第二十一話 人間を愛した死神の物語。
カミュがいなくなっても、俺は動けなかった。全身が言う事を聞かない事も理由の一つだが、何よりも動く気力が起きないのが原因だった。
「純。すまなかったな。」
「何で、親爺が謝るんだよ。謝るのは俺の方さ。」
「二週間前に回覧板が更新されてな。元来、回収する魂に名前は乗っていない。けど父さんは母さんが今日死ぬのをその時知ったんだ。」
――そうだ。何故、親爺は母さんが死ぬのを知っていた?回覧板に名前は書かれない筈だ。こんな大きな矛盾に気が付かなかった。俺はかなり混乱していたんだな。
「大王様自ら、回覧板に父さん宛に手紙を同封してたんだよ。それで知ったんだ。」
死神大王。一度だけ面識がある。あの変な喋り方する爺さんだろ?そういえばカミュらしき人物にも会っていた。
「父さんは母さんを愛した時点で覚悟をしていた。けど純には母さんの死を受け入れられるとは思えなくてな。こんな形になってしまった。すまない。」
「……いいんだ。そんな前に俺が知っていたら、どうにかして母さんを救おうとした。そして俺自身の偽善で苦しむ羽目になってだろうし。親爺は悪くないよ。」
親爺は小さく俺に微笑んだ。親爺は、母さんの亡骸の傍らにいた。黒革のスーツを脱ぎ、母さんにかけていた。黒革のスーツは月の光を反射して、その一部を光らせていた。
「このスーツはな。父さんが魂を回収する時に必ず着る、一張羅なんだ。」
親爺は白いワイシャツにかかる真紅のネクタイを緩めて、母さんの横に座った。そして母さんの髪を優しく撫でた。
「何年も魂を回収して、Aクラスに昇進した直後だ。浮かれて油断していたんだろうな。回収の現場を人間に見られてしまった。それが母さんだった。母さんと出会った時もこのスーツでな。」
親爺は母さんの頬に手をやる。親爺は微笑みかけた。母さんの顔は色を無くしていたが、表情は最期の笑顔のままだ。まるで、二人は微笑みあっているようだった。
「驚いたよ。普通の人間なら恐怖して叫ぶだろ?母さんは違った。母さんは興味津々に俺に話し掛けてきたよ。」
親爺はさらに微笑んだ。目は遠くを見ていた。母さんと出会った時を思い出しているように見えた。
「今の鎌は何?何かを切っていたように見えたけど何?貴男は何者なの?ってね。父さんは思わず笑ってしまったよ。死体を前にして何だ、この人間はってね。母さんに興味が沸いて、父さんは秘密を約束するなら教えてやるって言ったよ。」
親爺は昔を懐かしみ、笑った。だが、笑顔の中に隠しきれない悲壮が詰まっているのを俺は気が付いていた。
「あとはもう、母さんのペースさ。母さんは秘密を逆手にとって何度も父さんを誘った。」
母さんらしいや。どこか、人とは違う、肝っ玉が座ってたからな。
「母さんに恋をするのに時間は必要なかったよ。始めは戸惑ったさ。恋という感情なんて知らなかったからな。父さんは母さんに告白したよ。だけど死神だからな。何て言えばいいか、わからなかったよ。だから死神らしく、父さんができることだけを伝えたんだ。」
そうだ。死神が人に恋をするなんて前例がない。どうやって口説く?死神史上、初めての告白。興味が沸いてきた。
「貴女の魂を回収する時が訪れるまで、俺の側にいてくれないか。ってね。」
――プッ。
「ははは!何だよ、それ!」
笑ってしまった。不器用な告白だな。死神らしいっていえばそこまでだけど、滑稽すぎるよ。俺は腹の底から笑い転げてしまった。絶望感や虚無感は、母さんと親爺の馴れ初めに影を潜めた。
「母さんも同じ事言ってたよ。それに今のはプロポーズ?って何回も聞いてきた。」
母さんが嬉しそうに悪戯顔で親爺をからかうのが容易に想像できた。
「そして母さんはこう言ったよ。」
親爺は今までにない、穏やかな笑みを浮かべた。きっとこの笑顔は母さんにしか見せない笑顔だ。
『なら、私の魂は貴男が回収して下さい。』
母さんの声が聞こえた気がした。声は親爺だけど、母さんの顔が浮かぶ言葉だった。これが母さんが言ってた、約束、か。約束は果たせたんだ。少しだけ、ほんの少しだけ、母さんが救われた気がした。
「父さんは母さんを愛して幸せだった。死神連中は父さんを馬鹿にしたがな。父さんは母さんを愛した事を誇りに思っていたよ。」
親爺は母さんの手を握った。冷たくなり、固まった手を親爺の手が包んだ。
「純。そろそろ家に帰ろう。母さんと一緒に。」
俺は小さく頷いた。虚脱感が包む全身を何とか動かして、母さんと親爺で家路を歩んだ。