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杖が壊れた。
朝起きて寝ぼけ眼に棚に置いていた杖を触ったら、あれま、と違和感。
杖の先がパックリ割れていた。なんだか紙か何か挟めそう。
しかしそんな呑気にしていられる場合ではなく、魔法使いの命である杖が壊れてしまったのは非常にまずい。
魔法課で働いているのに魔法が使えないとは何事か。これから仕事なのに。
給料どろぼう待ったなし。
実はこの杖、使い始めてからまだ二年しか経っていなかった。
世界樹の枝から作られた丈夫なもので、滅多なことがなければ壊れたりしない。
魔獣が噛み千切ろうとも、どんな巨漢がへし折ろうとしてもびくともしないのだと、魔道具店の店主が自信満々に豪語していたのに。
う、うううそでしょ、百万ペイルしたのに!?
一万ペイルで家賃一年分、五十万ペイルで王都の一等地を購入、百万ペイルで爵位を…いいや考えないようにしよう。
卒業祝いで母に買ってもらったのに壊したなんて知られたら……恐ろしくて身震いする。
あと単純に申し訳ない。
この杖は丈夫で安定感があり、使用者の魔力を底上げしてくれる機能を持ち合わせている。
魔力を、底上げだ。
世界樹から作られた杖は値段が高く、魔力の放出をより正確に手助けしてくれる優れものである。
魔力を与える側である神様のような木から作られているので、当然使用感は普通の物より段違いで良い。
学生時に使っていた杖も幼い頃から使っていた相棒なので悪くはなかったが、魔法を操るときの杖の重さが全然違った。
世界樹の杖は凄く軽い。
魔力の流れも滑らかで、呪文を唱えてから魔法が発動するまでの時間も大幅に短縮できた。
魔力だけでなく、全体的に底上げしてくれる優れた逸品である。
世界樹から採れる枝は有限なので、採れる数には限りがある。値段が高いのは希少性ゆえだろう。
他の普通の杖でもよかったが、魔道具店に行くなり母がこれを、とものの数十秒で店主に金を払いあっという間に私の物になってしまった。
本音をいえば地味な見た目の世界樹の杖より装飾のかわいい杖がよかったが、こんなに高価な物を買ってもらえると思っておらず、なんなら魔力を高めてくれるなんてありがたすぎると私は感動した。
母はお金が大好きだが、金に糸目は付けない。
杖には長さや形が色々ある。
箒の代わりに飛んでくれるような機能を持つ長い杖。
伸縮性のある杖。
武器に変化する杖。
魔道具店には豊富な種類の杖が並んでいる。
顧客は魔法使いにしぼられてしまうので、王国内には魔道具店の数が少ない。
けれど代わりに一店舗に並ぶ品の数は満足度が高かった。
杖を選ぶにあたり魔法使いたちが重視するのは、自分の能力を補助してくれるようなものだ。
職業形態により選ぶ基準も違い、兵士や魔道騎士であれば武器に変化する杖を選ぶ傾向にある。
世界樹の杖を選ぶのではと思いがちだが、彼らは自分の魔力量を誇りに思っているので、増幅させるだとか強力にするだとかは自尊心が邪魔をして買わない。
高いけど売れなかったんだよなぁと店主は溢していた。
ハニーは飛ぶ機能を備えた杖を使っていて、長さは身長と同じくらい。たまに外で振り回して遊んでいるのを見る。ヴォンヴォン風を切る音が好きらしい。
ミアは伸縮性のある杖だ。しまいやすさを重視。
私は肘から指の先までの長さの杖。一般的な長さだ。
基本、杖を使うには契約をしなくてはいけない。
杖と自分の魔力の流れを繋げて、初めて魔法を扱えるようになる。
そして杖と契約している間は他の杖を使うことができず、契約を解いて他の杖を使うとした場合、以前の杖は二度と使えなくなる。
杖が死ぬのだ。
契約を解いた杖はただの置き物になる。
「大丈夫かな?」
見たところ杖自体が壊れているわけじゃなさそうだから契約は解かれていないけど、このままだと魔法が使いにくい。修理しないと。
ああ……大切な杖なのに……。
半永久的に保てるって言っていたのに……やっぱり、怪しい。
こんなに早く壊れるわけがない。
だって巨漢がへし折ろうとしても折れない杖なんだぞ。
世界樹で作ったなんて嘘なんじゃないのこれ。
私は二年前に杖を買った魔道具店へ急いで足を運んだ。
言いがかりをつけようってわけじゃない。
保証期間中だから行くだけだ。
そしてついでに聞いてみるだけ。
これは本物ですか、と。
「壊れたぁ!? この店で一番高く売ったやつだ、覚えてるよ!」
「見てくださいこの割れ! 百万ペイルにしては早すぎですよ!」
「ったく、アステリア王国の杖工房で手に入れたんだが……」
魔道具店の店主のおじさんは、割れた杖先を険しい表情で観察する。
何度確認しても本物で間違いないはずだと言われるが、縦に綺麗な亀裂が入っていて、ささくれだっていた。
昨日はそんな状態じゃなかったのに。
「もしかして水に浸けっぱなしだったとか、扱いはどうしてたんだ?」
「そんな非常識なことはしてないです」
私の保管状態は完璧だったはずだ。
乾燥しすぎず湿気のたまらない場所に置いていた。風通しも少しある。
持ち歩くときも袖の中に入れて落とさないようにしていたし、毎晩おやすみって寝る前の挨拶だってしていた。
我が子のように、我が子のようにかわいがっていたのに……!
