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性別の壁(後編)

 全体リハ当日。


 部活会顧問である実田ママの指示で、放送委員が進行していく。

 本番の順番通りに各部がステージリハや打ち合わせをし、終えたら演目にかかる最終的な分数を申告する。

 5分や10分というのは最大分数であって、必ずしもその長さを消化しなければならないわけではない。

 極端な話、

「演劇部です! 入部お待ちしてま~す!」

 と3秒で終えても良いのだ。そんなことはやらないが。


 俺たちは、ステージと舞台袖の寸法を測り、今日まで場所は違えど実寸で稽古を重ねてきた。

 音響照明のタイミングもバッチリだ。

 今回の脚本ホンには暗転も大道具も無いため、暗転チェックは不要。

 机と椅子は、前の部活が使うので1セット残しておいてもらうことで搬入ナシになった。


 今日は音響照明のテクリハ(テクニカル・リハーサル)、役者の場当たり、搬出チェックに10分全てを費やす。


 一ノ瀬の芝居は完璧に仕上がっていた。

 あいつは鋼のメンタルを持っているので、俺は始めから緊張やプレッシャーの心配はしていない。


「よーし、じゃあトオルと一緒に出てくる登場シーンから行こう! センターは最前ツラにテープ貼ってあるからそれを見ながら立ち位置チェック! とりあえず俺が止めるまで続けてください! 音照おんしょうさん、オッケーですかー!?」

「オッケーだヨー!」

「アキラさん、スタンバイオッケーですかー!?」

「はいよー」

「では、色んな位置からチェックしたいから、みんな散らばってー!」

 各セクションの準備が整ったところで、残ったメンバーが客席に散り散りになる。

 最前列と最後列、右端と真ん中と左端。まんべんなく配置する。席によって舞台上の見え方が恐ろしく変わるためだ。角度によって表情が見えなかったり、影になったり、見えてはいけないものが見えてしまったりする。

 それをチェックするのは劇場に入ったら必ずやらなければならないことなのだ。

 ……本当は通して観ないとなんだけど、今回は時間が無いので一部のみ抜粋である。


 テクリハは音量調節の都合のため本番と同じエネルギーで演じてもらう。

 一ノ瀬の芝居は教室稽古の時より更に研ぎ澄まされていた。素人の俺にはよく分からないが、それでも今日の芝居が素晴らしい出来であることはよく分かった。

 一ノ瀬は声が良く通るし、板――舞台上の立ち振る舞いも勘がいい。何か言うとどんなことでもすぐ直してくる。

 ほんとにコイツはプロい。完全にプロの仕事っぷりだった。

 音響照明の仲村さんも俺の注文を的確にこなしてくれていた。流石、機材の扱いはお手の物である。


 良かった。

 とても良かったのだ。

 舞台上で観たアキラとトオルは、確かにそこに生きていたのだ。


 良かったからこそ――



「通して観たかったな……」



 ゲネプロが出来ていれば、本番にはもっと精度が上がっていたことだろう。

 悔しい。唇を噛む。

 どんなに小さな舞台でも、どんなに短い上演でも、俺は全力を尽くしたい。

 先輩が去ってから新入部員が入るまでの、ほんの僅かな期間。

 このメンバーだけで作る舞台はこれが最初で最後なのだ。

 それを――交渉失敗したからと諦めてもいいのだろうか。


 

 仕方がないと思っていた。

 でも、舞台で生きるトオルとアキラを観たらもう駄目だった。

 たったの数十秒で俺の心は動いていた。

 決して自分の台本や演出に感動したんじゃない。

 “演劇部みんなで作り上げた作品”に感動していたのだ。



 “やらない後悔よりやる後悔。

 成功するかしないかよりも、まずは一歩を踏み出すことこそが重要なのだ。”



「やっぱゲネやろう!」



「え? ちょ、圭ちゃん!?」

 まこちゃんの声も聞かず、俺は実田ママの元へ駆け出していた。

 入れ替わりで吹奏楽部がステージへ向かうのが横目に入る。

 もう止まらない。止めさせない!


