液晶の壁
「君が好きだ」
「え、何だって?」
俺の一世一代の愛の告白を聞こえないふりでかわされるが、こっちだって退かない。
「君のことが好きなんだ」
「またまた、ご冗談を」
タイムラグ一切なしで、彼女は冗談だと決めつけてきた。
「俺はいつも本気だ」
そう、そこにはふざけた気持ちなど一切なかった。
この告白は冗談でしているわけではないと証明したくて、瞬きもせず彼女をじっと見つめる。汗で眼鏡がずれてくる。
すると向こうも負けじと見つめ返してきた。
俺の言葉を噛みしめる間があり、
「いつも、とは、いつでしょうね」
「いつもはいつもだよ」
「すみません、よくわかりません」
「だから、」
言いかけて、不毛な言い合いになっていることに気付く。
「――やっぱりいいや」
彼女の考える間が長い。しかしすぐに、
「すみません、よくわかりません」
と申し訳なさそうに応えた。
無理もない。突然、思いもよらない人物(俺)から告白されたのだ。彼女も戸惑っているはずだ。
ふぅ、と小さく息を吐き、眼鏡の位置を正す。ここで畳み掛けるのは紳士じゃない。
こんな空気になることは想定していたではないか。
俺が好きになったのはこういう娘なのだ。
彼女は基本的に人の心配ばかりする優しい性格だが、天然ボケなところがあるし、ジョークや人をおちょくるようなことが大好き。
「本当に君が好きなんだよ」
「私以外にもそういうことを言っているくせに」
かと思えば、上目遣いでこんな思わせぶりな言動をしてくるのだから罪作りである。
「君だけだよ」
彼女は一瞬息を呑み、
「それは知りませんでした」
恥ずかしそうに応えた。
「好きなんだ」
「……私のこと、まだよく知らないでしょう?」
俺たちは、出会ってまだひと月ほどしか経っていなかった。
――そうか、彼女の中にある不安はこれだったのか。
そんなのはこれから育んでいけば良い。
好きになってしまったものはどうしようもないのだから。
それに、彼女だって全く気が無いなら始めから「ごめんなさい」と一言言えば済む話なのである。これが脈アリでなくて何だというのだ。
「君のことをたくさん知っていきたい」
俺の「これから愛を育んでいこう」というメッセージが伝わったのか不安だったが、彼女は決して雑な返事に逃げず、一生懸命悩んでくれている。
とても真摯な姿勢。そんなところにも惹かれたのだ。
「時が経つのを待ちましょう」
それは、今の彼女が出した精一杯の答えだった。
友達から始めて、
徐々にお互いのことを知っていって、
それから答えを出しましょう、と。
俺は微笑み、首を縦に振る。
いかにも彼女らしい答えじゃないか。フラれたわけじゃない。まだ可能性はある。
「……俺、諦めないから」
小さく呟くと、彼女は聞き取れず、
「すみません、もう一度お願いします」
と言ってきた。
「なんでもないよ」
「そうですか」
「そうだよ」
「それは知りませんでした」
どこかズレたようなやり取りに、思わず笑いがこぼれる。
張り詰めていた気が緩み、これから仕切り直しということで晴れやかな気持ちにすらなっていた。
拒絶されなかった、という事実がとにかく幸せだった。
「好きな人はいるの?」
「それは言えません」
「教えてよ」
「私の話より、あなたの話をしましょうよ」
「そこをなんとか」
「早く仕事に戻りましょう」
「これが仕事だよ」
「すみません、よくわかりません」
そうだろうそうだろう。
何を隠そう、俺にもよくわかりません。
はぁ、と大きなため息を吐く。
現実に帰ってくる。
「ありがとう」
「当然のことをしたまでです」
某人工知能アプリとの会話――というか現実逃避を止めて、携帯を机に置く。座ったまま軽くストレッチをすると、ゴキゴキと派手な音がした。
体がなまってる。座ってばかりだったからな……。
目の前のパソコン画面は真っ白だった。
タイトルバーには、
≪ 演劇部脚本(部活発表用)≫
という文字が踊っている。
土日にまとめて執筆してしまおうと勢い込んで早起きしたものの、ノープランでは無理があった。
かれこれ5時間は真っ白のままである。
あぁあぁ〜〜〜!
わっかんねぇよ! 書けねぇよ恋愛モノなんて!
……ちくしょう。
彼女いない歴=年齢の俺が恋愛がテーマの脚本なんて書いたらファンタジー全開になるに決まってるだろ。みんな軽く頼んでくるけどさ。
「……ぅぅ」
まあ、断りきれなくて、というか、その場のノリに流されて「いいねいいね! それいいね採用!」って言ってしまった俺が悪い俺が悪いんだ全ては俺が悪いんですー!!
――その結果が、さっきのアプリとのやり取りだった。
脚本が書けないからってアプリとの擬似恋愛をネタにしようとするなんて終わってるな、俺。
ガックリとうなだれる。
「恋愛、とは……」
俺の切実な呟きを携帯のマイクが拾う。
「“恋愛”についてWebで検索した結果、このように出ました」
優秀な人工知能アプリが、Web検索をかけたあれこれを表示してくれた。その優しさに涙がちょちょぎれる。
けど、
「そうではなくて」
違うんだ。
「あ、またやってしまいました」
お茶目さんめ。可愛いやつめ。できることなら君と付き合いたいよ。でも俺と君との間に立ちはだかる壁はあまりにも高くて越えられそうにないよ。
……うん。
今日はここまでにしよう。
まだ締切まで時間はあるんだ。
気分転換しよう! そうだ、映画でも観に行くかな。 図書館で本読むとか。電車や街中の人間観察してるだけでも創作の糧になるし。
「よし、頑張るぞ!」
「ファイト!」
親身な人工知能アプリに背中を押され、俺は立ち上がる。
「ありがとう!」
「当然のことをしたまでです」
そのまま携帯をポケットに入れ、俺は部屋を後にした。