涙を流して訴える私に店主はすまんすまんと謝ってくる。
もしこれが偽物であったとしても私はこの子を引き取る。
「修理に出すかい?」
「もちろん!」
みすみす廃棄してなるものか。
修理できる見込みがあるのなら杖職人に私の全財産八割を投げつけてでも元に戻してもらわないと。
修理は時間がかかるようで、最低二ヶ月の見込みになる。世界樹の杖は扱いが難しいらしい。
それまで魔法が使えなくなるわけだが、仕事、どうしよう……。
杖の契約を切ったら使えなくなるし、なんといっても百万ペイル。豪邸をポンと買える金額だ。
とてもじゃないけど新しい物を使う気にはなれない。
出勤後ミアに相談したら、しばらくは事務仕事につくことになった。
魔法課なのに事務。
もし二か月以上かかるなら、生活にも仕事にも支障が出るので新しい物を買わないとなと冷静に思った。
「そんなわけで今は魔法が使えません」
「どんなわけなの」
机に頬杖をつくコンタスティ外交官。
手製の教科書を掲げ、室内にいる年若い外交官たちを相手に教鞭をとる私。
フィーマ様に語学の指導を頼まれてから季節が一つ過ぎ、木の葉の色は緑から紅色へ変化していた。
月に一度。役場がお休みに入る週末の一日。
城にある外交官たちの執務室は広く、十五名ほどが机を並べて私のほうを向いている。
部屋の端には世界地図や重要そうな文書が山積みになっていて、やはり城勤めの魔法使いといえど外交官たちは片付けが苦手なようだった。
遠い国に出張へ行く外交官もいるので全員揃うのはまれだが、指導をお願いされたのは主に若い外交官が中心だった。
それでも私より二歳は上。年下はいなかった。
授業時間は午後に入ってから二時間程度。
教員免許も持っていないただの役場の職員に、しかも年下に、国王に直接仕えている誇り高き高学歴な諸君が語学を教わるなんて大丈夫だろうか。嫌がられないか。
そう最初は身構えていた私だけれど、杞憂だったのか、全員驚くほどとても意欲的な態度で臨んでくれた。
初日にフィーマ様が私に失礼のないようにと釘をさしてくれたからだろう。
しかし様々な国や人を相手にする人たちだからか、分からないところは素直に認め質問したり互いを助け合ったり、実に平和な授業風景となっていた。
ちなみに今日で三回目の授業。
月一なので準備する時間も多少あり、薄っぺらいけれど教科書モドキを作ることもできた。
まずは周辺国で特に言語修得が難しい場所、フィーマ様も苦戦していた東側の国々の言葉から教えることにしている。
そして指導するにあたり、私の尻を叩いていた囁き人形そっくりの物を用意し配り、各々魔法を吹き込んで動かしてもらったり。
母から伝授された物なので、アホ、サッサトオボエロ、などと相変わらず人形の口調は悪い。
あとで改善しておかないと。
暖炉に使う薪に適当に顔と手足をつけた物だが、人形への言語の入れ方は母流にならい魔法陣を埋め込んだ。
外交官たちは謎の人形に対し最初戸惑っていたが、これが三大魔法使いハービー・ポーキンス流の修行です。と言うと、なるほどそうかという顔をしてくれた。
厳しいが、私の語学力はこの教育の賜物であったのには間違いない。
自分が新しく考えた方法よりは、自分が通ってきた道を教えるほうが理解が深く攻略法も伝授できるかもしれないと、人形を教材にした。
さすがに尻を叩く機能は省いたけど。
そうして初めての授業を開いていたら、隣国の魔法使いであるコンタスティ外交官が途中参加してきたのである。
板書の前で東国の発音や似たような文字の解説を行っていたら、突然「お疲れ様~」と扉を開けて入ってきた。
は? だ。
まだ併合していないから、隣国の外交官が紛れ込んできたという状況でしかない。