「演劇部さん、最終リハーサルは終了ですか? 5分枠なのに上演するなんて凄いですねぇ」

 実田ママが優しく話しかけてくる。悪気はないのだろうが嫌味にしか聞こえない。

「あの、先生」

「はい」


「やっぱり通しがやりたいので時間をください!」


「……はい?」

 ぱちくりと瞬きをする実田ママ。しかしすぐに困ったような笑みを浮かべる。

「あのね、貴方もわかっていると思うけど、みんな平等に10分って決められた中でやっているの。それを演劇部さんだけ時間を追加してくれだなんて……認めるわけにはいきませんよ」

「しかし、元はといえば部活会が演劇部を5分枠に押し込んだのが原因なわけですし。それが無ければゲネプロを事前に行うことが出来ていました。そもそも10分用の演目を5分に縮めないで済んでいたわけで、」

「ちょっと待って、待ちなさい!」

 実田ママの声が、吹部の演奏の音の合間に響いた。

「五十嵐くん。この期に及んでそんなことを言い出すのはどうかと思うわよ?」

「タイムテーブルが出た時から何度も異議申し立てをしてきました。ですが聞き入れてくださらなかったのはそちらです!」

「その時にも説明したけれど、部活の数が増えて枠の奪い合いになっているの。やる気のある部活、結果を出している部活が優先されるのは当然のことよ。だから全国進出という結果を出した吹奏楽部の持ち時間を貴方達に与えることはできません」

「それは分かります! でも、何故何の大会にも出場していないうえに例年はマイク説明のみに留めている家庭科部が10分枠を与えられているのでしょうか? 先生が顧問だからじゃありませんか? それこそ贔屓です! 不公平です!」

「まぁ!?」

 実田ママの顔が赤く染まった。

「あのねぇ五十嵐くん。確かに家庭科部は大会に出たりはしていないわ」

 その声は顔色とは裏腹に落ち着いていた。

「でもね? とてもやる気に溢れているのよ。今よりももっと色々な活動をするために部員を増やしてねぇ、部費と人手が増えたらファッションショーやバザーへの出展をしたいんですって」

 俺が口を挟もうとするのを静かな圧で抑えてくる。

「そこで今回の部活紹介でもファッションショーを見せたいって張り切ってね。さっきのリハーサル見たでしょう? あの回転するお立ち台、みんなで作ったのよ」

 今の家庭科部がやる気のある部活だということは分かった。しかし、


「何故俺たちの部はやる気がないと判断されるのですか!」


 どうしても納得が行かない。

「私、毎年の発表を観ているけどね?」

 実田ママは困惑した表情で続ける。


「華やかな衣装を着ているだけで満足しているような……言葉は悪いけど、おままごとの延長のような印象があるの」


 俺はカッと頭が熱くなるのを感じた。


「それは去年までの劇部だ! もうコスプレ感覚の先輩たちは引退した! 今年の劇部は本気なんだ!! 完成した俺たちの舞台を観たら分かりますッ!!」


 呼吸が荒い。ゆっくりと熱を吐き出す。


「……機材テストはたった今済ませました。5分だけ。時間をください」


 俺が言い切るのと吹奏楽部の演奏が終わるのはほぼ同時だった。


 音が途切れた刹那、勢い良く後ろを向くと、

「きゃっ!」

「わ、ごめんまこちゃん! 気付かなかった!」

「う、うん」

「この後すぐゲネやるから! みんなに声かけて!!」

 舞台袖へと駆け出した。


 まこちゃんが何か言った気がしたけど聞こえなかった。

 もう、今の俺にはゲネプロのことしか頭にない。


 舞台袖へ辿り着くと、大小様々な楽器を持った吹奏楽部員たちが移動していた。ステージ上にはまだまだ片付けをしている部員も多い。

 俺は狭い舞台袖からステージへ入り、片付けを手伝い始めた。


「手伝います」

「ちょっと勝手に楽器触らないでよ! 何なの!?」

 小柄な女の子が声を荒らげた。俺が触れようとした金管楽器を抱きしめ、守るような仕草をする。

 楽器は吹部にとって命。流石に軽率だったか……。

「すみません! この後すぐ演劇部のゲネプロをやるので手伝おうと思って」

「ハァッ!? 演劇部ってさっきやったばっかじゃ――」


「やらせてあげてちょうだい」


「実田先生!?」

「あっ」

 舞台下から実田ママがこちらを見ていた。

 隣にはまこちゃんが居る。俺に向かって小さくブイサインをしている。

 もしかして、交渉してくれたのか……?


