落伍者のモノローグ その2
引き続きウェンジ視点。
農業技術開発コロニー『ガイア』の低重力研究ブロック内は、新開発の遺伝子組み換え小麦『RS-1』が一面に栽培されている。
開発から初めての収穫期を迎え、人工の太陽光を受けて誇らしげに輝く『RS-1』の姿は、黄金色の絨毯の如く眩い。
月面都市の若きVIPが遠路はるばる訪問するに足る、まさに絵になる風景がブロック内に広がっていた。
オレ、劉文智が東洋系研究員・張喜に変装、コロニー『ガイア』に潜入して6日が経った。
Mデイビスの訪問を明日に控え、研究ブロック内はお披露目準備に忙しい。
このコロニーの未来は今回のプレゼンの出来にかかっているのだ。
発表担当の研究者達は、参照データやスピーチ内容の最終確認に余念がない。
まぁ、オレの暗殺がうまくいったら、この人たちの仕事は全部無駄になるわけだが・・・。
オレは懸命に準備を進めるスタッフに少々罪悪感を感じつつも、セレモニー会場を通り過ぎた。
オレの暗殺準備も最終段階に入っている。
今、オレに追従している運搬A.Iの中には、カラの酸素カートリッジが入っている。
コイツを例の気密室に備え付けられている緊急用ガスマスクの充填カートリッジと交換すれば、準備は完了だ。
あとは、誰の目にも留まらないように気密室に辿り着くだけ・・・。
「帳喜!丁度いいところに!ちょっとこっちに寄ってくれない?」
元気な声に呼び止められた。
・・・まぁそう都合よくいかないよな。
『RS-1』のプランターを抱えた帳喜の上司、エバンスが頬に泥を付けたままこっちに手を振っている。
無視するわけにもいかず、オレはしぶしぶ彼女のところへ向かった。
エバンス室長は土壌研究の権威だ。
月の砂礫を腐葉土に変える研究の第一人者で、今回の『RS-1』の栽培土壌の責任者でもある。
短く刈り込まれた金髪に縁どられた化粧っ気のない笑顔は、底抜けに明るい。
白い作業着は今日も土まみれだ。
手にはアナログなスコップが握られている。
単純な農作業などは作業用A.Iに任せるのが普通だが、彼女の流儀は「一日一度は土に触れて語りかける」だ。
「あなたの連れてるカーゴ、プランターひとつ積載できないかしら。私の研究室までこの子を運んでおいて欲しいんだけど」
室長の視線の先には、穂が力なく項垂れている『RS-1』のプランターがある。
「り、了解しま、した」
・・・別に緊張してどもっているわけではない。帳喜は吃音障害者なのだ。
特徴的な話し方は、声音さえ気を付けておけば、むしろ模写しやすくて助かる。
オレは指示されたプランターをカーゴに載せようと屈みこんだ。
すると、室長の足元で何かがごそごそ動いているのが見えた。
プランターの陰に隠れて気づかなかったが、10才ぐらいの少女が土いじりに夢中になっている。
室長によく似た金髪をおさげにした女の子だ。
この学術コロニーでは、この年頃の子は珍しい。
オレの目線に気づいた室長が、軽く衝撃発言をした。
「ああ、この子ね、私の孫よ。ルーシーっていうの」
血縁だとは思ったが・・・孫かよ。
エバンス室長の外見は若い。どう見ても30代だ。
こんなに大きな孫がいるようには、まったく見えない。
このコロニーの女性は誰もが、室長の若さを保つ秘訣に興味津々だ。
「ルーシーは、明日のデイビス議員歓迎セレモニーで花束を贈呈する役に抜擢されてね。去年月面の科学コンクールのジュニア部門で優勝したのよ」
「す、すごい、ですね」
ルーシーは手にもっていたスコップを放り出し、勢いよく立ち上がった。
「そうでしょ!だから初等教育なんてスキップして、大学で学位を取ってここで研究したいのに、みんなダメっていうのよ!」
腰に手をあてて仁王立ちしていても、ルーシーは十分愛らしい少女だ。
「学校なんてつまらないわ!周りの子たちと話がぜんぜん合わないんだもの!」
「ルーシー、学校は勉強するだけの場所じゃないのよ。スキップなんてする必要はないわ」
室長はルーシーの頭を優しく撫でた。
室長の手から愛情があふれていた。
オレには少々眩しい光だ。
一応オレにも肉親はいるのだが、こんな風に優しく頭をなでられた経験など一度もない。
「帳喜、呼び止めてごめんなさいね。そのプランターよろしくね」
オレは軽く会釈をして、その場を離れようとした。
「あ、待って!お兄さん」
ルーシーはポケットから何かを取り出して、オレの手に握らせた。
小さな一粒菓子だった。銀の包装紙には、かわいらしいマスコットが描かれている。
「その子、わたしがつまずいて、ふんずけちゃったの。運んでくれてありがとう!」
土に汚れたルーシーの笑顔は、やっぱり室長に似ていた。
オレはもらったお菓子をほおばりながら、気密室で最後の仕上げを終えた。
このときオレは、暗殺の成功を欠片も疑っていなかった。