第13話 苦悩する夫
「つまり」
ヴァル様は、感情を読み取れない声でその条件を確認した。
「今夜のサロンは、女性だけの催しなのだね」
「そうですっ!」
わたしはその待ちに待った免罪符に、とびきり晴れやかな笑みを浮かべて力強く頷いた。ヴァル様は両腕を組みながら、この世の終わりについて考えているかのような深刻すぎる顔で眉間に深い皴を寄せている。
リュシーは優雅にカップを揺らしながら、からかうような笑みを浮かべて口を挟んだ。
「ええ、そうよ。今夜開かれるのは、女性だけの夜会。男性の入場は、いかなり権力者であっても一切禁止なの」
その言葉に、ヴァル様の整った眉がぴくりと跳ねた。
「護衛も、ですか?」
「入り口の手前までね」
「サロンの中には一歩も入れないと?」
「ええ。絶対に入れないわ」
リュシーは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。わたしは内心で、やった、と両手を握りしめて歓喜のポーズをとった。
ついに。ついに、この時が来たのだ。自由な夜会に参加できる。今回は王女様公認の正当なものなので、彼も断ることはできないだろう。不法な逃亡でもなければ、冷や汗をかくような潜入でもない。合法である。
なんという健全さ。なんという輝かしい平和。
「……ああ。その夜会には参加してもいいよ」
彼の言葉に、心の底から込み上げる高揚感を抑えきれず、わたしは思わずその場でふわりと裾を揺らしながらくるりと一回転した。
「やったあ……っ!」
淡い青紫のスカートが、まるで夜空のように美しく広がる。リュシーは「可愛いっ!」と手を叩いて喝采を送ってくれた。
そんなわたしたちを見て、ヴァル様はたまらないと言った様子で自分の額を強く押さえた。
「……ノーラがどれほど嬉しそうかは、十分に伝わった」
「はい。とてもとても嬉しいです!」
「それも、痛いほどわかった」
「ありがとうございます、ヴァル様! あなたのおかげ……ではありませんけれど、本当に嬉しいです!」
勢いあまって彼の胸元へと飛び込みそうになったが、はっと理性に引き戻されて直前でぴたりと止まった。危ない危ない。自ら火の中に飛び込むところだった。
ほっと胸を撫でおろすわたしに向かって、しかしヴァル様の方が自ら歩み寄ってきた。彼はわたしの髪に、慈しむように、そしてどこか名残惜しそうに軽く口づける。
「……思う存分、楽しんでおいで」
その声は優しかった。優しかったのだが……その青銀色の瞳には、どうあっても納得していないという炎がくすぶっている。わたしはその熱から目を背けるように、あえて気づかないふりをした。これはわたしが長年培ってきた、身を守るための極めて高度な技術である。
「それでは、わたしはそろそろ準備をしますね」
ヴァル様にそう告げると、彼は名残惜しそうにしながらも踵を返した。扉へと向かうその背中は、いつものような威圧感とは比べ物にならないほど重たげで、哀愁すら漂わせているように見えた。わたしは不審に思い、声をかける。
「ヴァル様?」
彼はその場で足を止め、ゆっくりと振り返った。
「なんだい?」
「……元気がないように見えますけれど、本当に大丈夫ですか?」
重苦しい沈黙のあと、ヴァル様はこの世の不条理をすべて背負ったかのような、ものすごく複雑で、どこか狂気を孕んだ表情を浮かべた。
「……全く大丈夫ではないよ」
「えっ」
「だがノーラがあれほど楽しみにしている顔を見てしまったからには、僕が無理やり引き裂くわけにはいかない。……だから今回は、我慢するよ」
その言い回しがあまりにも重たくて、わたしは思わずくすりと声を漏らして笑ってしまった。
「そんなに心配しなくても、会場にいるのは女性ばかりですよ?」
「女性であっても油断はできない。誰かが君のその美しさに目を奪われ、声をかけるかもしれないと思うだけで正気を失いそうだ」
冗談の色の微塵もない真剣な声。それを聞いたリュシーが、耐え切れなくなったのか笑い転げていた。わたしは呆れ半分、あまりの愛の重さに照れ半分で、両手で自分の熱を持った頬をそっと包み込んだ。
「もう、ヴァル様ったら。大げさなんですから……」
「大げさではない。心からの言葉だ」
低く囁かれたその一言に、わたしの心臓は小さく跳ねた。ずるい。こんな時だけ、そんな甘くて切ない声を使うなんて。
ヴァル様はしばらく、穴が空くほど熱い視線でわたしをじっと見つめていたが、やがて観念したように息をついた。
「……少し、考えてくる」
「考えるって、何をですか?」
「なに。少しばかりの解決策をね」
それだけ意味深な言葉を残すと、彼は更衣室を去っていった。バタン、と扉が閉ざされる。
部屋の中には唐突な静寂が訪れ、わたしとリュシーは顔を見合わせたまましばらく言葉を失っていた。
「ねえ、今の……一体何を考えるつもりなのかしら」
「さあ……?」
リュシーは肩をすくめ、笑みを深める。
「でもあの男の顔、絶対に一筋縄ではいかない何かを企んでいるわね」
「やっぱりそうよね……」
わたしは途端に、背筋に冷たいものが走るような嫌な予感に襲われた。ヴァル様は、時々わたしの想像の斜め上を音もなく通り過ぎていく。過去にも何度もあったことだ。
「……まさか、会場周りに女性騎士を幾重もの配置するとか?」
「あの人なら、やりかねないわね」
「それとも、窓の外に監視の目を光らせるとか? 王宮中の侍女や給仕たちを全員監視に変えるとか……?」
「……十分にあり得るわ」
リュシーの言葉に否定したいのに、過去の経験に基づくと全然否定できない。恐ろしいことに、どれも彼なら本気でやりかねないことばかりだ。しかし、今夜のサロンはあくまで女性限定。さすがのヴァレンティアス・アークレイン様であっても、その中に足を踏み入れることは絶対に不可能である。
わたしは自分自身に言い聞かせるように、小さく息を吐いた。




