01.神様に会ったことはありますか?
神様に会ったことはありますか?
……いえ、違います。違うんですよ。
怪しげな宗教の勧誘とかではなく。
だから官憲への通報はちょっと待っていただければと。
高額なツボや絵画を売り付けたりする詐欺でもないので、ちょっとお話を続けてもよろしいでしょうか。よろしいですね。では、気を取り直して続けさせていただきます。
まあ、いきなり神様との遭遇経験を聞かれたら戸惑うのが当然。
我ながら怪しげな話題を出しているなぁという自覚はあるのですけれど、わたしが体験した最新にして最悪の神話を語るには、そのあたりの事情を端折るわけにも参りません。
あれは今から何年前のことだったでしょうか。
離れて久しい生まれ故郷の記憶は今では正直けっこう薄れてきたものですが、その晩はやけに月が眩しく輝いていたことだけはハッキリと覚えています。
当時のわたしは荒ぶる山の神に捧げられた生贄の身。
山奥に設えられた粗末な祭壇の上で、逃げられぬよう手足を縛られた姿で震えていたわたしは……しかし、そこで運命の出会いを果たしたのです。あるいは、元来そうあるべきと定められていた運命を完膚なきまでに破壊されたと言うべきか。
なにしろ、あの方ときたら極めつけのひねくれ者で乱暴者。目に付いた何もかもを壊して乱して狂わせることが大好きな、不敵で無敵な悪の神様なのですから。
◆◆◆
「せめて、なるべく痛くしないで欲しいなぁ……」
祭壇の上に横たわるわたしは、もう何度目かになる言葉を呟きました。
村の大人達によって縛り上げられ、ここまで運ばれたのが腹具合からして恐らく一刻ほど前のこと。そろそろ空腹が辛くなってきましたが、なんの皮肉か現在は他でもないわたし自身が山の神様に捧げられる生贄だというのだから笑い話にもなりません。
神様の祟りを鎮めるには生贄を捧げるべし。
ここ数年の不作続きに流行り病。
それだけならまだしも、ここ最近は川の水が濁るわ畑の土が腐るわ散々です。
占いの心得のある長老様によると、それらの問題は山の神様が荒ぶっているせいだとのこと。で、古くからの由緒正しい教えに従って、村人の中から栄えある役目に選ばれたのがわたしでござい。
なにせ、こちとら流行り病で家族を亡くした娘の一人暮らし。
なるべく頑張ってはみたものの満足に自活していくのは難しく、村の皆さんのご負担になっていたのは想像に難くありません。日常的に疎まれていたとか嫌われていたという程ではないとは思うのですが……まあ、こういった事態において犠牲とするには手頃な人間だったということなのでしょう。
「縛られた手足の痺れが辛くなってきたかも……よっ、と」
縛られたままでは満足に身動きを取るのも難しいですけれど、それでも寝返りを打つ要領でどうにかゴロンと位置調整をば。そりゃまあ死ぬのは怖いですし痛いのはイヤですけど、いよいよ涙も出尽くしたせいか開き直りのような心境に達しつつあるとでも申しますか。
人生なんて所詮こんなものでしょう。
うん、仕方ない仕方ない。
村の人達への怒りや恨みは……自分でも不思議なのですが、何故だかほとんどありません。まあ、これまでお世話になった恩と相殺してチャラってことで。別に人並み以上にわたしの心が広いわけではなく、もう諦めの境地に至って何もかもどうでも良くなったというのが正確なところでしょうが。
「遅いなぁ、神様。早くしてくれないかな?」
どうせ結末は決まっているのです。
遅かれ早かれ死ぬのであれば、空腹も恐怖も短いに越したことはなし。
あれ……というか、もし神様がこのままお越しにならなかったら、この体勢のまま何日も飲まず食わずで最終的に飢えと渇きで死ぬことになってしまうのでは?
「か、神様!? 恐縮ですが、なる早でお願いできないでしょうか!」
今更ながらにそんな可能性に思い当たり、先程までより一層強く神様の登場を願ったせいでしょうか。
「あれ? 急に辺りが鉄臭く……これって血の匂い、かな?」
周囲に漂い始めた強烈な血の匂い。
姿こそ見えませんが、なにしろ生贄を求めるような物騒な神様です。
漠然と想像していたような神々しさとは方向性が違いますが、こういうのも「らしく」はあるのでしょう。周囲の森に住む鳥や小動物も空気が変わったのを敏感に感じ取ったのか、小さい生き物達が慌ててこの場から離れていく音が聞こえました。
それから間を置かずに山の奥側から近付いてくる足音が一つ。
村の人が何らかの理由で戻ってきたなら麓側から来るはずですし、位置関係からしてこの足音の主が件の神様に違いありません。
果たして、神様というのはどのような姿をしているのか。
最期に一目拝むくらいしてもバチは当たらないでしょう。
先に亡くなった両親への土産話くらいにはなるかもですし。
さっき姿勢を変えたせいで背中を向ける格好になっていましたが、またもお腹に力を込めて逆向きにゴロンと半回転。そうして目に飛び込んできた光景を、わたしは生涯忘れることはないでしょう。
「……綺麗」
並の男性を上回る背丈に豊満な肢体。
長く艶やかな白髪に、大胆に胸元の開いた豪奢なドレス。
その手には石とも金属とも異なる不思議な質感の剣が一振り。
そして何より目を惹くのは、額の中央に一本と左右の側頭部から三本ずつ捻じれて伸びる、まるで冠のような七本角。髪の毛や服装はまだしも、最後の特徴はどう考えても只人ではあり得ません。
「あの……神様、ですか?」
もっと気の利いたことを言えれば良かったのですけれど、どうにか拙い疑問を口にするので精一杯。死への恐怖ではなく、神様の美しさに心が震えてロクに言葉を紡ぐこともできません。
ああ、最期に綺麗なものを見られて良かった。
この神様に食べられて血肉の一部となれるなら、人生の終わりとしては悪くない。いえ、この上なく光栄で幸せなことなのかもしれない。この瞬間は半ば本気でそんな風に思っていたのですけれど……。
『く』
「……く?」
『くくっ、くかかかか!』
笑い声、なのでしょうか?
いったい何がそんなにおかしいのか、神様は突然笑い出したと思ったら、先程のこちらの問いへ言葉を返してくれました。
『くかかっ、悪ほどの巨悪ともなれば、あえて語らずとも自然と偉大さが滲み出てしまうものらしいな! 如何にも、悪こそがあまねく世界にその悪名を轟かせる予定の悪神ラメンティアである! なんか知らんが縛られてる娘よ、悪から言葉を賜った光栄にむせび泣くがよい!』
これが、わたしとラメンティア様との最初の出会い。
絶望の運命を粉々に破壊された瞬間でした。