私の怪訝な視線をあざ笑うかのように外套を脱ぎ、一番後ろの席の人に断りを入れ隣へ座ったミシェル・コンタスティ。
隣に座られた男性はチラチラ見て気にしていた。
ポカンとする私にコンタスティ外交官は言った。
参加しますね、と。
どうやらフィーマ様が彼に世間話の延長でこの件を話したらしく、月一なら時間も割きやすいし自分も併合後は共に外交官になるのだからと受講資格を主張して割り込んできた。
今では一番前に席を陣とり、ふんぞり返って私の指導を聞いている。
この人アルゲナ人じゃなくてナイルの人だよな。
「新しい杖買いなよ」
「でもあれ百万ペイルしたんで」
「じゃあ魔法使わず、今日は馬車で来たんだ?」
「歩きで来ました」
いつもなら特別な羽筆で空中に文字を書き皆に見えやすいように教えていたが、杖がないのでそれができない。
使えなくてごめんなさいと断りを入れたら、魔法を使えないことに困ったり焦ったりしないのかと信じられないような面持ちで心配された。
魔法使いは魔法を使うことに慣れてしまいそれが日常であるので、杖が使えなくなればすぐに買い換える。
魔法を使わない生活は不便利で、不安でしかなくなり、落ち着かなくなるのだ。
学校でも杖が壊れてしまった同級生が、放課後になるまで貧乏ゆすりをしていた。
私も落ち着かないが、さすがにそこまでの禁断症状は出ない。
貧乏ゆすりは、しない。
杖なし生活は本日二日目に入る。
今は袖の中にそこらへんで拾った適当な枝を忍ばせて、愛しい杖の重みを再現していた。
他人事のように平気なふりをしていたが、なんとかこれで正気を保っている。
枝を時々触りながら、新しいの買っちゃおうかな、いやいやあの子が帰ってくるまで…! でも長いし……いやダメダメ!
最低一ヶ月間は使えない覚悟をしたのに揺らぎまくっていた。
魔法使いじゃなければこれが当たり前の生活なのに、使えなくなるとこんなにも身体が震えそうになるなんて、恐ろしい。
「そこはせめて馬車でないと」
あきれたように溜め息を吐くコンタスティ外交官。
自分が襲われて死にかけた自覚がないのかと言われる。
王都での魔獣遭遇もあったし、確かに命を守るには馬車のほうが安全だったかもしれない。彼からしたらいつ心臓が止まるか冷や汗ものだろう。
箒での移動に慣れていたから、馬車の考えがなかった。
次からは馬車を使うことも考えよう。
請求はフィーマ様にしていいか、今度聞いてみようかな。
「そうですよクララさん、馬車ですよ。グレイナに襲われたことは、やはり重く見るべきだと思います」
「我々が腰痛でなければ……!」
私の腰が……! と悔やんでいる外交官たちを感情の籠らない目で眺める。
そうだった。揃いも揃ってぎっくり腰になったから私が行ったんだった。
これからは丈夫に生きろ。
「杖が直るまで指導の日は送り迎えしようか」
「いえ馬車で行きます」
「ついでで一緒に行けばいいのに」
人形を抱っこしながら、ねー、と話しかけている外交官。
人形のほっぺたあたりが、ポッ、と赤く染まっていた。
あの人形照れる機能あるのか。
「なんでいるんですか?!」
「呼ばれた気がして」
次の月の週末、これから城へ行こうとして家を出たら、家の前で大家のおばちゃんが背の高い紳士に手を取られて口説かれていた。
赤茶色の髪をなびかせ、まわりのご婦人方の目を奪う隣国の筆頭魔法使い。
キャアキャアうるさいと思ったら、何これ。
驚いたまま固まっている私の顔を見て、やっほーと手を振っている。
家の場所はフィーマ様に聞いたという。
「嘘だ! 魔法で盗聴か何かしてるんだ!」
「人を変態みたいに」
「いや変態ですよ自覚ないんすか!」
以後、送り迎えされるようになった。