「楽器の撤収、急いでね。時間押してるから」

「先生! でも演劇部ってさっきリハしてましたよね!?」

「今日までステージ練習が出来なかったのよ。5分で終わるそうだからやらせてあげて」

 実田ママは温和で優しいけれど、贔屓が強かったり意外と意見を曲げない人だ。

 その実田ママが、演劇部がゲネをすることを認めてくれた。

 これをまた覆すのは骨が折れるだろう。

 声を荒らげていた女の子は、それが判っているのか実田ママへの抗議をやめた。

 行き場の無い怒りをぶつけるように、俺を睨みつける。

「先生に言われたから片付け急ぎますけど、お手伝いは不要なので。絶ッッ対! 楽器には触らないでくださいね!!」

 フンッ! と鼻息荒く視線を外すと、彼女は部員たちに指示を出し始めた。


 あれ、もしかして彼女って吹部の部長さんだったりしたのか……?




◆◆◆




 中列左側しもて寄りの席に座り、舞台を見つめる。

 ここは当日の俺の席だ。

 昂る気持ちを深呼吸で落ち着かせる。


 各セクション配置についた。準備も整っている。

 後は、俺が始まりの合図をすれば物語の幕は上がる。


 緊張と興奮で喉が渇く。

「それでは始めまーす!」

 その割には講堂中にきちんと声が響いて安心する。

 ここからは見えないが、舞台袖ではまこちゃんが一ノ瀬へ開始の合図を出しているだろう。


「よーい……」



 今日まで築き上げてきた想いをのせて。

 すべてのスタッフ、キャスト、そして舞台を観てくれる全ての人々へ向けて。


 両手を力一杯叩く音が劇場にこだました。




◆◆◆




 一ノ瀬扮するアキラが、透明人間のトオルと肩を組みながら登場する。

 舞台上のアキラは朗らかに笑っているのに、客席の俺は緊張で強ばっていた。



 苦労して書き上げた脚本に、先輩たちが「出番を増やせ」「こんな展開思いついたから使って」「ここでギャグをひとつ」などと勝手を言う。

 心臓がキュッと締まるのを笑顔で隠し、俺は要望に応え続けた。


 その結果、劇部は学内で「コスプレ」「お遊び」という評価に甘んじることになる。

 やるからには本気でやりたいという俺を含む一部の部員の声は「暑苦しい」の一言で掃いて捨てられた。


 馴れ合いが悪いとは言わない。

 たった一度きりの青春を楽しい想い出で彩りたい気持ちは分かるし、俺も同じ思いだ。

 だからこそ本気でぶつかりたかった。

 なあなあでやる芝居は色褪せるが、魂を吹き込んだ芝居はいつまでも色鮮やかに生き続ける。


 俺はそんな鮮やかな芝居を知っていたから。


 だから、いつか自分もそんな芝居を創りたいとペンを執り、演出をつけ続けているのだ。



 ――2年待った。



 やっと俺たちのやりたかった芝居を見せられる。

 その初お披露目こそが、この5分の演目なのだ。




 しんとした空間に、アキラのよく通る声だけが響く。



 ――開演から1分。

 よし、ここでひと笑い。稽古では毎回みんな笑っていたセリフだ。

 耳をそばだててみたが、小さな咳払いが1つ聞こえたのみだった。皆一様に表情は硬い。笑っているのは舞台上のアキラと、目に見えないトオルだけだった。


 膝に乗せた両手を固く握り締める。

 やはり、プロでもない俺たちには5分でお客さんを劇空間に入り込ませることは無理なのか……?

