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2 怪力女傑、黒衣の老人の導きを得る

「えっ……そんな。冗談でしょ? フィーザ。

 アブドゥルおじーちゃん、目の前にこうして生きているじゃない。

 ホラ、触ったらあったかいし」


 わたしの言葉が信じられなかったのか、アンジェリカは不安そうな顔をしながら、アブドゥル老人にすがりついた。


「……ひょひょ。流石に気づいておったか、勇ましいお嬢ちゃん」

 アブドゥルは達観したように笑みを浮かべ……わたしの言葉を肯定した。

「確かにわしは、すでに死んだ身じゃ。

 アンジェリカちゃん。お主がわしに人の温もりを感じるのは、わしを『生きている人間』だと信じておるからじゃ。

 わしは人の思いを糧に、生前の記憶や言葉、そして命を再現する魔術で以て、こうしてこの姿を映し出しておる」


 老人の言葉に、最初は絶句していたアンジェリカだったが――どうやら納得したらしい。

 むしろ彼女の関心は、死してなお己の存在を現出させうる魔術の神秘に移ったようだ。羨望の眼差しすら向けている。


「ついでに、わしの真の名も教えておこうかの。

 我が名はアブドゥル・アルハザード。中東(アラク)世界各地を放浪し、魔術の秘儀を修め……かの有名な『アル・アジズの書』を著した偉大なる魔術師じゃ」


「アブドゥル・アルハザード……? すまない、知らないな」


 わたしが正直に答えると、アブドゥルは元より、アンジェリカまでも信じられないといった表情になった。


「なんで知らないのよフィーザ! アブドゥル・アルハザードって魔術の世界じゃ超有名人よ!?」

「いや、その……わたしは戦士であって、魔術師の心得はないし。……ハールは知っているのか?」


 わたしが水を向けると、それまで黙っていた青年皇子ハールは、ぽりぽり顔をかきながら答える。


「ん……まあ、名前くらいなら。子供の時に怪談話に興じた時にな。ずっと御伽噺(おとぎばなし)の類だと思ってたけど」

「なんて事だ……知らなかったのはわたしだけか」


 アンジェリカが言うには、アブドゥル・アルハザードとは、五十年以上前に活躍していたという伝説的な魔術師なのだそうだ。

 神秘の魔導書である「アル・アジズ」を書いたとされているが、実際にその本を見た者はいないという。

 そして書物を書き上げた直後にアブドゥルは、何もない虚空から突如現れた怪物に、頭から(むさぼ)り食われ死んだという。


「おじーちゃん、その時痛くなかったの!?」と、アンジェリカの当然な疑問。

「……世間一般にはそう伝わっておるようじゃが、誤解じゃ。そもそもあの時のわし、死んでおらんし。

 たまたま『転移』の魔術で移動しようとしておった瞬間を目撃した誰かが、姿の消えるわしを見て驚き、そう吹聴したんじゃろうなぁ……」


 その後いっさい姿を現さなかったため、世間的にはアブドゥル・アルハザードは死んだ事にされた。

 しかしどうやら、真相は違うらしい。


「そもそもアレじゃ。お主らも歴史を知っておろう?

 ペトラで大地震が起き、そこにかろうじて住み着いておったナヴァト人もとうとう、ペトラを放棄せざるを得なかった。

 それがかれこれ三十五年ほど前の事じゃ。その時わし、ペトラにおったからのう」

「おじーちゃん、ペトラにいたの!?」


 ペトラ。今でこそ遺跡と化しているものの、かつては少数民族のナヴァト人が築き上げ、小国ながらもしぶとく数百年を生き延び、香辛料の交易で栄えたと伝わる。

 もっとも百五十年前、スクル教徒の国家が台頭し、アラキア半島の大半を征服するに至ってペトラも傘下に組み込まれた。それ以降は交易ルートの中心がダマスクス等の北側に移り変わり、緩やかに衰退していったそうだが……


「三十五年前のペトラの大地震。アレは……人災じゃったと言えるかもしれんのう」

「……何だと? それは聞き捨てならない話だな」わたしは(いぶか)しんだ。

「ひょひょ。気になるかね? ならば当初の予定通り、ペトラを目指す事じゃ。

 これより先の話は、ダマスクスではなく『ペトラにおった』わしの口から語った方が手っ取り早いと思うでな。

 お主らがペトラにたどり着いたら教えてやろう。過去に起きた災厄の正体と、その時まだ若造じゃった白仮面(ムカンナア)の事をな……」


 それだけ言うと、アブドゥルの姿は「はじめから、そこにいなかった」かのように消え失せていた。

 ここに来て、黒衣の老人の口からとんでもない発言が飛び出した。まさかわたしたちの宿敵、白仮面(ムカンナア)は生前のアブドゥルと面識があったというのか?


***


 わたしたちは聖地イェルザレムに到着した。流石に聖地というだけあり、巡礼客が大勢来る事を見越してか、ダマスクスからここに至るまでの街道は整備されていた。

 砂漠越えの時とは比べ物にならないほどスムーズな旅路となり、行く先々で出会った人々も親切だった。


「単なる旅行や巡礼だったら、もっと気楽に街の観光を楽しめたんだろうけどな」


 わたしやアンジェリカはともかく、ハール皇子はれっきとしたスクル教徒だ。

 彼としては聖地巡礼にこだわりがあるのかもしれない。気になって顔色を伺ってみたが……その反応はさばさばしたものだった。


「何気遣ってくれているんだい? 僕はこう見えても、アルバス帝国の皇子さまだったんだぜ?

 まあ皇子といってもガキだったから、戦時を除いては暇を持て余してたんだけどさ。

 だから年に一度の聖地巡礼大キャラバンを編成する時には、よく駆り出されてたよ。お飾りとはいえ、帝国の威信をかけた隊商には、皇族の誰かが付き添うのが決まりだからね。

 イェルザレムに来たのはこれで五度目さ。一生に一度は聖地巡礼をするべきだって話なら、僕はもう四回ぶんの人生の徳を積んでるって事になるね!」


 冗談めかして語るハール。なるほど、彼にとっては親の顔より見た聖地、という事であるらしい。

 何にせよ、イェルザレムで無為な時間を浪費しなくても済みそうである。わたし達は翌日には、さらに南下しペトラ遺跡を目指す事になった。

※ 解説 ※

世間一般に知られているアブドゥル・アルハザードの著書は「アル・アジフ」ですが、「アジフ」なる単語はアラビア語には存在しないため、ここでは敢えて「アジズ」という名称を採用しています。

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