてさ」
10分用でいいよって言った手前、どんな顔して5分になっちゃったことを伝えたらいいのか分からなかった。
「なのに、怒るどころかあたしのこと元気づけようとしてくれて……。あたし、謝らなきゃならなかったのに圭ちゃんの優しさが嬉しくなっちゃった。これじゃダメだ、優しさに甘えないようにしなきゃって部活の時間まで一人で過ごすようにしてね。あ、一ノ瀬くんあの日掃除当番で部活に来るの遅れたんだよね」
「あー。あの日は視聴覚室の掃除機が壊れてな」
「そうだったの!?」
「ホント大変だったんだよ。あのタイミングで掃除機壊すとかマジありえねーよ。責任者出て来いってんだよ。ま、壊したの俺なんだけど」
「えっ」
「で?」
「……あぁ、うん! でね、部活の時に脚本どうしようって話になったら――」
「書いたよ」
「――って、すっと手書きのルーズリーフ出してきてさ。ホントにビックリしちゃった! ふふ、あれこそ火事場の馬鹿力だよね」
「日頃からその速さが出てたらなー」
「そうはいかないものなんじゃない?」
10分用の脚本と比較させてもらったけど、登場人物を減らしていたり、主役を透明人間から親友に変更していたり、英断とも言える改変が多く見られた。
せっかく書いたんだし、機会があれば10分用の方も上演してみたいなぁ。あたしはどっちのバージョンも大好きだから観てみたい。
「おっと」
「きゃっ」
すぐ横を自転車が勢い良く通過した。
一ノ瀬くんが肩を抱き寄せてくれなかったら危なかったと思う。
大きな手。髪の毛にかかる吐息。
速くなる鼓動を必死で押さえつける。落ち着け。落ち着け。
「大丈夫?」
「う、うん」
あたしの無事を確認すると、すぐに手を放す。
はぁー……ドキドキした。
圭ちゃんにハグされてもこうはならなかった。
やっぱり圭ちゃん以外の男の子が相手だと緊張するなぁ。
別れ道に着いた。
部活の話をしてたらすぐだったなぁ。
一ノ瀬くんって聞き上手だからついつい話しすぎてしまう。
「それじゃあ、また明日ねーっ」
「おーうまたな」
一ノ瀬くん、やっぱり優しいな。
こうやって何事もなく楽しくお話して過ごすのも恋人の形のひとつ、なのかもしれない。
◆◆◆
一ノ瀬クルスは、軽快な足取りで去って行く彼女の後ろ姿をじっと見つめていた。
そよぐ風が、彼の緩くウェーブした髪を撫でていく。
彼女を見つめたまま独りごちる。
「アイツの話ばっかりなんだもんな」
その呟きは、誰にも届くことなく風に溶けて消えた。