 額に流れる汗を冷房が冷やす。全校生徒が揃っているのに、異様に肌寒く感じた。


 一ノ瀬は凄い。こんな空気でも全く動じずにアキラであり続けている。彼は生きている。熱量を持って、客席にパワーを与え続けている。

 俺は再び舞台に集中した。



 ――開演から2分。

 どこかで吹き出す声が聞こえた。

 それを機に、クスクスと笑いが起きるようになってくる。

 観客が「観る体勢」に入った瞬間だった。

 少しずつ、舞台上のみだった劇空間が客席に拡がり始める。


 どうやら皆「面白くてもリアクションをとってはいけない」と思い、硬くなっていたようだ。

 彼らは日頃から商業劇団の舞台を観に行ったりはしない。観劇客としては素人だ。映画館には行き慣れているだろうが、映画館は生の空気が流れる演劇場とはやはり異なる。


 客席の空気がどんどん温かくなっていく。


 一ノ瀬、ありがとう。アキラとトオルに命を吹き込んでくれて。二人分の命を吹き込むなんて芸当、お前にしか出来ねぇよ。

 仲村さん、ありがとう。無茶ぶりばっかり言っちゃったけど、文句一つない完璧な音響照明だよ。

 他のみんなも、意見をくれたり、見えない部分で沢山助けてくれてありがとう。


 そして、まこちゃん。俺が作演出に集中できるようにと、部長と舞台監督を兼任してくれてありがとう。支えてくれてありがとう。演劇部のために泣くほど思ってくれてありがとう。



 ――開演から3分。

 大きな笑いが起きた。

 一ノ瀬は完全に客席を物語に引き込んだ。

 これなら俺たちのメッセージは全校生徒に伝わるだろう。


 みんなの笑い声を感じる。

 舞台上の熱を感じる。

 ふいに、アキラとトオルの姿がぐにゃりと歪んだ。

 俯くと、大粒の雫が制服にいくつもの染みを作り出す。

 はは。これじゃあ何も見えないじゃんか。



 歪む舞台上に照らされた照明が、万華鏡のようにくるくると輝いていた。




 これが、初めて俺の手で上演まで漕ぎ着けた初めての作品。

 新生演劇部にとって最高の幕開けになった。




◆◆◆




 その後は夢心地すぎて何も覚えていない。


 まこちゃんが入部の詳細を説明してくれたのも、全国レベルの吹奏楽部の演奏も、上の空でほとんど聴けなかった。勿体無いことしたな……。


 全てのプログラムが終了した後、俺たちは部室に集合していた。

 みんなで健闘をたたえ合った。

 俺にお疲れ様と言う部員全員に、抱擁しながら全く同じ受け答えをした。


「俺は本番中何もしてねーよ! 作演出に出来ることは祈ることと見守ること、それとみんなを信じることだけだから!」


 謙遜でも何でもなく本心だった。

 スタートは俺が一番大変かもしれないが、ゴールに行くに従ってウェイトはスタッフとキャストに移っていく。俺には「何が起きても全部作演出の責任だから! ドーンと行ってこい!」と送り出すことしか出来ないのだ。

 もどかしい時もあるが、完成品を客席から観られるのは最高のプレゼントであり、全ての努力が報われる瞬間でもあり……俺はたまらなく大好きだった。

 あーこの時のために生きてる! って感じだ。


「よう」


 本番での一番の功労者、一ノ瀬が声をかけてきた。


「一ノ瀬ぇぇぇありがとうぅぅぅ!」

 ガシッと抱擁すると、落ち着かせたはずの涙がまた溢れだしてきた。いや、落ち着かせたというのは嘘です。終始涙腺が緩みっぱなしです。部員一人一人と顔を合わせるたびに感極まって号泣してます。

「アキラ良かったぞぉぉぉ!」

「ああ? たりめーだろ」

「うぉぉー今のアキラっぽかった! アキラっぽい! ワンモアワンモア!!」

「役の安売りはしねーんだよ」

「なんだそれカッコイイな! お前マジイケメンだよ!!」

「俺がイケメンなのは分かってるっつーの。いい加減離れろ」

「一ノ瀬ぇぇぇー今のお前になら抱かれてもいい!」


 すると、一ノ瀬はそれまで強い力で引きはがそうとしてきた手を緩める。

 寂しげなため息をそっと吐く。


「ごめんな、五十嵐……。俺にはもう篠咲っていう心に決めた人がいるんだ」

「お前のそういうとこマジムカつくわ!」

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